第7話 陸の王子

 

 例の王子はそれから半月もたたずにやってきた。

 わずかな共人ともびとだけを引き連れてきた王子は、日の光の元で見ると、なるほど確かに端麗な容姿をしていた。

 王族の特長であるヘーゼルナッツのような甘い褐色の髪に柔らかな白い肌。顔立ちは華やかで、品の良さを感じさせるが、くしゃりと微笑めばたちまち人なつっこい魅力を帯びる。

 今回は均整のとれた体を貴族子弟風の装いで身を包み、腰には精緻で華やかな装飾を施された剣を帯びていた。


「やあ久しぶりだね、泉の妖精。また会えてうれしいよ」


 本当にこの人だったかしら、と内心首を傾げたアーシェだったが、王子の柔らかくまっすぐな声とその言葉に、あのときの青年だと確信した。

 若草色の瞳をいたずらっぽくきらめめかせて屈託のない笑顔で差し出された右手を無視し、アーシェはせいぜい完璧な淑女の礼をして見せた。


「先日の舞踏会ではご無礼をいたしました。トヴィアス殿下。我がスフェラ商会に興味を持ってくださったこと、誠に光栄に存じます」

「そのような他人行儀はやめてほしい。今回、私はお忍びで着ているのだよ。気軽にトヴィとでも呼んでくれ」

「殿下の願いでありましたら」


 あくまで他人行儀に応じるアーシェに、王子は困ったように眉尻を下げた。


「なあ、やはり突然手紙を出したことを怒っているのかい? あの泉ではあれほど気楽に話してくれたのに」

「それは……」


 あなたの身分を知らなかったからです! とよっぽど言いたかったが、それだけでは許してくれなさそうだ、とアーシェは捨てられた子犬のような顔をするトヴィアスを見て思った。


「今の私は旅行中の放蕩貴族のトヴィ・マルタンだ。

 君の話す海と海生石を実際に見てみたくてたまらなくなったんだ。ぜひ、聞かせてくれた君に案内してほしいと思ったし、できればあのときのように気楽に話してほしい」


 それなら、王子の名で連絡など取ってほしくなかったと思ったが、若草色の瞳はうそを言っているようには見えなくて、アーシェはふうと息をついてあきらめる。

 あまり、我を張って機嫌を損ねられても困るし、アーシェも泉で過ごした時間はそれほど印象が悪いものでもなかった。


「わかりました。適当に崩しますのでそれでお許しください。トヴィ様」

「ありがとう! 泉の妖精!」

「やめてください、妖精は」

「ではスフェラ嬢、早速街を案内してくれ!」

「いえ、でもついたばかりでお疲れでは」

「いつものことだからな、いつ正体がばれてとんずらしなければならないかもわからん。見れるときに徹底的に回っておくのが習い性なのだ。ああ、体力のことなら問題ない、放浪癖は伊達ではないぞ!」


 いや、そこは胸を張っていう事じゃないだろうと、アーシェはあきれた。わくわくと言わんばかりに若草色の瞳を輝かせる王子の姿はまるで子供で、年上のはずなのにおかしくて思わず吹き出す。


「わかりました、では参りましょう」


 アーシェはここからが本番だと気を引き締めつつ、王子の求めに応じたのだった。








 王子の滞在は長くても1週間ほどらしい。

 父に言明されたのは、店の評判を落とさず、できるだけ満足させて穏便に帰っていただくこと。

 そして、王子と二人っきりにならないことだった。


 気が狂わんばかりに気を揉む父ほどアーシェは心配してはいなかったが、それでもそう言う雰囲気を感じさせれば気を逸らす方法をいくつか考え、綿密に案内の計画を立てていたのだが。

 どうやら杞憂のようだった、と、ここ数日王子につき合っているアーシェは思った。

 なにせ、王子が出歩くときは偽装してはいるものの護衛役の共人が必ず一人はついているし、当の王子ははしゃぎ回ると言うのがぴったりくるほどの満喫ぶりなのだ。


 はじめは街をぐるりと見て回り、海の街特有の真っ白な壁と真っ青な屋根を高台からほれぼれと見ているかと思えば、郷土史や昔の古文書を読みたいとなどと言って領主に掛け合ったり、神殿を訪問して一日を過ごしたりもする。

 アーシェも早くおかえりいただこうと、地味なはずの海生石の加工の現場に案内すれば、目をきらきらとさせながら職人を質問責めにして怒らせ、粗野な漁師たちの中に置き去りにしてみれば、なぜか酒盛りをして仲良くなっている。

