第12話 和菓子のお届け


「――あの、やっぱり無理です」


 重厚な扉の前で私は途方もなく立ち尽くす。


 突然厨房にやってきた王太子の側近のウィルヘルムにあれやこれやと言いくるめられて案内された先は、たった一度だけ入室したことのある王太子の執務室だった。


 あれは結婚後、城内の説明のために一度案内されただけ。それ以降、私はそもそもこの付近に近寄ったことはない。


 執務室があるエリアは、限られた者のみが立ち入りを許可された重要機密区域である。隣は国王陛下の執務室だし、24時間体制で騎士が廊下を見回っているという。


 カトレアとウィルヘルムと連れているとはいえ、侍女服姿の平凡な女がお盆を持って執務室の前で佇んでいるのはとても目立つ。


 あぁ……視線が、騎士たちの訝しげな視線が向けられている気がする……。


 考えただけでも胃が痛くなりそうな場所なので、即刻立ち去りたいのですけど……ダメですか?


「やっぱり突然押しかけるのはよくないと思います。お仕事の邪魔になってしまいますし」

「キョクヤ様は仕事中毒者なので、強制的に休ませないと休んでくれないんです」

「わ、私でなくてもいいと思います!」

「いえいえ。僕では言うことを聞いてくれないんです。それに、ここまで来たのに帰ると逆に怪しいですよ?」

「うぐっ!?」

「さあ、諦めてノックをしてください」


 今、『諦めて』って言いましたよね!? 『覚悟を決めて』ではなく!

 まあこの場合、『覚悟を決める』とはすなわち『諦める』であるけれども!

 はぁ、憂鬱だわ。ストレスを癒すために、このお盆に載せられた和菓子を食べちゃダメ? あ、ダメですか。ですよね……。


、どうぞ!」


 くっ! ニコニコ笑顔なのがムカつく。メガネを遠くに放り投げてやりたい。

 殿下の側近だからお忍びの私を見抜いているのは当然のことだとして、カトレア、あなたの息子が私をイジメるのですけど! なにか言ってやってちょうだい!


「アズキ様――女は度胸でございます」

「カトレアぁ!? 女は愛嬌じゃありませんでしたっけ!?」


 まさかのカトレアの裏切りに愕然とする。

 そうだったわ。この二人、親子だった。コロコロと微笑むカトレアはウィルヘルムそっくり!

 あなたたち、苦しむ私を眺めて楽しんでいるわね……。


「ええい! 女は度きょ……あれ? 私、両手でお盆を持っているのでノックができません」


 これは好都合! ノックできないのなら仕方がありませんねぇ! よっしゃ!

 ……お盆は渡しませんからね。絶対に!


「では、僕がノックしますねー」

「え?」

「ウィルですー。ただいま戻ってまいりましたー」

「えっ! あっ!? ちょっ!?」


 コンコンとノックした瞬間、中の人の返答は必要ないと言わんばかりに即座に扉を開け放ったウィルヘルム。


 まだ心の準備ができていないのに!


 この悪質メガネめ……あとでぎゃふんと言わせてやる!


 開け放たれた扉の前で固まっていると、執務机に座って書類を読んでいたであろう黒髪の男性が、手元から顔を上げたまま私と同じく唖然と固まっていた。


 パチクリ、パチクリ、と私たちの視線がぶつかり合う。


 先に我に返ったのは夫のほうだった。ガタリと勢いよく椅子から立ち上がる。


「ア、アズキ妃!?」

「あの、はい……お仕事中にお邪魔致します、殿下」

「ど、どうしてここに……?」

「アズキ様。ささ、どうぞ中へ。散らかっておりますがご容赦ください。どこかの仕事バカのせいですので」


 混乱する私たちをよそに、ウィルヘルムは部屋の中に手招きし、私はカトレアに背中を物理的に押されて入室してしまった。


「「それでは、夫婦水入らずでお過ごしくださいませ」」


 あの、ちょっとぉー! どういうことぉー!?

