生贄鬼譚

道草家守

起、生贄鬼譚

壱、

 ゴトリ、という音とともに不安定な揺れがなくなったことで、少女は目的地に着いたことを知った。

 真っ暗な籠の中で待つこと少し。

 人の気配の無くなったところでそっと籠にかけられていたこもをあげると、晩秋とはいえ冷たい風が上等な白い着物の袖口や裾を通り、肌を突き刺していく。

 だが、凍えそうな冷気を少女は気にも留めず、祭儀場に降り立った。


 七年に一度の夜にしか使われることのない、村からも距離がある山中の奥に作られた石作りの祭儀場は、四隅に点された蝋燭の灯台によってわずかばかり照らされている。

 だがそれも夜の闇を退けるには頼りなく、周囲を囲む木々はこの場で何十年と繰り返された事を象徴するかのように不気味な影を立ち昇らせ、いっそ重苦しささえ感じるようなどろりとした闇を孕んでいた。

 空には辛うじて弓張り月が昇っていたが、陰鬱な雲によって半ば隠されている。

 少女はしびれるように冷たい祭儀場の上を白足袋一枚で歩き、中央にしつらえられたござの上に膝をそろえて座った。


 その前にはちょうど少女が一人寝転がれそうな大きな板と、脇には少女の腕ほどはあろうかという、だが形だけはよく知る刃物が置いてある。

 わかってはいたことだがあまりにもあからさまなソレに、少女はこんな時なのに苦笑を禁じ得なかった。


 それは、大きさこそ違えどよく見慣れ、使い慣れた道具。


 食材を置くためのまな板と、刻むための大包丁だった。

 ならば、そこで刻まれる食材は何か。その前に座る少女しかいない。


 少女は、村に祭られた神にささげられる、贄だった。









 *********









 村にその神が現れたのがいつなのか、少女は知らない。

 だが、この手順が決められてから少女で七代目だと聞かされていたから、少なくともそれ以上は昔、ということになる。

 村に伝わる謂れではこうなっている。




 昔、村の貴重な水源だった川が枯れてしまった年に、白い毛並みに赤々とした顔をした大きな狒々ひひが現れた。

 狒々は、自分を神とあがめ娘を一人捧げれば枯れた川に水を呼んでやろうと言い、困り果てていた村人がその通りにすると、たちまち川は元通りになった。

 以来、狒々は村の守り神として村近くの山に社を作らせ、村人は言われるがまま、七年に一度村の娘を差し出すようになったのだ。


 贄となった娘の中に、帰ってきた者はいない。

 祭りの後の片づけは男衆の役目だから、具体的にどうなるのか女子供には知らされていない。

 だが、成人して初めて祭りに参加した青年が、真っ青な顔をして帰ってくることも、男たちの服に赤い跡がついていることも、娘の末路をたやすく想像させた。


 さらに少女は、男衆でさえも知らないことを知っている。

 なぜならば見ていたのだ。七年前の儀式を。

 まさにこの場で切り刻まれる娘の姿と、それを喰うおぞましい神の姿を。


 その年、ささげられたのは少女を妹のようにかわいがってくれていた娘だった。

 七年前の少女は年も二桁に届かぬほど幼く、”生け贄”というのがどういうことか、全く理解していなかった。

 だから、娘に涙を流して別れを告げられ、周囲の大人に二度と会えないのだと言われてもわけがわからない。

 娘の載せられた籠は、神のいる山中の祭儀場へ行ったという。

 普段は立ち入ることを禁じ、村人も忌避してめったなことでは近づかないそこに、少女は内緒で何度も遊びに行っていた。


 行って帰ってこれる場所なのにどうして帰ってこれないのか。

 そこで、何があるのだろうか。


 不思議で仕方がなかった少女は好奇心も手伝い、娘を迎えに行ってあげようと、両親や村人のスキをついて山中の祭儀場へ先回りし、一際茂った木の上に身を隠したのだ。


 そこで見た出来事は、七年たった今でも脳裏に焼き付いて離れない。


 真っ先に思い出すのは、落とされた首の虚ろな表情。

 獣を捌くように手足を切られた娘のなれの果てをさも旨そうにぼりぼりと喰う、大きなナニかの鈍く光る丸い目。

 猿に似たナニカのところどころ赤く染まった白い毛皮を、生臭い風と、鉄さびのにおいの中、がたがたと震えて見ることしかできなかった。


 あの後、どうやって帰ったのかよく覚えていないが、家を抜け出していたこともばれず、あのおぞましい情景は少女の心に封印された。


 夜ごと悪夢にうなされながら少女は年を重ね、また、祭りが近づいていた。

