命散らすその時まで愛してる

水鏡 玲

『永久に……あなたと共に』

出会ったのは秋。

月が綺麗な夜だった。

月明かりに誘われて、フラリと夜の散歩に出た私は川辺を歩いていた。

川のせせらぎと、虫の鳴き声、風に揺れるススキの音、そして、私の足音。

たったそれだけの静かな夜だった。

どこへ行くなど目的地はなかった。

静かで美しい夜に、一人になってみたかった。

秋の空気がそうさせたのだろうか。

そんな空気に酔うように、のんびりと川辺を歩いた。

途中で渡った橋、通称清姫橋

失恋した若い女性が身投げをしたことから、そういう名前で呼ばれるようになったという。

嬉しくはないが、その後この橋からは身投げをする女性が増えていると聞く。

オカルト番組でも取り上げられたのを何度か見たことがある。

嘘の言葉を信じ、嘘だと気づくと妖へと姿を変え、愛する人を焼き殺した……

「安珍清姫……か」

宿をとった僧・安珍からの言葉を信じ、恋焦がれていたが、彼女はその言葉が嘘だと気付く。

悲しみ、怒りに狂った清姫は安珍を追う。

それに気づいた安珍は逃げる。

怒り狂った清姫は美しい姿を蛇に変えてまで、安珍を追った。

寺の鐘の中に隠れた安珍だが、清姫はその鐘に巻きつき、鐘ごと安珍を焼き殺してしまう。

その後清姫は、身投げして自らの命を経った。

その伝説になぞらえて、清姫橋と呼ばれるようになった。

清姫伝説発祥の地はここではない。

この橋にとっても地元住民にとっても迷惑な通称名である。

橋の向こうは小さな繁華街だ。

こじんまりとした飲食店が数件軒を連ねている。

この通りはあまり好きではない。

以前、迷惑な客引きに捕まったことがあるから。

「ねぇねぇ、お姉さん。1人?良いお店あるから、一緒に飲みに行かない?」

嫌なことは再び起こるものである。

私はまた迷惑な人に捕まってしまった。

「離してください!」

キツく掴まれた腕を振り払おうともがく。

「お姉さん綺麗だから、オレ一緒に飲みたいなぁ。あ、2人きりがいいならもっといい場所知ってるよ。2人で仲良く過ごそっか」

金髪の長髪をかき上げながら男が言う。

いやらしい顔に、いやらしい声。

どうしてこうも下心丸出しで声をかけてこれるんだろうか。

いや、そもそも下心しかないのか。

なんて考えている場合じゃない。

何としても逃げなくてはならない。

「離して!!」

「うるせぇな!黙ってついて来いよ!!」

喚く私に苛立った男が声を荒げる。

その時、

「何をしてるんだ!手を離せ!!」

そう言う声が聞こえ、私と金髪男との間に誰かが割り込んでくる。

私を庇うように立った人。

背が高く細身なスーツの後ろ姿。

「くそっ……」

何とも呆気なく去っていく金髪男。

ホッとして息をついた。

「大丈夫?怪我してない?」

私の方を向き、優しく気遣う言葉をかけてくれる救世主。

「ありがとうございます。助かりました……っ」

その人の顔を見て、胸が高鳴った。

色白の肌に切長の瞳。

シルバーフレームの眼鏡。

艶やかな黒髪が月明かりを受けて煌めいている。

まるで月夜の王子様だ。

いや……私ももう25歳。

そんなおとぎ話みたいな例えは自分でも恥ずかしくなる。

けれど、本当に王子様のよう。

見た目だけではなく、話し方や声、佇まいや仕草。

彼が持つもの、発するもの、全てがこの世のものではないように美しい。

「君みたいな可愛い子が1人でこんな所を歩いてちゃ危ないよ。この先に用事でもあるの?」

「いえ……ちょっと散歩に出ただけなんです。戻ろうかと思ったらさっきの人に捕まってしまって。あなたのおかげで何事もなく済みました。ありがとうございます」

改めてお礼を述べて頭を下げる。

顔を上げた時、彼はにこやかな顔で「どっちから来たの?」と聞いてきた。

「安全な場所まで送っていくよ。さっきの奴が追いかけてくるかもしれないし」

繁華街の先にはオフィス街がある。

彼はきっと仕事の帰りなのだろう。

お酒が入っているようには見えないし、飲食店で染み付くタバコの臭いもしない。

「あ、もしかして僕のこと疑ってる?ごめんね、そうだよね。僕はちゃんとした会社員だよ。さっきの奴とは違うから安心してほしいな」

そう言って照れたように笑う彼の顔に、私はすっかり惹かれてしまった。

「いえ、そんなこと思ってません。でも、いいんですか?私の家、あの橋の向こう側なんです」

清姫橋の方を指差しながら私は言う。

清姫橋を渡らず右に逸れると閑静な住宅地に続く道がある。

きっと彼の家はそっち方面だろう。

一戸建てからアパート、マンションまでその方向に固まっていた。

「いいよ。行こう!あんまり遅くなると家族が心配するでしょ」

とても子供扱いされているような言い方に、思わず吹き出してしまう。

「そんなに子供扱いしないでくださいよ。私、もう25歳ですよ」

「え?そうなの!?ごめんね。可愛くて若く見えるからてっきり高校生かと……。僕は羽田郁はねだかおる。28歳だよ。よかったら、君の名前も知りたいな」

私の歩幅に合わせて歩きながら、郁さんは言う。

「私は坂本清香さかもときよかです。郁さんも若く見えます。年下だと思ってました」

大学生と言っても通じるだろう。

「えぇ〜、本当?嬉しいけど、社会人としての貫禄がないのかなぁ」

苦笑いで郁さんがそう答える。

「そんなマイナスなイメージじゃないですよ。フレッシュでエネルギッシュってことですよ」

そういうことか!!と嬉しそうに郁さんは笑う。

