アズキ妃の雅な甘味 ~異世界王宮で和菓子作りを始めました~
ブリル・バーナード
第1話 結婚初夜
「――君を抱く気はない」
結婚式を済ませたその日の夜、いわゆる初夜に、夫となった男性に私は拒絶された。
そりゃ私たちは政略結婚で、顔を合わせたのも両手で数えきれるくらいだし、一対一で喋ったのもほとんどないし、お互いのことをよく知らないけれど、不安やちょっとした恐怖を押し殺して初夜を迎えようと頑張って体を清め、身だしなみを整え、緊張で震えながら寝室で待っていたというのに、やってきた夫は開口一番に女の努力と覚悟と
よく知らない男性と夫婦の契りを行なわなくていいという安堵。そもそも女として見られていないという謎の敗北感。それらのごちゃ混ぜになった複雑な感情が一気に押し寄せてきて、最終的にムクムクと膨らんできたのは、彼に対する『怒り』だ。
「今日は一日、式で疲れただろう。オレはこのまま自室に戻るから、君は体を休めるといい」
艶やかな濡れ羽色の黒髪。切れ長の黒目。鋭利な刃物を連想させる端正な顔立ち――声音には、人に命令することに慣れた者特有の傲慢さに似た横柄な響きがあった。
決して感情を表に出さない無表情と氷のような冷たく鋭い眼光で告げられたら、彼に逆らうことは難しいと思う。それくらい夫には圧倒的な威厳と風格とカリスマ性がある。
でも、沸々と心の内に怒りを煮えたぎらせた私は、半ばムキになって感情のままに反論した。
「いえ、私は疲れておりません。なので早急に御身の義務を果たすべきです、キョクヤ・トワイライト王太子殿下」
「……なに?」
まさか反論されるとは思っていなかったみたい。わずかに目を見開き、若干不機嫌そうに私を射抜く。
心の内側まで見透かされてしまいそうな瞳の輝き。
せっかく端正な顔立ちをしているのだから感情を表に出せばいいのに。無表情、いやむしろ仏頂面だから非常にもったいない。これならば恐れられることはあっても、相手に好感を抱かせることはないはず。
それは次期国王としてどうなのだろう? 妻となった私に対しても失礼だし……。
よし、これから心の中で仏頂面殿下と呼んであげる。女のプライドをズタズタに引き裂いた罰です! 謝ったってそう簡単に許しませんから!
「今から君を抱けというのか?」
「ええ、王太子としてそうすべきです。私とはそのために結婚したのでしょう?」
彼はこの国、トワイライト王国の第一王子にして王太子のキョクヤ・トワイライト。こう見えて次期国王。
そして、彼に嫁いだ私は王太子妃であり、未来の王妃。名前はアズキ。
柔らかな小豆色の瞳とゆるふわな長い髪を持ち、容姿はまあまあ良いほうだと思う。痩せてもなく太ってもなく、体重は……まあ、概ね胸の影響が大きい、はず。たぶん。おそらく。きっとそう。そうに違いない。
ちなみに今日、この仏頂面殿下と結婚するまではダイナゴン男爵家の長女だった。
ダイナゴン家は、代々男爵位を賜り、トワイライト王国の東部『和州』の端も端、なんの取り柄もない土地のド田舎貧乏領主。しいて言うなら特産品が小豆くらい。
ほぼ庶民同然の田舎貴族の娘が王太子と結婚だなんて、なんというシンデレラストーリーなのか。当事者の私も驚きを隠せない。
実は今も現実感がないのよね……。夢なら早く覚めて欲しいわ。
話を戻しましょう。
物語のようなシンデレラストーリーに国中が大いに盛り上がったのは言うまでもない。というか、現在進行形でお祭り騒ぎ。王宮まで城下町の賑わいが未だに風に乗って届いている。
……盛大に開かれた結婚式の当日なんだから仕方ないわよね。
もう既に私たちの結婚が恋愛小説や劇にもなっていると聞いた。本物のシンデレラストーリーということで、特に女性からの人気がすごいらしい。
でも、私は思う。
――なんで私なのっ!? 王太子殿下と接点皆無でしたけどっ!?
領地からほとんど出たことはなく、王族主催のパーティーに出席するなんてもってのほか。仏頂面殿下のことは遠目に数回見たことがあるくらい。
たった一度だけ、何故か王宮に呼び出されて面接みたいなものを受けたけれど、それは他の令嬢も大勢受けていたし、恋愛に繋がる甘いものは一切なかった。
なのに突如、王宮から婚約打診(ほぼ強制)の知らせが届き、当然ド田舎貴族が逆らえるわけもなく、とんとん拍子で婚約が結ばれ、気づいたら半年もせずに結婚式を挙げて、今に至る。
誰からも選ばれた理由を聞いていないのよね……。
なんで私? もしかして殿下の一目惚れ? って、まさかね。ないない。この仏頂面殿下に限ってあり得ない。
「君の言う通り、オレは王族として、王太子として、未来に血を残す義務がある。が、別に急ぐ必要もないだろう。繰り返し言うが、オレは君を抱くつもりはない」
「……では、なぜ私だったのですか? なぜ私を王太子妃に選んだのですか?」
「そうだな……いろいろあるが、決め手はこれだな。『オレに何も求めなかったから』だな」
「……はい? 何も求めなかったから私を選んだ、と?」
「そうだ。伴侶探しのために令嬢との面談を実施した際、多くがオレに媚び、誘惑し、己の、ひいては実家の権力を強めようと言葉巧みにアピールする中、アズキ妃、君だけが何も求めなかった。だから選んだ」
……うん。まったく理解できないし、納得できませんけど!
