第71話 北里さんちのチョコレート工場 その1

https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663939893615


 北里家のリビングキッチンでは、遥と弥生と莉子が司のかーちゃんに教えられながらチョコレートを作っている。

 

 4人は、さっきからエンドレスで「バレンタイン・キッス」を口ずさんでいる。


 そういや、バレンタインの歌ってこれ以外に記憶にないな。さすが秋元康大先生。八十年代からずーっと売れてるよなこの人って。


 どうやら、遥はトリュフ、弥生はガトーショコラ、莉子はチョコレートムースに挑戦しているらしい。


 こういう事を言うと炎上しそうで怖いのだが、今までの人生でこれほどときめかないバレンタインデーはいまだかつてなかった。


 だって、もらえるチョコを俺たちが手伝ってるんだもの。



「ほら、司、泡だて器ちゃんとしっかり攪拌する!!」


 料理中の司の母ちゃんはちょっとおっかない。


「チョコレートは温度が全てです」と司のかーちゃん。


「はい」と遥と弥生と莉子。


「ちょっとした温度の違いで、分離しますし舌触りが悪くなります」


「はい」


「温度計のチェックはこまめに行ってくださいね」


 ちなみに力仕事は男の役割。


 自分がもらうチョコレートを自分が作る。…………まあ、もらえるだけありがたいという事か。


 大体バレンタインデーが日曜日だというのが問題だ。


 昨日の土曜日はクラブに顔を出して、今日の午前中は部活に顔を出す。まあ相変わらず膝の調子が万全ではないので俺も司も試合にはでないんだけれどね。


 というわけで、半休の午後、「暇ならあんたら、手伝いなさい」と司のママからのオーダーにより、


 自分でもらうチョコを手伝うというなかなか経験できないことをさせていただきました。ありがとうございます。


 …………1時間後、


「うっまー、なにこれ」


 俺たちは司のかーちゃんの入れたコーヒーを飲みながら、バレンタイン・デー茶話会を楽しむ。


 まあ、こういうバレンタインデーもありっちゃあ、ありか。


「このトリュフ、美味しいねー」と司。


「そりゃ、気合入れて作りましたもの」と胸を張る遥。


「まあ、カカオ豆もいいの使ってるからねー」と司のママ。


「ってか、このガトーショコラ、すごいっすね、おばさん」


「これ、ちょっと自信作なのよ」


 ガトーショコラにフォークを入れた瞬間、中からトロっと人肌に温められたチョコレートがあふれ出してくる。


 肉汁ならぬチョコ汁だ。


「私のも食べて食べて」と莉子。


「うわー、これも凝ってるなー」


「えっ、なに、ババロアとムースの2段構造なの?」


「うん、中にフランボワーズのムースも入ってるの」


「おお、三段構造だ、こりゃスゲーよ」


「写真、写真」

 

 と、そこに「ピンポーン」とチャイムが鳴った。


「インターフォンを見ると、何故だが、翔太がビクトリーズのユニフォームを着て立っていた」


「なんか、翔太が来てるぞ」と司。


「ああ、私が呼んだのよ、いっぱいチョコ食べれるからおいでって」


「また、なんで、わざわざ」と司。


 まあ、同じチームでご近所とはいえ、遥と一緒じゃ司も大歓迎とは言えないよなー。


「翔太に頼んで食べるの手伝ってもらわないと、あんた全部食べちゃうでしょ」と痛いところを突かれる司。


 まあ、そりゃそうだな。


「いらっしゃーい」と司ママ。


「お邪魔しまーす」と翔太。


 初めて司の家に呼ばれたらしく、辺りをキョロキョロ見回している。


「なんか、すごいねー」と翔太。


 そりゃ、そうだろうなー、普通の家では見ないような料理器具があちこちにあるんだから。


「まあまあ、楽にしてね」と司ママ。


 ビクトリーズの練習で既に顔なじみなので翔太にも気軽に話しかける。


「あっ、これ、お母さんから、持っていきなさいって」そう言って、紙袋に入ったホカホカの都饅頭が。


「あら、やだ、私これ好きなの」と遥。


「ああ、これ美味しんだよねー」と莉子。


「気が利くじゃん」と司。


「まだあったかーい」と弥生。


 翔太は八王子の名物、都饅頭を持ってきた。



 同じスイーツでも、チョコとあんこは別腹らしく、翔太の持ってきた都饅頭にわらわらと群がるスイーツ女子達。


 すると司の母ちゃんも気を利かせて、緑茶を入れてくれる。


 コーヒーもいいけど、やっぱ饅頭には緑茶だよね。


 ちなみに後年、大学で平塚の奴と話をした時「うちの地元の名物で都饅頭ってのがあってさー」という話になり、「えっ、それ、うちにもあるよ」というオチが……


 なにやら、調べると、この都饅頭、日本各地にいろいろな名前であるらしい。まあ、いいか、美味しいから。


「ってか、司君、やせたよねー」と残念そうに司のお腹をなでながら翔太。


「一応、年明けから5㌔は落ちたからねー。まあ、いきなり落とすとリバウンドが怖いし」そういって胸ならぬ腹を突き出す司。


 トレーニングに関しては真面目な司。毎朝夜明け前には自転車に乗り出して、例のコースをひたすら走っている。付き合わされる俺はたまったもんじゃない。


 それ以外にもウォーキングも欠かしてない。おじさんの話だと自転車だけだと、筋肉の付き方に偏りが出来るんだそうだ。

 

 自転車競技をやるなら別にいいけど、俺たちにとっての自転車はあくまでもサッカーをするためのトレーニングとして活用している。


 ランニングだけだと一日に行えるトレーニング量として限界があるのだ。

 

 ランニングは確かに全てのトレーニングの基本と言えるが、心肺機能を強化したいのに、心臓や肺よりも、膝やアキレス腱に先に負荷がかかってしまう。


 他にも、溶血といって、成長期にランニングをし過ぎると、たちの悪い貧血になっちゃうんだってさ。


 どうやら、ランニングでの着地の際に、その衝撃によって足の裏で赤血球がつぶされるんだって。恐っつ!!

