第67話 ツール・ド・八王子 その1
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ピッピッピッピッピッピピピピピー
司のバイクに付けているハートレートモニターからアラームが鳴る。
「おーい、司ー、心拍上がってる、上がってる」とおじさん。
「んなこと言ったって、んなこと言ったって……」と司は今にも倒れそうだ。
「ギアを軽くして、ゆっくり、もっとゆっくり上りなさい」
「んなこと言ったって、んなこと言ったって……」バイクが左右にゆらゆら揺れ始める。
「ストップ、ストップ、ストップ、ストップー」おじさんはそう言って、司の横に並んで、自転車を止めた。
…………今日の朝、
俺の家に泊まった司と俺は、朝早く起きると、近所の広場でボールを蹴る。
すると、僕も行くーと春樹もついてきた。
「司くーん、もっと強く蹴ってもいいよー」と春樹。
「よし、じゃあ、手加減無しだぞー」と言って手加減してボールを蹴る司。優しい世界。キンキンに冷えた空気に息が白い。
それでも、俺も春樹も司も、ボールを蹴ったらそんなの関係なく、夢中に体を動かす。
ちょっと見渡しのいい坂の上からは富士山がとてもきれいだった。
30分程ボールを蹴って、体があったまったら、俺の家で司と一緒に朝食を食べる。
三日連続のお雑煮で餅はお互いに餅は三つ。
田舎のお爺ちゃんから年末に餅が大量に送られてきたんだけれど、うーん、そろそろお雑煮はもういいかなー。
司の父ちゃんから、今日も自転車を乗るから朝ごはんは耐水化物をしっかりとって来なさいと言われ、その通りに、餅をガツンと食べてきた。
司の腹もパンパンだ。どっちが餅かわかんねーぞ。
司の家に着くと、既に庭にロードバイクが3台並んでいた。
司のCAAD9と俺のGIOS コンパクトプロ、そしておじさんのビアンキ。うん、それもこれもかっこいい。
すると、おじさんが、「ロードバイクはメンテナンスが大切だから一緒にやろう」と言われて自転車の整備をすることになった。
まあ、整備と言っても俺と司は雑巾できれいに自転車を拭くことがメインなんだけどさ……
自転車をこうして拭くと、どこが汚れてるのか、チェーンに油はちゃんとさしてあるか、ブレーキの利きはちゃんとしてるかをおじさんに教えられながら真剣に拭く。
たしかに、坂道なんかでちょっとスピードが出ると50㌔にもなっちゃう乗り物だ。そう考えると整備にも真剣さが増してくる。
そして、最後はタイヤの空気圧の確認。
「俺、自転車のタイヤに空気入れたのなんか、いつ以来だっけ」と司。
たしかに、俺も、空気が無くなってきたら入れるくらいの感じだったが、
「ロードバイクの空気圧は、普通の自転車の2倍から3倍くらいの空気が入ってるんだ。ちょっとでも空気が抜けると段差でパンクするぞ」と言われ、ここも真剣に空気圧のチェックをする。
おじさんにタイヤを指でグーっと押して、ちょうどいい空気の感覚を教えてもらった。
もっとも、まだ、慣れないうちは、空気圧計をプレパブに置いてあるので、それをチェックしてから自転車を乗るように言われた。
ロードバイクで一番最初に注意しなければならないのがタイヤの空気なんだってさ。
なるほど、だからあんなに細いタイヤで走れるんだ。ってか、自動車のタイヤの2倍以上の空気圧があるだなんて全然しらなかったわ。
そりゃ、乗る前のチェックは大切だよな。
そして、今度はおじさんが俺と司にハートレートモニターを貸してくれた。
司のはおじさんが以前に使っていた自転車用の奴、そして俺のはおじさんがランニングする時に使ったりするやつだった。
「まあ、距離とスピードは司に教えてもらえればいいだろ。ただ、二人の心拍数がどんな感じで変わって来るのか、おじさんもちょっと気になってな」と言ってた。
「俺と司じゃ心拍数ってやっぱ、違うんですか?」と俺。
「そんなかわんねーとおもうけどなー」と司。
「まあ、何事も、実験、実験」とおじさんは楽しそうだった。
「ところで、神児君の最大心拍数って知ってる?」とおじさん。
「なんですか?」と俺。大体にして最大心拍数の数値どころかその名前も知らない。