 バタンと背後で扉が閉まった時にはもう手遅れ。カトレアとウィルヘルム親子は部屋から出て行ってしまった。

 執務室に取り残された私と夫――この状況をどうすればいいの? き、気まずい。


「あの二人の差し金か……。混乱しているだろうが、アズキ妃、まずは座ってくれ」

「あの、はい。失礼します」


 やはり年季が違う。混乱から立ち直る早さも、その後の諦観も。殿下に慣れが見受けられる。

 きっと昔から振り回されているのね。同情します。

 私は執務室のソファに腰を掛ける。殿下も対面に座り、


「で、どちらが言い出した? カトレアか? ウィルか? どうせオレを休ませるよう言われたのだろう?」

「ウィルヘルムです」

「あいつめ……! その様子だと厨房に押し掛けたようだな。すまない。次からは追い出してやれ。ぞんざいに扱っても構わん」

「いえ、ウィルヘルムは新作の和菓子をせびりに来ました」


 今度、新作和菓子を目の前で全部食べてやろうかしら。

 しばらく和菓子禁止令を出すのもいいかも。

 私、王太子妃だし? 偉い人だし? これくらい命令してもいいですよね?


「……食べたのか?」

「はい? 今なんと?」


 いつになく真剣な表情で殿下が言葉を繰り返す。


「ウィルは食べたのか? アズキ妃が作った新作和菓子とやらを――」

「え、ええ。美味しそうに食べていました」

「……そうか」


 神妙な顔つきで頷いた彼は、突如立ち上がって扉のほうへ歩き出した。


「あ、あの、殿下? いかがなさいましたか?」

「少し待っていろ。あいつのメガネを遠くに放り投げてくる」

「それは大変魅力的な――ゴホン! おやめください。私が放り投げられなくなります」

「大丈夫だ。予備はある」


 ならいいかも? 私の分があるのなら……って、そうじゃなーい!

 私は殿下を和菓子の沼にハマらせに来たのよ! ぜひ出来立ての和菓子を堪能していただかねば!


「殿下。先ほど私が作った和菓子をこちらにご用意しておりますので、ウィルヘルムのメガネを放り投げるのは後にしてくださいませ。素人の手慰みなところはご容赦ください」

「……アズキ妃の手作り、だと?」

「はい。殿下もウィルヘルムのように料理人が作った見た目も美しい和菓子がよかったですよね……」

「……いや、それでいい。そうか、アズキ妃の手作り……ならば後にしよう」


 扉に手を掛けていた殿下が、すぐさま戻ってきてソファに座る。心なしかご機嫌だ。


 あ、あれ? 予想以上の食いつき。そんなに食べたいの?


 そういえば、お忍びで厨房にいらっしゃったとき、餡子を美味しそうに召し上がっていたわね。

 もしや私が思っている以上に和菓子の沼にハマっている?


「こちらが今回作った和菓子になります。試作なので、味はまだ改善の余地がありますが」

「ほう? 団子か。団子を甘味に使うとは考えたものだ。餡子が乗った団子と……このタレはなんだ? 醤油の香りがするが」

「それはみたらし団子と言い、砂糖と醤油を煮詰めたタレになります」

「なるほど」


 殿下は興味深そうに串を手に取り、みたらし団子をパクッと食べる。

 しっかりと味わうようにゆっくり咀嚼し、名残惜しそうにゴクリと呑み込むと、


「……美味い」


 たった一言だけ賞賛の言葉を漏らて、残りのお団子を食べ始める。

 多くは語らないところが彼らしい。でも、その言葉を引き出せただけで私は満足。

 また新たに和菓子の美味しさを知ってくれたのだ。和菓子の布教を使命としている私にとって、これほどうれしいことはない。


「あぁ……もう食べ終わってしまった……」

「またお作りしますので」

「そうか。楽しみにしている。次は、餡子団子か……む! これも美味いじゃないか。団子と組み合わせることでこれほど化けるとは……。バタートーストにも合ったが、団子もいい……!」


 よしよし。いい感じ! 結構好感触じゃない!?

 相変わらず無表情だけれど、瞳が輝いている気がする。不味ければこんなに感心した声を出さないだろうし。

 殿下はあっさりと餡子団子を食べ終え、少し切なそうに次の和菓子を手に取る。


「それとこれは……餡子を包んだ餅か?」

「名前は大福です。外側は求肥と言いまして、白玉団子の生地に砂糖を混ぜて蒸したものになります。お餅とは違い、時間が経っても硬くりにくいです」

「ほうほう……おぉ。思ったより柔らかいな。だが、この柔らかさがちょうどいい。餅よりも弾力や粘り気が少なくて食べやすいぞ。これも実に餡子に合う……!」


 粒あんとこし餡の二種類の和菓子を用意していたけれど、殿下はどちらも美味しそうに完食してしまった。


「残り最後か……見たところ餡子を丸めたものに見えるが?」

「それはあんころ餅です。白玉団子を餡子で覆ってみました」

「なるほど。餡子を中に入れても美味いなら、外側で覆っても当然美味いだろうな。どれ……うむ、やはり美味いな。先に餡子の味がして、後から白玉団子が口の中に表れる。大福とは逆の食感か。だが、大福のほうが食べやすい」


