第18話
昼食は荷ほどきで忙しいだろうからということで、緑つなぎの1人が食事を運んできてくれた。にっこり笑ってトレイにのせられたサンドイッチを手渡し、どこかに消えてしまった。彼はさっきのSt2の部屋ではあまり笑顔を見せなかったので、別人のように思えたほどだ。さっそくダイニングで母と食べた。
「何これ?」
母が一口食べて、驚いた顔で私を見た。早く食べるように私に促す。苦手なキュウリが見えているので少しかじるだけにする。私も驚いて母に言う。
「何これ。全然味が違うんだけど。」
私達はたっぷり3人前はあるサンドイッチを夢中で食べた。味が濃いのだ、香りもいい。噛むといい音がする。今までSt2で食べていたものは何だったのか。St1の学校がある日でも昼食はSt2の食堂でとることになっている。St1のみんなは私たちと違うものを食べていたんだ。
St1の食堂に昼食のトレイを返しに行った帰り、ふと廊下の突き当りの方で、ドアが薄く開いて光がもれているのに気づく。近づいてみるとドアの取手がなかった。どういう仕組みで開閉するのか外からではわからない。多分閉まってしまったら、この扉は壁と同化してしまうのではないだろうか。そっと中を覗いて見ると、だだっ広くて壁も天井も鼠色の部屋に、たくさんモニターが並んでいる。人も大勢いる。ここはたぶん監視室だ。奥の方にも分厚そうなドアがあるが、入り口付近に数字が並んだボードがはりついているから、たぶんなにかの暗証番号を知らないと入れないのだろう。気配を消して中にするりと入る。背中に汗がにじむのを感じる。低い姿勢で右に折れている通路を足早に抜けると、そこにはまた部屋があるようで、扉が開いている。私はその中にも入る。私はこんなに大胆だったっけと考えた。口の中ではまだキュウリの匂いが残っている。あれを食べてからなぜだろう、お腹の底から勇気が自然と湧いてくるのだ。
暗い部屋に目がなじんでくると、壁側に大量の本が並んでいるのが見えた。全ての本はガラスの箱の中に密閉され、ロックされていて開かない。だけど部屋の真ん中に、1冊だけ大事そうに、小さなテーブルの上のクッションに置かれている、古ぼけた本がある。この本にセンサーがないが、念のため指先でコツコツ叩いてみてからひろげた。ぱらぱらめくってみたが、文字が書かれているのは1ページだけ。
3,000 おろかものが天へ 地我らの足元に ヤマグチ
3,000は3000年のことだろうか?おろかものとは誰のこと?天へとは死ぬこと?とにかくこの部屋から出なければならない。ドアを開けて働いている人々の動きを観察する。一瞬の隙があるはずだ。各自がモニターの画面を切り替えて、マイクで何か指示をだしている。それから彼らは近くの同僚としばらく話した後、またマイクで話し出す。通路に近い二人がマイクに向けて話し出した瞬間に、飛び出し腰を屈めて出口のドアへ走った。息を止めて外にすべり出た。ドアの外側にもたれ肩で一呼吸して、自分の部屋に足早に戻る。まだ自分の鼓動が聞こえていて、歩いていても膝ががくがくしているのがわかる。あのモニターには各Stの様子が映し出されていた。私もあそこから常に誰かに眺められているのだ。事件や事故があったときだけ、確認すると聞いていたがそれは嘘だった。
部屋に帰ってさっきのことを母に話そうか迷ったが、母はまださっきの映像に魅入っていたのでやめておいた。明らかにここに引っ越してこられたことを喜んでいる。何もかもはっきりしてから話そう、たぶん危険なことをしたと叱られるだろうから。これはククとココと私だけの話だ。私も何も知らされなければ、ここでの暮らしを喜んでいたかもしれない。知らないで母が幸せならそれでいいのではないか。
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