「じゃあ、簡単に説明するぞ。最大心拍数とは、大体220-(年齢)で出される数値なんだ。
だから、君たちは1分間に207ぐらいで45歳のおじさんは、220-45で175なんだ。」
「それって、なんの意味があるの?」と司。
「ああ、おおよそ、ここの数値以上は心臓は動かないし、もしそれ以上いってしまったら、危ない状態。つまり、」おじさんはそう言って「うううっ」と胸を押さえ、「こんなことになっちゃう感じ」
「なるほど」と俺と司。
「で、最大心拍数を100%と考えてそこから5つのゾーンに分けてトレーニングをするんだ」
「それって、心拍計トレーニングって奴?」
「おお、司、知ってるんだ。その言葉」とおじさん。
うん、俺も知っている。確かそのくらいから、いろんなサッカーのチームがトレーニングで取り入れていた方法だった。
この当時では最新のトレーニング方法だと聞いている。
前の世界では冬の選手権の常連校の青森大山田高校のトレーニングにも取り入れられているっていう記事も見た記憶がある。
「これって、最新のトレーニング機器なんですね」と俺。
「いやー……べつにー」とおじさん。
「あれ、そうなんですか?」
確かフットボールの世界では心拍計トレーニングが注目を浴びるようになったのはもう少し後くらいのようだった気が……
「だって、10年くらい前から自転車の世界では注目されてたしね、今では、自転車をやっている人は、大体持ってるよ。神児君の持ってるの、それ、1万円しないし」 とおじさん。
「へー、サッカーではこんなトレーニングあんまし聞いたことないけどなー」と司。
すると、おじさん、ちょっと申し訳なさそうに、「いやー、野球とかサッカーってトレーニングにあんまし新しい技術取り入れないじゃん。なんか古臭いトレーニングばっかで」
と前の世界では指導者だった俺たちには頭の痛い話だ。
「だって、心拍計トレーニングなんて、長野五輪の時にはクロスカントリーの選手とか普通に取り入れてたからねー」とスキーで滑る格好をするおじさん。
「長野五輪って……20世紀じゃん」
うすうす思ってたのだが、サッカー業界ってトレーニング事情あんまし恵まれてないんだよなー。
特にフィジカルトレーニングが注目されるようになるのはちょうど今くらいの時期からだったよなー。インナーマッスルとか、体幹の筋肉とか。
「まあ、でも、そのおかげでいいこともあるぞ」
「なんだよ。親父、トレーニングが古臭くっていい事って」
「サッカーの世界ってあんまりドーピング聞かないじゃん」
「……あっ」と司と俺。
「もう、ひどいものさ、ロードの世界は。最新のトレーニングは最新ドーピングにも密接に影響を及ぼすんだよねー。
さて、今年も一体何人の選手がドーピングに引っかかることやら」
とやれやれと言った感じのおじさん。
なるほど、いい事ばかりじゃないってことか。
「まあ、ともかく、司、お前は心拍140以下を意識して自転車を乗りなさい」とおじさん。
「えっ、なんで?」と司。
「運動強度が60%以上になると、脂肪が燃焼しづらくなるんだよ、お前、体重落とすために自転車乗るんだろ?」
「……はい」
「そんなわけで、司と君の心拍計には150以上になったらアラームが鳴るように設定しておいたから」
「ほほー」とお互いの心拍計を見る。
「神児お前いまいくつ?」
「俺、95。司は?」
「俺、100」
まあ、その数値が一体何なのかよくわからん。
するとおじさんが、「ダイエットなら運動強度50%~60%、つまり心拍数は100から120だね」
「はい」
「運動強度が60%~70%、だいたい心拍が120~140になると持久力が上がるんだね」
「そうなんですか?」と俺。
「うん。ところで、司、神児君、持久力が上がる。つまりスタミナが付くってどういう意味だか分かる?」
「うーん、長く走れるってことですか?」
「まあ、そうなんだけれど、どうやったらスタミナ付くと思う?」
「いっぱい、走る」と俺。
「焼肉を食べる!!」と司。
「まあ、そんなところか」とおじさんはニコニコ。「実は運動の世界では既にスタミナをつけるとはどういう意味かと定義づけられているんだ」
