第2話(第112話) その暗い部屋の中で

 ある日、いつものように、地元が同じで、幼馴染という「設定」になっている、郡山青年と弓削青年の二人は、同じ電車に乗って、一緒に帰っていた。


「そういえば、インターネット上には、『異界駅』という話があるらしいのだが、君は知っているか?」


 そう問い掛けられた、黒い頭巾フード付きの外套コートを着た、郡山俊英としひで青年は、いぶかる様にその問いに答える。


「物理学徒である我々にとって、再現性の定かではない非科学的な現象は、本来なら、専門外であるはずなのだが……。」


 問い掛けた方の弓削泰斗青年も、自嘲的な苦笑を崩さずに、話題を進める。


「でも実際に、異界から帰還している我々からすると、非科学的な現象だとわらうことも出来ないんだよねぇ……。」


「そして、君の先祖には、陰陽術士がいるという名門の家系だもんねぇ……。」


「名門といっても、最近は、物部一門グループの傍系というだけさ。」


 物部一門グループとは、この二人が卒業後の進路として、入門することになっている、モノづくりに特化した集団で、幾つかの分家から構成された、親族で運営しているという組織らしい。そして、弓削氏は、その物部一門グループの傍系だという。


「物部一門グループが、例の連中の勢力の残党から保護してくれる、という申し出は有り難いのだけれど、その代わり、異界絡みの案件に携わることになる、というのが、『異界駅』の話に関わってくるのかい?」


「ああ。異界渡りをする際、どうしても次元の歪みが生じ易い場所が必要となる。そこで、時空を穿うがち、その裂け目から異界渡りをすることになるわけさ。」


 郡山青年は、少し前に、物部一門グループの入門前の研修に参加したときのことを思い出す。


――――――――――――――――――――――――――――――


 物部一門グループの入門前の研修に参加したのは、郡山青年、弓削青年の他、物理学科の勉強会の会長である、土師はじ真理まこと青年。そして、もう一人、橘たつき青年も、物理学科の勉強会の構成員メンバーであり、しかも、郡山青年以外は、全員が身内というか、遠い親戚という関係らしい。

 その暗い部屋の中で、この四人と、見知らぬ人物が、円卓を囲む椅子に座って、これから会合が始まる。といっても、郡山青年以外は、この人物と面識があるらしい。


「さて、諸君。今日は良く来てくれた。私が、物部一門グループ異界方面の総司令官を務めている、物部総司だ。新撰組の方ではなく、総司令官の方の「総司」だ。物部一門グループでは、総司令官を務める者は、代々、「総司」、「総」、「司」のいずれかの名前を名乗ることになっているんだ。」


 そう言って、物部一門グループ異界方面の総司令官の称号を持つ者は、自らを「物部総司」と名乗った。

 彼の雰囲気は、以前に滞在した異界において、荒脛巾アラハバキ皇国おうこく第参皇児おうじである常井参狼さぶろう氏に少し似ている。

 常井氏は、黒髪長髪、痩身にして長身、年齢は三十歳みそじ過ぎぐらいの、眼光の鋭い巨漢だったが、物部総司総司令官は、黒髪だが長髪ではなく、痩身にして長身ではあるが、巨漢でもなく、三十代後半ぐらいの壮年である。


 次に、彼は、自身の自己紹介の後、物部一門グループの説明をする。


「まぁ、ここにいるのは、郡山君以外は全員、身内みたいなもので、社交場とかで面識があるから御存知だとは思うが、一応説明しておくと、この組織に所属することが出来るのは、一族の中でも全員ではなく、異界渡りの能力が発現した者のみ。従って、世襲制ではない。未だに、異界渡りの能力が発現する遺伝的な要因は、明らかになってはいないのだ。」


 続いて、彼は、入門前の研修の説明を始めた。


「異界とは、ここではないどこか。似て非なる世界。別次元の領域にある場所。最近は、異世界小説なども増えてきているようだが、基本的には、観光気分で行ってはならない禁足地だ。異界渡りの能力が発現した者以外は、現地で飲食をしたり、地元民と言葉を交わしたりする等、何らかの条件を満たした場合、帰還は不可能となるからだ。」


 確かに、最近の異世界小説は、観光気分かと疑われる内容が散見される。


「故に、我々の様に、異界渡りの能力を有する存在は貴重なのだ。ここで、齟齬の生じないように、一応、用語の定義を擦り合わせておこう。それでは、土師はじ君、【異界渡り】とは何か、説明できるかね?」


「はい。【異界渡り】とは、異界間を転移すること、です。」


 この土師はじ青年は、これまでに何度も異界を転移している。


「では、弓削君。異界渡りをする際、どのような場所から転移するのが望ましいかね?」


「はい。異界と異界を隔てる障壁を【次元断層】と呼びますが、この次元断層に生じる歪みである、【次元の歪み】が生じ易い場所が望ましいですね。例えば、『異界駅』とか。」


