第108話 東京ダービー その3
司は慎重にボールをセットすると、ゴール左手前25mの位置から右足のインフロントでボールを蹴り上げた。
バシッ!という乾いた音と共に強烈な縦回転を与えられたボールはゴール右隅に向かって飛んでゆく。
が、司の右足から放たれたボールは無情にも、ゴール前に設置されたFKの壁マネキン、リヴェルン君の頭に当たる。
「くそっ」司はそう言うと、恨めしそうリヴェルン君を睨んだ。
SC東京との東京ダービーが終わった後、選手達は一旦解散したが、自主練をしたい者達はグラウンドに残り、それぞれがトレーニングを行っていた。
結局試合は大竹さんのフリーキックが決勝点となり、今年度最初の東京ダービーは1-0でSC東京の勝利となった。
「司、そろそろ帰ろうぜー」
ピッチを見渡すと既にほとんどの選手が帰ってしまい、グラウンドに残っているのは俺と司だけになってしまった。
「スマン、あと、もう一本だけ」
司はボールの空気孔を下にして慎重にボールを置く。
一歩、二歩、三歩と確かめるようにボールから距離を取ると、鋭い踏み込みから右足のインフロントでボールを擦り上げるように蹴る。
バシッ!という乾いた音と共に、司の右足から放たれたボールは美しい弧を描きながらゴールの左隅に吸い込まれていった。
狙い通りのキックを打てたというのに司はギリギリと歯ぎしりをする。
司の気持ちは俺にもわかる。
大竹さんのFKが決まった直後、俺達ビクトリーズも大竹さんが決めた場所とほぼ同じ位置でのフリーキックを得た。キッカーは司。
司は今日一番の集中した顔を見せると、右足のインフロントでボールを蹴った。
壁の上を通り過ぎ、美しく弧を描いたボールは、無情にもSC東京ゴールのクロスバーを叩いた。
あとボール一つ、いやあと半個分でも落ちていてくれれば…………
天を仰ぐ司。でも俺は司に対し「惜しかったな」とは言わない。
それが何の慰めにもならないのは俺が一番よく知っているからだ。
フットボールではボール一つ分の差で天国と地獄が簡単に分かれてしまう。
2002年の日韓ワールドカップのトルコ戦。三都主アレサンドロの蹴ったFKがあとボール一つ分ずれていれば、日本のサッカーの歴史は間違いなく変わっていた。
そして1966年のワールドカップの決勝でも…………
ボール一つ分の精度をどこまで突き詰められるか、それは俺達全てのフットボーラーに課せられた命題なのだ。
「ナイスシュート司」俺は司にそう言った。
「大竹さん、今日は調子が悪かったのかなー」俺は司と一緒にリヴェルン君を運びながら聞いてみた。
「それもあるかもしれないけれど、それ以上に周りが合わせられなかったのかもな……」と司。
確かにマークをしていた俺も、一瞬姿を見失うほどに大竹公平はボールを持っていない時には存在感が消えてしまっている。
それが狙ってやっているものなのか、それともわざとなのかは分からない。
それでも時折ぞくりと背筋が寒くなるような場所にフリーでいた。
もしあの瞬間、ボールが入っていれば決定的なチャンスを演出できたかも知れないと……思うシーンは幾つもあった。
しかしマークをしている俺ですら気付かないような動き出しに、味方の選手もなかなか気が付かないでいた。
それでも後半残り5分を切ったところで、SC東京は大竹さんを中心にこれまで停滞していた攻撃が嘘のように動き始め、ビクトリーズは防戦一方になってしまった。
もしこのまま試合を続けていたら、あと2~3点は取られていたかもしれない。
怜哉君の好セーブと沖田さんを中心とするDF陣の踏ん張りで、どうにか1-0のまま試合を終わらすことが出来たのだ。
「大竹さんの言っていたこと、どう思う?」俺は司に聞く。
「おそらく、多分……そうなんだろう」
試合が終わった後、SC東京の選手何人かと先日のトレセンの事で話し合った。
そこで大竹さんが意味深に、「今度の合宿楽しみだね、北里君」と言ってきたのだ。
おそらく大竹さんは、自分もそして司も、この後に行われる代表の合宿に選ばれると確信しているのだ。
俺も公平さんと二言三言話してみると、「鳴瀬君だっけ、君のマーク、なかなかきつかったよ」と…………
俺の存在もしっかりと公平さんに覚えられていた。
それから三日後の水曜日、まるで大竹さんの東京ダービーでのプレイぶりを確認したかったのかと思うようなタイミングで、U-15ナショナルトレセンでの合宿メンバーが発表された。
そのメンバー表には、翔太、司、大場さん、俺、そして…………大竹公平の名が記されてあった。
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