「と言いますと?」
「スタミナが付く、つまり、持久力が上がるというのは、効率よく酸素を吸収できる体を作ることなんだよ。」
「酸素ですか?」
「ああ、つまり、効率よく酸素が体に取り入れられれば、心拍も上がらないし無酸素運動になりずらくなる。乳酸って聞いたことがあるかな?」
「はい」と俺、「うん」と司。
「筋トレとかすると、疲れがたまるだろ。あとサッカーで足攣ったこととかあるかな?」
「ああー」と言った感じの司。まあ太ってから結構経験してるよなお前。
「それ、筋肉に乳酸が溜まってるからなんだよ。まあ他にもいろいろ原因はあるけどさ」
「ふんふんふん」
「つまり、効率よく酸素が取り入れられれば、人よりも心拍が上がらないし、運動強度もあがらないから、乳酸が溜まりづらいので、長く走れるっ
てわけ」
「おおおーーー」三段論法でとっとも分かりやすい。
「でさ、親父、その、運動強度60%~70%でトレーニングするとどうなるんだよ」
「いわゆる、ロングスローディスタンスで運動すると、毛細血管が広がって効率よく酸素を供給できるんだ」
「ほほーう」
「まあ、それも大事だけれど、司はまず、体の脂肪を燃焼させなくちゃな。」とおじさん。
「はい」と言って、お腹のぜい肉をつまむ司。
司と一緒に運動のことを話せて、おじさんとっても嬉しそうだ。
よくよく考えたら、小さいときは司と一緒にサッカーしてたけど、その後はクラブのチームで土日は遊べず、そして中学に入ったら、ひざの故障を抱えながらのサッカー生活。
こんな感じで、おじさんが自分の知っている知識を司に話すタイミングなんて無かったのだろう。
15の時に膝を壊した司は、その後、運動は出来なくなったし……その息子にトレーニングの話などできるわけもない。おじさん、前の世界では孤独だったんだろうな……
「ちなみにそれ以上の強度で運動すると、どうなるの?」と司。
「うん、心拍計トレーニングは5つのゾーンに分かれてるんだ。今まで話したのはゾーン1とゾーン2な。
ゾーン3いわゆる70%から80%、司や神児君で言ったら、心拍数140~160になると、今度はダイレクトに心肺機能、つまり心臓と肺の強化になって来るんだ。もちろん持久力の向上にもつながる。
ただ、肺や心臓を強化する前にまず、毛細血管の拡張はしておきたいところだよな。家で言ったら土台を作ってから骨組みの段階だ」
「うんうんうん」司もコーチの顔になっている。よく研修会とかで見せた表情だ。
「そして、ゾーン4、80%~90%、ここは無酸素運動領域の世界。つまり、トップスピードやダッシュ力の向上、筋肉量の増加だ」
「おおおー」なるほど。やっぱ、男としたらここのゾーンはそそるわ。
「で、最後は?」
「もちろん、ゾーン5、90%~100%、ちゃんとトレーニングを積んでないとホントに心臓が止まっちゃうところ。
ここは、最後の最後、ここ一番の踏ん張り、ユタで言ったらゴール前のスプリント、テルで言ったらヒルクライムの山岳賞、一等賞になるための最後のひと踏ん張りを付ける場所だよ。分かるよな、ここ一番で踏ん張れるかどうかの瀬戸際って」
俺も司も「うんうんうん」と頷く。
競技者として、あと一歩が届かないで、何度も悔しい思いをした。
お前らも人生であるだろう。あとひと踏ん張りがきかなかったこと。
「棺桶に片足突っ込んで、勝利を奪いに行くためのトレーニングだよ。もっともおじさんがそんなことをやったら、片足どころか両足つっこむ羽目になるけれどな」そういってワハハと笑う。
「オーケー分かった親父。とにかく俺は心拍数120以下で運動して脂肪を燃やせばいいんだよな」
「まあ、そういう事だ」
そういうわけで、俺と司は心拍計という新しい武器を手に入れた。
♪ チャラララッチャッチャッチャー ♪
どこからかFFのファンファーレが聞こえてきた。
2010年のこの時期、心拍計トレーニングをしている中学生フットボーラーなどそうはいまい。
俺はおじさんが貸してくれた心拍計腕時計の風防を指で撫でた。
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