 贄になった娘は、16だった。祭りの年には自分も16になる。

 ならば次にささげられるのは自分だろうと、時が経つにつれ少女はそう思い込むようになった。


 選定は神籤みくじで決められる。同じ年頃の少女も何人かいた。

 だが、少女は覚えていた。

 あの忌まわしい儀式を求めた神が木の上にいる少女に気付き、濁ったまん丸い目を弓なりにして笑ったことを。

 そして、こう言ったのだ。


『次はおぬしにしてやろう』


 その言葉が頭から離れず、少女はその通りに神籤みくじで選ばれ、こうして娘の喰われた祭儀場に座っている。






 **********





 寒さだけではない体の震えを抑えるようにぎゅっと体を抱きしめた。

 逃れようとすれば殺される。

 数十年前、狒々を倒そうと呼び掛けた村の青年が細い針のようなもので全身を突き刺された上、真っ二つに引き裂かれた無残な姿で見つかって以来、村の古老達は逆らうと考えることすらやめた。

 何より、少女が逃げれば村の水源が枯れてしまうのだ。

 選ばれた時、村人や両親にまでこんこんと諭され脅され、懇願された。


 逃げるな、逆らうな、お前が行かねば誰が行く。

 村のために死んでくれ。

 そこに一片の慈悲はなく。


 残された道は酷く険しく、無慈悲だった。

 これが自分にとって最良だと言い聞かせ、寒空の下ひたすら待つ。

 少しでも落ち着くために深く呼吸をする。


 それを数度繰り返していると空気に生臭い獣の匂いが混じり、忘れようにも忘れられないその匂いにソレが来たことを知った。

 密度を増し、息苦しささえ感じるような粘つくような重い気配が祭壇を満たす。

 そうしてどしりどしりと大きなものが動く足跡とともに、蝋燭の炎をゆらめかせてソレは現れた。


 大きさは八尺(約3メートル)ほどだろう。猿を何倍もたくましくしたような姿とくすんだ白い体毛に覆われた見上げるような巨躯の狒々は、しわくちゃで酔っているかのように真っ赤な顔に埋まった鈍く光る丸い相貌で座している少女に気づくと、長い唇をまくりあげて笑った。


「おう、おう。作法通り、座して待っておるとは感心なことじゃ。

 最近の娘子は籠の中で気を失のうてばかりでつまらんかったからのう」


 しわがれた声でひとしきり笑った狒々は、まな板の傍らに置いてある酒甕さけがめに気付くとしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして喜びをあらわにした。


「今年は気が利くことだのう。どれ、喰う前に一杯やるか。―――おい娘、近う寄れ」


 それなりに広さがあると思っていた祭儀場に狒々が上ると急に手狭に思えた。

 狒々はのろのろと立ち上がった少女の腕を無造作に引き、胡坐をかいた己のひざの上に座らせると上機嫌に飲み始めた。


「わし好みではないが、このしびれるような甘さも悪くないのう」


 酒が目事舐めるように飲みつつ、息を詰める少女など意に介さず、その細い腰や足を撫でまわす。


「あの泣きながら震えていた幼子がこんなに大きゅうなってのう。

 この尻も太もももうまそうじゃ。ほんにあの時おんしを殺さんでよかったわい」


 大きな少女の腰など片手でつかめそうな大きな毛深い手が着物の裾を無遠慮に割る。

 それが足の内側まで入ってきても、少女はこぶしを握り締めて怖気をこらえた。

 蒼白になって堪える姿に狒々は愉悦を覚え、さらに己の加虐心を満たすため少女に、ことさらゆっくりと語りかけた。


「おんしも憐れよのう。夫婦になる寸前までいった幼馴染の男と別れることになって。

 じゃが、安心せい。男は長者の娘と一緒になるようじゃぞ?

 おうおう、娘の腹には子供もおるようじゃて、男は幸せになるようで一安心じゃのう。

 じゃが、はて。おんしはいつから付き合うているのじゃったか?」

「どう、して……」


 紙のように白くなった顔で愕然とした少女に見上げられた狒々は、酔いでさらに赤くなった顔で我が意を得たりとばかりに唇をゆがめた。


「なに、夜の闇は人の口が軽くなるもんでの。夜陰に紛れて家々を回ればいろんな話が聞けるのじゃよ。

 例えば、おんしの親が連れ子のおんしを疎ましく思い、贄に選ばれずとも人買いに売るつもりだったことなどな?」

「…………っ!」


 びくりと肩を震わせ呆然とする少女に、狒々は腹をゆすって特徴的に哄笑する。


「ヒヒヒヒヒッ!わしは聞いたぞ、贄がおんしに決まったと知るや金にならなくなったと悔しがる継父の声をなあ!