笑った顔も美しく、幻想的な月明かりがさらに王子様度を高めてくる。

私と郁さんは、その後も初対面とは思えないほど他愛のない会話で盛り上がった。

別れ際に連絡先を交換をするくらい、私と郁さんは意気投合した。

偶然の出会いから知り合い、そこから恋仲に進展するのはあっという間だった。

驚くほど順調に交際が続き、冬の終わりには私のアパートで同棲生活が始まった。

「清香のことが誰よりも好きだよ。愛してる」

照れることなくいつでも愛を伝えてくれる郁さんに、私は夢中だった。

仕事もして、休みの日は家事を手伝ってくれ、時々は2人で出かけられるよう時間を作ってくれた。

外見を裏切らない、中身も王子様のような人だった。

そんな郁さんのことを私は何一つ疑っていなかった。

こんな風に突然始まる恋愛だってあるだろう。

そんなに珍しいパターンでもないだろう。

そう思っていた。

だから、郁さんが

「これから出張が増えるから、家に居れる時間も一緒に居れる時間も少なくなっちゃう。ごめんね」

そう言った時も仕事なら仕方ないと受け入れた。

その言葉に疑うものは何もなかった。

そう……その時は何も。

「清香?ごめんね、今週も帰れそうにないんだ。寂しい?本当にごめん。うん、来週は必ず帰るから。待ってて」

「もしもし、清香?今から急遽出張になったんだ。午後一の飛行機で行くから、帰らないでそのまま行くね。また連絡するよ」

「明日からまた出張でしばらく帰れないんだ。ごめんね。でも仕事だから……分かってくれるよね」

同棲生活を始めて約半年。

出会った時と同じ秋が巡ってきた頃。

明らかに郁さんの言動が不審になってきた。

家に帰ってこないのはもちろん、会社から出張先へ直行、出張期間が急遽延びる、そして……

「私、郁さんがどこに出張に行ってるか知らない……」

どうしてそのことにもっと早く気づかなかったんだろう。

信用していたから……郁さんは絶対に大丈夫って。

大丈夫……何が?

何も知らないのに私は郁さんのことを心の底から信用していた。

郁さんは裏切らない。

裏切る……?

出張だと言って帰ってこない郁さんはどこで誰と何をしているんだろう。

「ただいまー。清香?帰ったよー」

それはあの日と同じ月が綺麗な秋の夜だった。

20時過ぎに郁さんは帰ってきた。

「お……おかえりなさい」

いつも通り、平常心で出迎えようと決めていた。

でも……声が震える。

鼓動が嫌な高鳴りを打つ。

「ただいま、清香」

近づいてきて私の頭を撫でようとした郁さん。

その時、気づいてしまった。

郁さんの左手薬指。

「郁さん……それ、何?」

「え?あっ……!!」

私に指摘され、慌てて左手を後ろに隠す郁さん。

でも、もう遅い。

「ねぇ、どういうこと」

自分でも驚くくらい声が低くなる。

冷静になろうとするけれど、いつまで保てるか分からない。

「……はぁ。しくじったなぁ。付けてる期間が長くなると外すの忘れちゃうんだよねぇ」

今まで聞いたことのない、冷酷な声で郁さんが言う。

恐る恐る顔を見ると、その顔も今まで見たことのない、まるで心など無いような冷酷な顔だった。

「郁さん……?」

「こうなったら隠してもしょうがないや。僕、既婚者なんだ。今までバレなかったのが不思議だよ。清香ってば何にも疑わないんだもん。僕が言う事ぜーんぶ素直に信じちゃってさ。そういうところ、可愛くて好きだったけど。あれこれ詮索してこないし。これからも騙しながら暮らしていけると思ったけど……僕がミスっちゃったから、もう終わりだね。今までごめん。付き合ってくれてありがとう。明日には出ていくね」

なんでも無いことのようにサラリとそう言って、郁さんは部屋の奥へと進んでいく。

あぁ……私は騙されていたんだ。

郁さんの都合のいいように。

私はそんな郁さんのことを信じていた。

何一つ疑わずに。

これじゃあまるで……

「安珍と清姫……」

その瞬間、私の中で何かがプツリと切れた。

まるで、私の心が体がスーッと冷めきっていくような……私が私じゃなくなるような……そんな感覚。

その先のことはよく覚えていない。

気づくと私は月夜の清姫橋に立っていた。

服も手も血でべっとりと濡れて汚れている。

殺してしまったんだろうか。

清姫が蛇になって安珍を焼き殺したように、私も我を失って郁さんを刺し殺したんだろうか。

数台のパトカーと救急車が背後を通過していく。

そのうちの一台が急停止し、人が降りてきた。

「そこで何をしているんですか?おい、君のその汚れは血じゃないのか!?もしかしてさっき通報があった……危ないっ!!」

心は決めていた。

騙されていたとしても、私は郁さんを愛していた。

その郁さんを私は殺した。

それならば、私の結末も決まっている。

だから私はここへ来た。

清姫橋へ。

背後からかけられた声を振り切って、私は欄干を乗り越えそのまま川へと身を投げた。

さようなら。

私が信じていた郁さんはもういない。

ならば私も消えてしまおう。

あの世では、2人仲良く寄り添えますように。


また一つ、清姫橋に女性の悲しい思いが刻まれる。

この橋が取り壊される日が来るのは、そう遠くないだろう。

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命散らすその時まで愛してる 水鏡 玲 @rei1014_sekai

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