第22話

 また私はテオさんに連れられて、ランドリールームに戻った。部屋を出る時、無茶なことを言ってごめんなさいねと、あの太ったおばさんが私に声をかけた。目を真っ赤にしてSt1に俺の弟がいるんだと言ってきたおじさんも居た。皆が私に何か言いたそうにしている。テオさんが急ぐからと言って私の腕を引っ張って、皆から引き離した。


 ランドリールームに着くと、テオさんが私に腕を出してと言った。私は両腕を出すと、彼女は私の左腕をとり、袖をまくって変わったペンで腕の内側に何かを書いた。何を書いているか分からない。冷たい液体の感触だけはする。

「これはね紫外線を浴びたら、文字が浮かび上がるインクが入ったペンなの。上にいる私たちの仲間の名前を書いておく。ここでは無色透明だけど、日の光が入るところでは文字が浮かび上がるから。ここに戻ることができなくて、万が一事が起これば、この人たちを頼ってなんとか海に飛び込んで。泳げるわよね。授業でならっているはずよね。外の空気には酸素があまりないけど、少しの間なら大丈夫なはず。浮かんで待っていて。そしてこの腕はけっして人に見られないように袖はいつもおろしておいて。身の危険が及ぶようなら、水では落とせないけど、石鹸では落とせるからそうしてね。私たちのことは何も知らないと言い張るのよ。」

私は驚いてテオさんの真剣な顔を見る。少し目が薄茶色だ。本当はとても大きな瞳をしている人なのだ。いつも笑っているからわからなかった。私は消え入るような声で下を向いて言った。

「…たぶん私は何もできない。いくら食事が代わったって無理だわ。私は今まで…。」

私は声がつまり、涙があふれた。テオさんは大きな腕で私を抱きしめてくれた。

「ごめんなさいね。…私たちあなたを巻き込むかで意見が割れたの。たぶんどうしたらよかったか、今もみんなわからないと思う。ココは眠ったままだし。これでよかったのか後になってみないとわからないものじゃない?ただ今はお互いの身の安全を祈りましょう。後になって災害なんてこないじゃないって、笑えたら一番いいんだけどね。でも今恐ろしいのは災害ももちろんそうなんだけど、私たちが誰かに自由に生きる権利を握られていることなの。」

そういって私を離して、背中に手を置いてくれた。私は温かい手を背中に感じながら、しばらく涙が止まらなかった。一通り泣いた後、私はやるだけのことをやってみようと思った。


 私は縄梯子を登りながら、センターのことを考えた。彼らは人間を分けている。働けなくなった人々を秘密裏に抹殺している。そして働ける人間にはコントロールしやすいように、食事に何かを入れている。集団で蜂起できないようにみせしめの懲罰を与えている。停電にされてしまえば、深海のSt3の人は生活することができないだろう。ククもそんな目にあってきたのだ。暗闇の中であの姉妹は、St3の人々は何を思っていたのだろう。学校でククが時折他のみんなにみせる、あの冷ややかな態度も納得がいく。だけど私には心を許してくれた。St2出身だから同志として?多分違う、私が居たところでネットワーク障害は度々あったけど、停電なんて経験したことがない。私を利用するため?そんなふうに考えたくない。あの約束の日がきたら、センターは真っ先に彼らを犠牲にするだろう。私は家族を説得して下に連れて来られるだろうか。知らないままなら上に居た方が安全だろうか。こんなシステムの中に居たら、いずれ家族もひどい目に合うのではないだろうか。父母兄には特にこれといった才能もないし、センターの気分次第で“分けられ”てしまうのだから。


「他の誰かにとって安全ではない世界は、誰にとっても安全ではないのよ。」

ククの言葉を思い出す。彼女は新しい世界を作ろうとしているのだろう。私は家族を説得できなくても、準備をさせて異変があれば海に飛び込むよう、伝えておくことはできるはずだ。その後のことはまだわからない。センターが予言に備えてどんな準備をしているのか「おろかな人々」に対してどう動くのかまったくわからない。そもそも“おろかものは天へ”って彼らを見殺しにするっと言うことなのか、そしてそうすれば地上に降りられると言うこと?何もわからない。

 

 クオクにはどう言えばいい?センターに近い人物だから危険だと皆は言っていた。でも彼の本当の両親が、過去に処刑されていたことを知っているのは、私だけのはず。彼はセンターが昔彼の本当の両親に、何をしたのか知ったうえで、今の仕事をしている。何か思うことがあるはずだから、話せば分かってくれるかもしれない。なにより彼には安全でいてほしい。

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