 さらにはアーシェの父と海生石の販売について熱烈に議論を交わし、百戦錬磨の商人である父ですらうならせていた。


 そんなわけで、本当にアーシェは案内とつなぎ役に徹しているだけだった。

 子供のように見るものすべてに感心してみせる王子はおもしろくもあり、気さくで飾らない王子の人柄は好もしいと感じるくらいにはなっていた。




 今日は海生石の選別の現場を訪れて働いている娘たちをパニックに陥れた後、港のほうへ行くと、ちょうど船が帰ってくる頃に出くわした。


 船長はいつも世話になっている男だったので、アーシェは足を止める。


「おう、アーシェ! そいつが噂のどら息子か!」


 どうやら噂が巡り巡って妙なことになっているらしいと苦笑しつつも、ちらりと王子を見上げてみれば、案の定怒ることもなく、もっともらしくうなずいていた。


「いかにも。遊行の旅で立ち寄らせてもらった、トヴィという。主人は漁の帰りか」

「おうよ。と言っても俺っちは船を出すだけだがな。海生石の潜り手の運搬役だ」


 いいつつ見れば、トキをはじめとしたアーシェも顔見知りの女たちがぞろぞろと降りてくるところだった。

 彼女たちは、一様に見目麗しい王子を見て頬を染めている。


「おや、ずいぶんな色男がいるねえ」

「トキさん、今日はどうだった?」

「まあまあかね。やっぱりあんたがいないと大収穫ってほどにはならないよ」


 苦笑しつつ、大事そうに海生石を入れるための布袋を開けて見せてくれたが、その中にはかろうじて小指よりも小さい石が数粒入っていた。

 これでも腕利きのトキだからこその収穫で、ほかの女たちは苦笑しつつ首を横に振っていた。


「今日は海の機嫌も良くなかったがな、アーシェ今度はいつ潜れるんだ」

 普段、渋々乗るのを許可してくれる船長がそんなことを言うのだから、よっぽどの事だ。


「私も潜りたいけど、いけるようになるには後数日はかかるわ。それまではお預けね」


 そう言えば、クラーケンにはまたしばらくこられないと伝えていたが、どうしているだろうか。

 本当は今すぐにでも潜ってクラーケンに会いに行きたいけど、こればかりはこの隣の王子次第だ、と肩をすくめつつ視線をやる。

 すると王子なぜかはわくわくと言わんばかりに若草色の瞳を輝かせていた。


「その海生石の採集に、私も同行させてもらえないだろうか」


 うわ、とうとう言い出したか、というのがアーシェの正直な感想だった。海生石の選別も、加工も、装飾も、試してみたいと自分で手を伸ばしていたのだ。

 はじめこそ面食らっていた職人たちも、王子の天真爛漫な人柄となかなか器用にこなす腕に打ち解けていたものだった。

 案の定面食らった様子の船長とトキが顔を見合わせる中、珍しく王子の共人が顔をしかめて苦言を呈してきた。


「若、さすがにそれは危険では……」

「いいだろう? 海生石がどのようにとれるか見てみたいのだ。危険というならばマンティコア退治のほうがよほど危険だっただろう」


 共人が押し黙ると、王子はアーシェに言った。


「なあ、あなたは潜り手をしていると言っていたではないか。私はあなたの仕事する姿も見てみたいのだ。船長よ、同行を許してくれまいか」

「俺は別にかまわないが。潜り手の仕事を見てみたいなんて奇特な事を考えるなんざおもしれえし。だが、ほかの潜り手は……」

「あたしたちもかまわないよ。こんないい男が見てるんなら、張り切らずにはいられないしね」


 船長とトキたち潜り手がうなずくのに、アーシェはあきらめて、期待に顔を輝かせる王子に向かって言った。


「トヴィ様、潜り手は特殊な技能を使いますから、まずは適正を見なければなりませんし、多少の訓練は必要ですよ。大前提ですけど泳げますか?」

「うむ、水練は毎年湖でやっているから泳ぎはそこそこ得意だ。そうと決まれば今からやろう。よろしく頼むぞ、師匠!」


 満面の笑み喜ぶ王子の傍らで、共人が深くため息をつくのが聞こえ、こんな主だったら苦労するだろうな、とアーシェは同情の念を覚えたのだった。


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