 冒頭の弓削青年の話題は、ここから繋がっていたのだ。


「その通り。そこで時空を穿うがち、【次元の裂け目】という、異界への入口を作る。すると、異界と異界の狭間には、【次元の狭間】と呼ばれる、亜空間が出来る。ここから、異界渡りをするわけだな。」


 郡山青年は、この分野に関しては、専門外の門外漢なので、ひたすらメモを取る。


「そういえば、君達は物理学科だったな。【次元断層】は、量子力学におけるポテンシャルエネルギーの障壁のようなものだ。では、【異界渡り】とは、量子力学的にはどのようなものであると解釈できる?郡山君、分かるかね?」


 物部総司総司令官は、郡山青年が話題から外れて除け者にならないよう配慮してくれたようだ。意外と優しいところもあるのだな。


「もしかして、『トンネル効果』ですか?」


「そうそう。『トンネル効果』も計算が割と煩雑だが、【異界渡り】もそれなりに複雑な術式を組むことになる。もしかして、既にあちらの異界で習っているかな?あの君達がよく知っている荒脛巾アラハバキ皇国おうこくが存在する異界は、割と【異界渡り】初心者向けの異界といっても過言ではないだろう。」


「初心者向け?」


「郡山君はいきなり拉致されたんだし、そういぶかるのも無理はないと思うがね。今この日本が存在する世界線の、魔素が存在しない地球を現世とか、現実世界と呼ぶことにすると、あの異界は、【喪界】とか【喪世界】と呼ばれているよ。あの世界には、こちらの世界では既に喪われた、絶滅種や死語、廃駅が存在したりしているからね。まぁ、その一方で、未成線が開通していたりもしているんだが。【喪界】が初心者向けの異界だという理由は、あれでも異界の中では、魔素が薄い方だからなんだよ。」


「それでは、これから行くことになる異界は……。」


「魔素というよりは、瘴気と呼んだ方が分かり易いかも知れないな。その濃度は、【喪界】の倍ぐらいだろうか。我々は、その異界のことを、魔素が濃いから、【魔界】と呼んでいるよ。そして、我々、物部一門グループは、その魔界へと植民して、現地でも職人集団として拠点を設置し、産業立国である、日高見ヒタカミ国の技術官僚テクノクラートとして、工業都市ヒタカミの地の影の統治者となったというわけさ。」


「要するに、植民地にした、と?」


 ここで、土師はじ青年が驚いたのも無理はない。植民地化とは不穏当だな。この組織の闇を見たような気分だ。


「いや、むしろ、そうすることによって、他国から植民地化されることを防いだ、と言った方が正確かも知れない。【魔界】には、日高見ヒタカミ国の他にも、魔導科学都市国家ガルヴァニアポリスと、極地クライオモシリという二つの国家があって、双方とも、【魔界】の支配者三傑の内の一人が指導者になっているんだ。」


「【魔界】の支配者三傑?最後の一人は?」


「【魔界】の支配者三傑の最後の一人は、【冥界】にいる。」


「要するに、既に死んだ人物だと?」


「いや、死んではいない。現世の上に、【喪界】という異界の存在する次元断層があり、【喪界】の存在する次元断層の上に、【魔界】という異界の存在する次元断層があり、【魔界】の存在する次元断層のさらに上に、【冥界】という異界の存在する次元断層があるらしい。私も行ったことはないのだが、瘴気が濃すぎて、常人には到達できないそうだ。【魔界】も、魔素が濃いから、【異界渡り】が可能な程度の魔力を有していないと、瘴気を体内に蓄積してしまうだろう。逆に言えば、【異界渡り】が簡単に出来るぐらい、魔素が潤沢だともいえるな。」


「初心者の俺が行っても、問題ないんでしょうか?」


「郡山君は【喪界】から自力で帰還している時点で、既に初心者ではないよ。それでも、【魔界】では瘴気で魔力酔いをするというのであれば、赴任先を他の異界へ変更することも検討すべきだとは思うがね。とはいえ、ここには、【魔界】出身者がいるのだから、彼から話を聞いてからでも遅くはあるまい。橘君もそう思うだろう?」


 どうやら、橘たつき青年は、【魔界】出身でこちらの大学の物理学科に留学していたらしい。ちなみに、常用漢字の表外読みだが、「樹」は「いつき」ではなく、「たつき」と読むのだそうだ。