 大福は手で食べれますからね。あんころ餅は箸や串を使わないと手に餡子がついてしまう。そういった点では、大福のほうが食べやすいと思う。


「このあんころ餅は串に刺してはいけないのか?」

「もちろんいいですよ。串に刺すとあんころ餅ではなく餡子団子という呼び方になりますが。今回はその……」

「試作だからか」

「いえ、単に面倒くさかったので……」


 誰にも言っていない裏事情をぶっちゃけた私を殿下はキョトンと見つめる。

『口の中で餡子と団子を混ぜちゃえばいいじゃない! 串に刺さそうが刺すまいが味は一緒!』と手間を省いただけなんですぅー!

 それに前世では団子に餡子を乗せただけの餡子団子も多かったし。多かったしぃー!

 私は何も悪くない!

 ……でも、せめて何か言って! お願いだから何か言って! 下手なフォローでもいいからぁ!


「……くくく! そうか。面倒くさかったのか!」

「わ、笑わないでください! 効率を求めたのです!」

「効率か……効率ね……くふふ!」

「わ、悪いですか!?」

「いいや、悪くない。悪くない、が……君にもそういう一面があるんだな、アズキ妃。初めて知ったぞ」


 むぅ! 私のことバカにしてる? 私だってサボりたいときはあります!


「殿下こそ、そんな風にお笑いになられるとは知りませんでした!」


 いつも仏頂面のくせにぃ!

 プイッと顔を逸らして怒っていますアピールをすると、すまんすまん、と目の端の涙を拭いながら謝ってくる。


 はぁ、もういいです。私たち夫婦だというのに、お互いのことを知らなさすぎです。


 知らない原因の大部分は、目の前でご機嫌そうな仏頂面殿下ですけど!


 お忙しいのは理解しているけれど、食事以外に喋る時間もないし、感情を出さない仏頂面だし……初夜のこともまだ忘れていませんからね! 言っておきますが、まだ好感度マイナスですから!


 政略結婚とはいえ、冷え切った関係でいたくない。もう少しお互いのことを知るために共に過ごす時間が必要だと思うのです。

 彼を見ていて、なんか言葉足らずなところがありそうな気がするし。


「……また和菓子を持って来てもよろしいでしょうか?」

「もちろんいいが……」


 だから『が』に続く言葉はなに!? 言いたいことはちゃんと全部言って!

 それだと渋々了承したと誤解しそうになるでしょうが!


「では、決まりですね。次は私の分も持ってきますので、一緒に夫婦水入らずでお茶休憩をしましょう。あ、その場合は事前にご連絡を差し上げますね! 今回のように突然押しかけてお仕事の邪魔は致しません」

「一緒に……夫婦水入らず……お茶休憩……」


 いやー、ずっと殿下が食べている姿が羨ましかったんですよ。


 和菓子を食べる姿を見せ続けられるとか拷問です、拷問。

 事前に訪問することが決まっていたら、試食を減らして私の分も持って来たのに、あのメガネぇ……。


 今回は夫婦の時間が上手くいったので許すとして、次やったら許さないんだから! 和菓子禁止令ですよ!


「ごちそうさま、アズキ妃」

「はい、お粗末さまでした」

「いや、全然お粗末じゃなかったぞ」


 長い時間お仕事の邪魔をするのはよくないので、そろそろお暇しようと思っていると、


 ――コンコン!


『ウィルヘルムです。ご夫婦でお過ごしのところ失礼致します。王妃サルビア様よりお手紙が届いております』


「母上から? わざわざ手紙なんて、いったい何の用だ?」


 訝しそうに手紙を受け取った殿下は、再びソファに座って封を切る。そして、中身を読んで、ため息に似た深い深い大きな息を吐いた。


「アズキ妃。君も読んでくれ」

「よろしいのですか?」

「君にも関係がある。というか、全部わかっていてあの人は手紙これを送ってきたのだろう」


 いったい何がかかれているのだろうか、と恐る恐る手紙を読む。


「……え?」


 ――要約すると、それは『王妃様からのお茶のお誘い』だった。



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