 

 特に中長距離の陸上選手やサッカー・バレーボール・バスケットボール・剣道などの選手に多いんですって、気を付けようねみんな。


 そのために長距離選手は負担を軽くするためにウエイトコントロースをするんだけれど、フィジカルコンタクトのあるサッカーで体重を絞りすぎるのはマイナスになる。


 太っている時の司の異常なボールキープ力は体重のたまものだ。


 もっともあいつの場合は太り過ぎだったけど……


 ともかく、しっかりと、対人で戦える筋肉を付けながら、心肺機能を鍛えるにはこのロードバイクというツールは実は大変有効なのだ。


 自転車に乗り始めて色々な本を読んでいるうちに、サッカー界ではないが、テニス界のレジェンド、ピート・サンプラスやイワン・レンドルなどはいち早く、トレーニングでロードバイクを取り入れたとものの本には書いてあった。

 

 その本には、ティーンエイジだった頃のサンプラスが憧れの選手であった、レンドルと一緒にテニスの練習できると喜んで行ったら、いきなり訳も分からずロードバイクに乗せられて、初日に200㌔以上連れ回されたそうだ。


 てっきり意地悪でもされたのかとトレーニングの終盤にベソをかき始めたサンプラスに、


「ピート、テニスだけの練習をしていたら、いつの日か体が壊れる。強くなりたかったら、ロードバイクを覚えなさい」


 といって、その自転車をプレゼントしたというエピソードがあったそうだ。


 なるほどねー、


 為になるなー。


 為になるねー。


 こっちに来る前に見ていた海外のマンチェスター・シティーやらリバプールの選手の異常なまでのフィジカルに互角に対応するためには、なにかしらの特別のトレーニングが必要だと常日頃感じていた俺には、もしかしてこのロードバイクというツールは最適解だったのかもしれない。


 ちなみに世界で最も過酷な競技は何かと問いに対しての答えは、ツール・ド・フランスと決まっているらしい。


 あらゆるスポーツの専門家がそう言っている。


 23日間で21ステージのレースをする。


 その間に休息日は2日だけ、毎日レースで1万キロカロリーを消費するらしい。ちなみにサッカーは大体1500㌔カロリー。野球に至っては野手は900カロリーくらい。


 フルマラソンはというと、2100㌔カロリーってアレ、自転車で八王子ー羽田間を走るとクリアできちゃうんだ。びっくし。

 

 例えばトライアスロンの場合、8000㌔カロリーを消費するんだけれど、そのうちの5000㌔カロリーが自転車。


 しかも、トライアスロンって1週間ぶっ続けで毎日レースしないでしょ。


 でも、ツールはするんだよねー。いろいろ頭おかしい世界です。


 司なんか100m坂道のぼっただけで、ヒーヒー言ってますが、ツールの山岳ステージだと一日に2500m登ることとかざらだそうで……怖っ!!


 ちなみに思い出しましたけれど、こっちの世界に来る前にあった東京オリンピックのコースだと、獲得高度5000mで走行距離250㌔、これを5時間そこそこで走る。


 近所の小学生とその話をした時に、「そんなおかしいよ、日本に5000mの山なんかないじゃん」と言われたので「富士山を2回登るんだよ(正確にはちょっと違うけれど)」と言った時の、呆れた顔が忘れられません。


 そういや、この前、地元の図書館で自転車雑誌を読んでいたら、とあるロードのプロ選手が、


「プロ野球選手やJリーガーがうらやましくてしょうがない。だって、あの程度のトレーニングでトップカテゴリーに居続けられるんだから……」


 とブツブツ文句を言ってた記事を見て、元Jリーガーの私、一瞬、ムッとしたのですが、、その日の練習スケジュールを見て納得。


 真冬の九州の山の中に夜明け前においてかれて、300㌔走っての、夜の8時に回収。


 これはアレなか?奴隷な何かかな?


 しかも理由が、今度新しい部品を発売するので、実戦で300㌔走った際のチェーンやギアの消耗度合いを知りたかったそうだ。おっかねのー。


 あと、レース中に食事するってんで、走りながら飯を食べたり、最悪、ツールなんか、トイレ休憩が無いので、自転車に乗りながら、用を足す練習なんかもあるらしいですよ。


 なんかゴメンなさいね。食事中だったら……

 

 そういや、考えてみたら、俺が選手だった時の練習って、全体練習を午前中に2時間やって後は個人でめいめいに解散とかだったもんなー。


 ほら、シーズン中だと試合もあるので疲れるような練習とかできないじゃん。

 

 確かにそれに比べたら、競輪選手やロードレーサーなんかの練習量を見たら、プロのアスリートがちょっとひくレベルの練習量だしなー。


 ともかく、自転車って関節や靭帯に負荷がかからないから、延々と走れちゃうらしいのですよ。


 ちなみに、ロードレースの中にはブルベという闇の深い競技がありまして…………


 国内最高峰とかだと、北海道1周1200㌔を49時間で走破とか、アマチュアのサラリーマンがやっちゃってるんです。コワッ!!


 そんなアタオカな競技に片足をずっぽし突っ込んでしまった我々の前に、今度は一体どんな壁が待ち受けているのでしょうか。


「って、あんた、なにさっきからブツブツ独り言いってるの?」と遥さんからのツッコミが。


「あ、いや、ちょっとね」

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