「あくまで俺個人の所感ではありますが、郡山君の魔力であれば、現地の瘴気程度で、魔力酔いをすることはないでしょう。」


「そういうわけで、一度【魔界】に行ってみてから判断して欲しい。現地には、都市探索協会が設置されているから、現地へ赴任した後は、そこで自由に依頼を受諾して構わない。原則、自由行動だが、【異界渡り】の能力を有する存在は貴重なのだ。してや、こうして言の葉を交わした相手に死なれたら寝覚めも悪いからね。くれぐれも、命を落とすことだけはないように。最初は、二人ずつ組んだ方が良いかも知れないな。」


 こうして、郡山青年と弓削青年の班、土師はじ青年と橘青年の班に組み分けされることになった。


「状況に応じて、組み合わせの方は、臨機応変に変更して構わない。先程も言った通り、【異界渡り】もそれなりに複雑な術式を組むことになる。そこで、入門祝いとして、この翻訳の組紐ミサンガを渡しておこう。【異界渡り】の術式が【刻印術】で刻印されているし、地元民との意思疎通にも齟齬が発生しないだろうからな。以降の説明は、他の者に引き継ぐ。諸君を【魔界】へご招待しよう。では、現地で会おう!」


――――――――――――――――――――――――――――――


 物部総司総司令官が、会議室を退出すると、今度は虚無僧笠の人物が、会議室に入室してきた。虚無僧笠を外すと、老人が姿を現した。


「やぁ、諸君。諸君の中には、懐かしい顔も何人か見受けられるなぁ。」


「壇ノ浦校長!」


「ああ。いかにも私は『壇ノ浦校長』と呼ばれているよ。平氏の落ち武者の末裔で、『平間明』と名乗ることも多いがね。実は、私も【魔界】の日高見ヒタカミ国、単に『ヒタカミ』と呼ぶことが多いから、以降はそう呼ぶことにするが、そこの出身で、こちらに留学していたんだ。」


「あれ?平氏の落ち武者の末裔なのに、【魔界】の日高見ヒタカミ国出身なんですか?矛盾していませんか?」


 確かに、ここで土師はじ青年が指摘する通りである。彼は、現世側の人物なのか、【魔界】側の人物なのか、それとも、その両方を祖とするのか……?


「別に矛盾はしておらんよ。むしろ、説明がし易くなったぐらいだ。さて、諸君は、『平氏』と『平家』の違いは勿論分かっているかな?」


「『平家』というのは、『平氏』中の特定の一族だけを指す言い方で、平清盛の一族を指しますね。」


「左様。郡山君は、物理学科出身だと聞いたが、文系理系等という人為的な枠組みに囚われず、よく歴史を学んでいるようだな。」


 本当に壇ノ浦校長の言う通りだよな。文理区分とか有害すぎるだろ。決めたの誰だよ?


「さて、壇ノ浦の戦いで平家が滅びた時、平氏の落ち武者だった私の先祖は、追っ手から逃れるため、偶然発見した【次元の裂け目】に飛び込んで、【次元の狭間】から【魔界】の日高見ヒタカミ国へと『転移』してしまった。」


「『転移』ですか?【異界渡り】ではなく?」


「そう、弓削君の指摘通り、【異界渡り】ではなく、単なる『転移』だったと思われる。先程の総司君の講義の復習になるが、異界とは、ここではないどこかで、似て非なる世界。別次元の領域にある場所なのだ。要するに、観光気分で行ってはならないような禁足地なのだが、どうやら、日高見ヒタカミ国が現世の日本と地続きだと思い込んでしまった、我が先祖は、現地で飲食をしたのか、地元民と言葉を交わしたのか、或いは、異界だと知った上で、追っ手から逃れるために、敢えて、何らかの条件を満たしたのか。」


 その暗い部屋の中で、誰もが沈黙して、傾聴している。壇ノ浦校長の話術は没入感が物凄い。


「詳細は、定かには分からぬが、やがて、その次元に縫い止められて、固定されてしまった。当然、帰還は不可能。不歸かえらずの人となった。そして、【次元の狭間】を超えてしまったその者は、それを理解してしまったとき、自らの姓を『平間』と名乗って、日高見ヒタカミ国に住民登録することにして、籍を置いたようだ。現世側では、壇ノ浦の戦いで海に沈んだことになっているか、或いは、最初から生まれていなかったことにされたと思われる。」


 それにしても、入門前研修が怪談話とはね。いや、業種的にはやむを得ないのだろうが。


「これだけだったら、ただの怪談で終わってしまうのだがね。【魔界】の濃い瘴気の中で育った、彼の子孫の中には、それなりの頻度で、【異界渡り】の能力を発現する者が輩出された。かくいう私もその一人なのだがね。何の因果かは分からぬが、こうして、君達に【魔界】行きの案内をしている。さて、君達は二組に分かれて【異界渡り】をするとのことだが、その前に警告しておこう。ズバリ!『異界駅の傾向と対策』についてだ。」


 こうして、入門前研修は、「異界駅の傾向と対策」という、都市伝説オカルトを扱うことになった……。

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