 そして見たぞ、おんしと将来を約束した男が真っ先に長者の娘に会いに行き、愁いがのうなったと喜び合う様をなあ」


 ごっそりと表情が抜け落ちわなわなと唇を震わせるばかりの少女がおかしくてたまらず、狒々はまた酒を飲み、思う存分あざけった。


「愚かよのう、憐れよのう。皆に惜しまれて贄になったとでも思うていたか?

 残念じゃったのう。おんしが守るために贄になった村は、おんしを喜んでわしに差し出したのじゃ。あの村に、おんしを大事に思うものなど一人もおらぬのよ」


 狒々の耳障りな嘲笑に胸を抉られ耳をふさぎたかったが、少女は手の甲が白くなる程こぶしを握り締めて耐え、か細い声をあげた。


「……私を憐れと思ってくださるなら。どうぞ答えてくださいませんか」

「うん?」

「守り神様は、その昔、枯れ川に水を呼び戻したと聞いております。

 いったいどんなお力を使って呼び戻したのか、最後にお聞きしとうございます」

「なんじゃ、そんなことか」


 うつむいて表情が見えないのが残念だが、狒々はことさら残虐に顔をゆがめて言ってやった。


「なに、簡単なことじゃ。

 この山にある水源の湧き出る入口を、わしがちょいと岩でふさいでやれば、たちまち枯れ川の完成よ!

 村人も愚かよのう。わしが塞いでおるとはつゆ知らず毎度毎度娘をささげて有難がるとは!!

 おかげでわしはうまい肉にありつけるのだから、笑いが止まらんわ」


 呆けたように顔をあげた少女に、狒々はあざけって笑ってやる。


「聞かねば村のためと思えたものをのう。悔しいか?恨めしいか?じゃが何もできまい。今からわしに食われて無駄死にするのじゃからな」

「……いえ、これで決心がつきました」

「なんじゃと」


 泣きわめくことを期待していた少女のひそやかな声に、訝しく思った狒々だが次の瞬間、酒甕を投げ捨てると、怒りの形相で少女の長い髪をつかんで立ち上がった。


「ぐっ……!」

「小娘え!いったい何をひたあ!?」


 片手で吊し上げられた少女は顔を苦悶にゆがめたが、その瞳を爛々と光らせ狒々を見据えている。

 対する狒々はろれつが回っておらず、憤怒を浮かべようとするも顔がうまく動かず、奇妙に歪んだ。その手足もわずかにだが痙攣しており、今は立っているが足元は怪しかった。

 決して酔いのせいでない不明りょな発音で、だが地を這うような声音で言う。


「わひを弱らせてにげるつもりだったかっ。じゃが甘いぞ。今でもおんしを引き裂くことなど造作もないわ!己の首を絞めおってからに、たやすく死ぬるとは思うておらぬな」


 少女が痛みに涙をにじませながらも髪を取り戻そうとしていた両手を離し、懐から何かを取り出そうとしたのに、狒々は嘲笑した。


「その懐剣で何ができる?おおかた母に自害しろと言われておるのだろう?

 見捨てられてもなお親の言葉を守ろうとするとは、いっそかわいいほど愚かよの」


『いいですか。狒々になぶられた娘なぞ、家の恥です。その前に、この懐剣で喉を突くのですよ』


 少女は籠に乗せられる前に交わした母の最期の言葉を思い出す。

 そこに子の理不尽な運命を嘆く心など微塵もなく、肉親にすら見捨てられたことを理解するには十分すぎた。

 すべてをあきらめ、ただ喰われる運命を受け入れる選択肢もあった。

 だが。


「私は決めたのです」

「うん?」


 少女は己を鼓舞するために声を張る。


「たとえ誰に見放されようと、私は自分を見捨てないと!!」


 少女は懐剣を閃かせ、つかまれていた髪を一気に切り落とした。


「なにっ!?」


 まさか女の命とすら言える髪を自ら切るとは思っていなかった狒々は、少女が投げつけたものをよけることができなかった。


「ギャッ!」


 顔面ではじけて四散した粉末をまともに吸い込んだ狒々は顔中の粘膜を襲う灼熱の刺激に悶えた。

 自由になった少女はその隙を逃さず、あらんかぎりの力を込めて狒々の太ももを突き刺し、切り裂いた。

 鮮やかな緋色が少女の着物や地面に飛び散った。


「グオオオオオッ!!!」


 狒々は久しく経験していなかった激痛に咆哮し、腕を振り回す。

 刃を抜くのに手こずった少女はそれをよけきれず、祭儀場の外に投げ出された。


 かすっただけで骨がきしみ、地面に叩き付けられ息をつめるが、そのまま転がり体勢を立て直すと、

 森の中へ逃げ込む。


 みすみす逃がしてしまった狒々は煮えくり返る怒りのまま、残された少女の髪を無事な足で踏みにじり、猛然と追いかけ始めた。


「許さんぞ、小娘え……!」






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