そんな私を見て仏頂面殿下は、フッと嘲笑うかのように薄く笑った。
くっ! なんか腹が立つ! 無駄にイケメンで一瞬見惚れてしまったのが悔しい!
「王太子の妃という地位には、実は何も権限はない。最初はお飾りの地位だ。己の有用さを知らしめて初めて権限が与えられる。しかし、素人であるにもかかわらず、国の人事や財務、さらには
呆れたぞ、と仏頂面殿下が深いため息をつく。
え゛っ? 他のご令嬢は国政に口を出そうとしたのっ!? 嘘ですよね!?
ダイナゴン男爵家の領地経営に私も少し携わっていたからわかるけれど、あれは決して素人が好き勝手していいものではない!
領民の生活を、そして命を左右する重要なものだ。政策の一つやちょっとした決断にも責任が伴う。それが政治というもの。
小さな領地でも大変なのに、ましてや国の政治なんて、正直、想像もしたくないし、関わりたくもない。
なのに政治の『せ』の字も知らない素人の令嬢が関わろうとする……率直に言うけれど、バカなの? アホなの? 学園で何を学んでいるのかしら。
思わず絶句したじゃない。王太子妃に選ばれなくて当然ね……。
信じられない、という表情を浮かべた私に仏頂面殿下は満足そうに頷き、好機とばかりに愚痴を漏らす。
「軍の再編を行ないたいと言われた時は、正気を失ったぞ。ちなみに、騎士団にも軍にも所属したことがなく、実戦経験も乏しい、学園を卒業したばかりの小娘……おっと失礼。麗しいご令嬢の発言だ」
「……嘘でしょう?」
「嘘ではない。事実だ。名前は言わんが、代々騎士団や軍関係者を輩出する貴族の娘で、親に命じられたのもあるだろう。しかし、あの『自分は間違っていない』と確信、いや盲信した顔つき……『若さ』とも言えるのだろうが――」
「そこは『愚か者』と言い切ってくださいな……」
「ふむ。やはり君を選んだのは間違っていなかったようだ」
仏頂面殿下がため息をつきたくなる気持ちもわかる。
危うく国がダメになっちゃうところだった。
殿下がまともでよかった……。
「礼儀作法を身につけ、挑発されても煽られても馬鹿にされてもおっとりした笑顔で受け流し、でもちゃんと相手に合わせて受け答えができ、物腰が柔らかく、教養もあり、そして何の裏もなく『何も求めない』とオレに言い放つ男爵家のご令嬢がいたら、そりゃ囲い込むだろう?」
「……理解しました。私は御しやすくて都合のいい女だったというわけですか」
「王太子妃、ひいては次期王妃に相応しいと言え」
はいはい。そういうことにしておきます。
私が妃に選ばれた理由は理解しました。でも、初夜を断る必要はなくない? 都合のいい……ゴホン、妃に相応しいのならば、なおさら夫婦の契りを結ぶべきじゃないの?
「アズキ妃。君が王太子妃として振舞ってくれるのならば、それ以上オレが要求することはない。好きに過ごしてくれ。初夜を一緒に過ごさないことは謝る。その代わり、一つだけ君の要求を何でも呑もう」
「何でも、ですか?」
「オレの権限の範囲内であれば、何なりと」
では、夫婦の契りを――と反抗心で述べようとしたけれど、やめておく。
私も乙女の端くれとして、甘く愛を囁かれたいという願望がある。
ムードもへったくれもないこの状況でやる気のない相手と初夜を迎えても後悔するだけだと思うから……。
「今は何も思いつきません。少し待っていただけますか?」
「いいだろう。もともとそのつもりだった」
微かに表情を緩めた、けれどまだ仏頂面な殿下は、部屋の扉のドアノブに手を掛けると振り返り、
「ではアズキ妃。オレはそろそろ自室に戻る。君はゆっくり休んでくれ。おやすみ――」
「……はい、おやすみなさいませ」
軽く頷いた彼は颯爽と部屋を出ていき、静かに扉が閉まる。
「…………」
新婚初夜の夫婦の寝室に、たった一人残された哀れな花嫁の私。
夜の冷たい静寂が辛くのしかかり、自分が惨めに思えてくる。
そんなに私って魅力が無いの?
愛のない政略結婚だから覚悟はしていたのだけど、やっぱり少し辛いわね……。
「はぁ、寝よう……」
魔導灯の明かりを消してベッドにパタリと倒れ込み、独り寂しく不貞寝を決め込む。
キングサイズの広い夫婦用ベッドが、余計に孤独感をあおった……。
――そして、私は夢を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます