第6話 風雲






「たーだーいーま――! クラーケンッ!!」


 なにが何でもと思って潜った先で青紫の触腕を見つけたアーシェは全力で抱きついた。


「久しぶりに潜ったからたどり着けるか心配だったけど、よかったあ」

《また無茶を》


 いつも通りのあきれ声すら懐かしい気分ですり寄れば、触手がくるりと腰に回され、いつもの塔へおろしてくれた。


「もう、聞いてよクラーケン! 父様ってばうそついてたの! 舞踏会だけって言っていたのに、私のお見合いを仕組んでいたのよ」

《見合いか?》

「そうっ! ドレス持ってませんって断ろうとしたら、ドレスもアクセサリーも押し付けられちゃったし。観劇とか音楽会とか連れ回されるのに、お芝居を観る暇もなく都での流行がどうとかしゃべられて! 適当に相づち打ってなんとかしたけど、面倒でしかたなかったわ」


 悪い人ばかりではなかったが、それでも心は動かされない。

 いつものごとく徹底的に海談義をしてやれば顔をひきつらせて、先方から断りの連絡を入れてくれた。

「また噂が広まって嫁の行き手がなくなる」と父には頭を抱えられたがかまうものか。

 アーシェは憤然としてみせたのだが、クラーケンの触手からは、眉をひそめるような、感心しない気配が伝わってきた。


《父君はただ、君に人として幸せになってもらいたいだけだろう。そう邪険にするものではない》

「それくらいわかっているわ。来る人来る人海のうの字も知らないような都会の人ばかりだったのよ。 そっちに興味を持たせようとする魂胆が見え見えでムカつくのよ。わたしにはクラーケンが居るのに!」

《アーシェそれは……》


 クラーケンの咎める気配でアーシェははっとして、あわてて言い募った。


「勘違いしないでっ。もちろん、あなたに会えなくなるのがさびしいって言うのもあるわ。でもね、それと同じくらい私はこの海が好きなの、大好きなの! だから私はこの海で生きていくことを許してくれない人とは結婚したくない」


 まあ、それでもクラーケンより良い人が見つかるとも思えないから、一生独り身なんだろうなあとは思うけど、それもまたよしと思えた。


《だが、アーシェ。人は血のつながりを尊ぶのだろう》

「そりゃあ父様を悲しませるのは気が咎めるけど、私は今のままで幸せなのよ。幸せなら、いつかは父様も許してくれるわ」


 父は意外とアーシェに甘いのだ。

 何だかんだいいつつも、アーシェが商会の仕事や教養のためのお稽古さえこなせば、海に潜らせてくれるのがその証拠でもある。

 男手一つで育ててくれたことに感謝をしていないわけではないから、結婚以外のことで恩を返していけばいい。


《人の男を良いとは思わなかったのか》

「全然。わざわざ自分から求婚しに来た人も居たんだけど、そう言う人は私が海に潜って居るって言うだけで眉をしかめてやめなさいって言うの。働くなんてとんでもない。海はとても危険な怪物が居るのだからって。君の美しさが万が一にも損なわれたらどうする。って大まじめに言うのよ! あんな奴らこちらから願い下げよ」


 アーシェのことをきれいなだけのお人形と勘違いしているようで、どんどんさめていったものだ。

 そこまで言ってから、ふと、城の泉での夜のことを思い出した。

 あそこで出会った青年は、アーシェが海で働いていると知っても眉をひそめなかった。

 むしろそれどころか――……


 突然、柔らかく頭に触腕の先が乗せられ、そっと髪をなでられた。

 細心の注意が払われた優しい仕草に、アーシェの胸は跳ねた。


「な、なに?」

《慰める時は、頭をなでるものなのだろう》


 その思念にはっとした。

 アーシェがほかの思考にとらわれて沈黙したのを、求婚者たちの態度と言葉を思い出して落ち込んだのだと解釈したのだろう。

 頭上に見える銀の瞳が案じるように揺らめいていて、顔が勝手に熱くなった。

 ずっとそんな風に見つめられていたなんて、恥ずかしい。

 でも、だから、好きなのだ。

 時折触腕の加減が間違えられて、首がちょっと持っていかれそうになるが、天にも昇るような気持ちだ。


「ありがとう、クラーケン」


 アーシェは熱くなった頬もそのままに、うっとりと微笑んだ。





**********





 クラーケンとの久方ぶりの逢瀬を楽しんだアーシェが足取りも軽やかに家に帰ると、待ちかまえていた父親に呼び止められた。


「アーシェ、また海へ行ったのか」

「ええ、そうよ。だって2週間もお休みをもらってしまったのだもの。その分のめいっぱい働かないと」

「だから、おまえが働く必要がないんだよ」


 父のおきまりの台詞に、アーシェはまたかとうんざりした気持ちで顔をしかめた。

 

「働くにしてもな。商会の長の娘としての仕事と言うものがあるんだよ」

「それって、花嫁修業とか、ほかの商会の奥様や貴族のお得意さまとのお茶会とかって事?」

「そうだ、舞踏会の時はそれは良い役割を果たしてくれたよ。おかげで新規の注文や取引が入ってきている。なあ、アーシェ。働くしたって商会の事務処理と言う道もあるんだ。おまえがわざわざ危険を冒して海に潜らなくても」

「あら、私以上に大きさも質も一級品の海生石をとれる潜り手が居るの?」


 父親はぐっと言葉を飲むのにアーシェはさらに畳みかける。


「確かに私は商会に貢献したいし、父様の役に立ちたい。でもね、私にだってやりたい仕事とやりたくない仕事というものがあるの。私に潜り手はやりたいこと。社交はやりたくないことの最たるものだわ」

「だが、おまえは私の娘で、ゆくゆくはこのスフェラ商会を……」

「おじいさまは潜り手だったおばあさまを見初めて結婚したわよ。おばあさまは結婚した後も潜り手を続けたわ。その孫の私がどうして許されないの? それに、商会を継ぐのならトーイがいるじゃない。商会を切り盛りするなら、男の子の方がいいんでしょ」


 弟のトーイはアーシェから見ても素直で利発な子だ。仕事に興味もあるようだし、将来はきっと良い商人になるだろう。


「確かにそうだが、トーイはまだ幼いわけで……」

「それに、スフェラ商会は海生石全般の取引で成り立っているわ。なら、主力商品の海生石を捕ってくる潜り手や船長の気持ちが分かっていないといけないでしょ。ほら、私が潜り手をしているのだって商会の為になってるわ」

「ええい、ああ言えばこういう! そう言うところは母さんにそっくりだ!!」

「じゃあ、もういい? さすがに疲れたから、ちょっと寝たいのだけど」


 何せ、今日は約束していた一刻を半刻ほど超過して船長にどやされてきたのだ。その分、大降りの海生石を二つ渡しても渋々と言った感じだった。

 あくびをして自室へ行こうとするアーシェを、頭をかきむしっていた父が珍しくさらに呼び止めた。


「いや、本題がまだだ」

「なあに?」

「おまえ、一体どこで殿下と知り合ったんだ?」

「え?」


 その言葉が理解できなくて、アーシェはおもわず振り返った。


「殿下って、どの殿下?」

「この国の第二王子トヴィアス・ド・ザサール殿下だよ。ついさっき封書が届いてな。お忍びで国の特産物である海生石の視察がしたいとのことだ。ひいては、紹介してくれたスフェラ商会の娘、アーシェに案内役を頼みたい。と」


 苦々しげな顔の父の説明でアーシェはようやく理解がおよび、顔をゆがめた。


「心当たりがあるんだな」

「舞踏会の時に、会場を抜け出して庭を散歩したの。泉で休憩していたら妙な男に声をかけられて、話はしたわ」

「なっ! 夜の庭は恋人や、男女の逢い引きの場だぞ! おまえ、そんなふしだらなことを……!!」

「妙なところをつっこまないで。そう言うまずそうなところは避けたし、なにもなかったからっ」


 目をつりあげる父親に、あわてて言い募ったアーシェは、泉に足をつっこんで遊んだあげく、その男に素足を見られたとは絶対に言えないなと肝に銘じる。

 上流階級を相手にすることが多いせいか、父の道徳観は古風なのだ。


「で、海生石についての話になったから、ついセールストークしちゃったんだけど。そしたら海生石がどうやって採られているか知らないって言うもんだからあきれちゃって。見てみたいっていわれたから、じゃあうちに声をかけてくださいって言ったような気がする」

「……おまえ」

「や、だって社交辞令で言うでしょう!? 顔はよく見えなかったけど結構良い服着てるのはわかったから、もしかしたらお客にできるかも!って思ったらむげにできないし!」

「よりにもよって、この国の王子がそれを真に受けたぞ」


 にがり切った顔の父がため息をついて続ける。


「トヴィアス殿下は好奇心旺盛で少々放浪癖があるのが玉にきずだが、文武両道、悪い噂も聞かん。だがうちは国に貢献しているとは言え、ただの商家だ。変に見初められでもしたら妾にされるしかないぞ」

「何で私が見初められる話になっているのよ。ただ海生石に興味を持っただけかもしれないじゃない」

「おまえ、自分の顔を鏡で見てからその言葉をもう一回言いなさい。おまえの海狂いを知らぬ商会や貴族の家からいくつ縁談話が来ていると思っているんだ」


 頭痛がすると言わんばかりの父にアーシェはむっとした。

 確かに、アーシェは自分が見とれられるほどの美貌らしいと自覚はある。初めて会った人に軒並み10秒ほど固まった末にお美しいと言われれば、そりゃあいやでも自覚するものだ。

 だが、父は肝心なことを忘れている。


「ねえ、でも今回は夜の闇の中で、私の顔なんてほとんどわからなかったはずよ。心配しすぎだわ」

「……つまり今回初めておまえの顔を見て恋に落ちるという可能性もあるんだな」


 すかさず切り替えされ、アーシェはぐっと息を詰める。

 それなりに身に覚えのある話だったからだ。

 父は深いため息をついていた。


「とりあえず、相手は王族だ。期待というものを断るわけには行かないから、今回の案内はおまえに任せる」

「わかった。……でも千年の恋も冷めるように、徹底的に王子様に幻滅してもらえるように案内するわ」


 アーシェが決意を持って宣言すれば、意外にも父はうなずいた。


「ああ、そうしてくれ。殿下に粗相のない程度に、おまえの領域を見せてやりなさい」

「やめてくれっていわないの? 一応王室御用達になれるチャンスかもしれないのに」


 スフェラ商会の取引は国外の商会が多く、国内の販売ルートがぜい弱だと父が頭を悩ませていたのを知っていたから驚いた。


「確かにそうだがな。その肩書きがなくとも、スフェラ商会は十分な収益をあげられている。それにおまえは王城にだって出しても恥ずかしくない教育をしているが、苦労するとわかっている場所に嫁に出したいとは思わんよ」


 早口で言う父に、アーシェはぎゅっと心臓を捕まれたような気分になる。将来についてで対立することが多くなったとは言え、父は父なりに精一杯アーシェの幸せを考えてくれているのだ。


「ありがと、ね」

「疲れているのだろう、もう休みなさい」


 アーシェはいかに王子を穏便に追い返すかを考えながら自室へ引っ込んだ。


「だが、闇の中で会ったというのなら、アーシェの容姿を見たわけではないのかもしれん。それで社交辞令とわかっていて要請してきたのなら、やっかいだな……」


 だから、その場に残った父が、ぽつりとつぶやいた言葉は知らなかったのだ。

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