第4話

 嫌なことがあったあとは救いがあるはず。


 それは精神論ではなく、単なる確率の収束。そう思って何かが起こることを期待した自分がいた。


 そんな自分は立呑居酒屋で終電まで飲み続けた。


 だが、そんな都合よく何かが起こるわけもなく、終電で最寄り駅まで帰宅。閑静な住宅街の中にあるので、日付を回ってベロベロになって歩いているのは俺くらいだ。


 ショートカットのため、公園を突っ切ろうとすると、また例のブランコに乗ったお化けがいた。


 疋田さんだ。


「おーい。何ひてんの?」


 酔って呂律も回らないが、疋田さんの隣のブランコに座り、話しかける。


「うわっ! 酒臭っ!」


 疋田さんは俺を認識するなり手で鼻をおさえる。


「そりゃ酒臭くもなるよぉ……」


「どうしたんですか? って聞いてほしそうなので聞いてあげますよ。キメエナ2本で」


「はぁ……買ってくるよ。何色がいいの?」


「緑っす」


 俺が立ち上がると、疋田さんは笑いながら追いかけてくる。


「冗談ですって。ほんと、どうしたんですか?」


「はぁ……聞いてくれるの?」


「えぇ。私、暇なんで」


「俺は暇つぶしなんだ……」 


「そんなしょげないでくださいよ。お金入ったんで奢りますよ。投票、してくれました?」


「あ……まだかな」


「ダメですよ! 今から買う分もあわせて、一緒に投票しますよ!」


 疋田さんに連れられて、コンビニへ向かう。


 そして、疋田さんの奢りでキメエナを12本、買い込んだのだった。


 ◆


 なぜかやってきたのは俺の部屋。2枚の投票券を使い切るところを確認するためらしいが、よく知りもしない男の部屋に入れるものだと感心する。


 ベッドを背もたれに、テーブルの前に座り込んだ疋田さんは病的なくらいに白い。顔の横部分を通っている血管が紫色に見えるほどだ。


 今日あったことをとりとめもなく話すと、疋田さんはうんうんと頷いて聞いてくれた。全肯定がこんなに心地良いものだとは知らなかった。


 酔いが冷めてくると、さすがにあまり仲良くない女性を家に上げていたことに危機感を覚える。それはお互い様だろうけど。


「疋田さん、もっと警戒したほうがいいと思うけど……俺がヤバい人だったらどうするの?」


「ヤバい人はヤバい人の演技をしようとは思いつきませんし、身分はしっかりしてる人じゃないですか」


 そう言って疋田さんは俺の財布から学生証を抜き取る。


「院生なんですね。工学部かぁ……私、後輩なんです。佐竹聡史(さたけ さとし)さん」


「えぇ!? 同じ大学なの!?」


「はい。っても入学してからほとんど行ってませんけどね。多分、来年には中退扱いです」


「じゃあ普段って何してるの? 夜中に公園にいるのは知ってるけど」


「普段は……バイトです。在宅の。パソコンでー……こう……ちょちょいーってやる感じのアレです」


「ハハッ! よくわかんないけどわかったよ」


「ま、佐竹さんは優しいって直感で分かるんです。私は第一印象で悪い人がわかるんですよ。散々見てきたんで、悪い人」


 中々に重たい話が控えていそうなので投票券を手に取り、聞き流す体制を整える。


「お、メンヘラの話を聞くくらいなら投票しようって魂胆っすね。いいじゃないですかぁ。私の推し、覚えてます?」


「これでしょ? この……ホッキョクグマ」


「違いますって。最北南。タッチのヒロインと同じですよ」


「例えが古いよ……」


「名作はオタクの一般教養ですから」


「なるほどねぇ……」


 話を聞き流しながらポチポチと画面に入力して投票する。


 どうやら明日の夕方からリレー形式でデビュー配信をするようだ。


「この子、明日デビューなんだ」


「そうなんですよ。明日からなんです」


「ふぅん……」


 また話を聞き流しながら二枚目の投票に移る。


「知ってます? ホッキョクグマって南極にはいないんですって」


「そりゃホッキョクグマって名前だしね……」


「それは後付じゃないですか。南極に熊がいたらナンキョクグマになってたはずですよ」


「でもいないからホッキョクグマなんでしょ?」


「それはそうですけど……夢がないっすねぇ。ホッキョクグマとは違う見た目のクマがもう一種類増えてるのか、はたまた同じようなシロクマになっているのか。気になるじゃないですか」


「南極にクマがいる夢なんて大してワクワクしないけどね……」


 疋田さんは俺の返事が気に入らなかったのか、ムスッとした顔でキメエナを開けて飲み始める。


「寝られなくなるよ」


「いいんです。私、夜行性なんで」


「ふぅん……」


 大学の後輩とはいえ、ほとんど関わりはない。そんな人に「これからどうするの?」なんて真面目な話をしたところで煙たがられるだけだろう。


「いつも何時頃、あそこにいるの? ブランコ」


「大体、1時から2時くらいのどこかっすね。あー……でも明日からはもうちょい遅くなるかもです」


「なんで?」


 疋田さんは「やべっ」と言って俺の質問を無視する。どうやら明日から公園には夜の3時頃に現れるらしいが、それは秘密だったようだ。


 別に深く知りたいわけではないが、なんとなく気になって聞いただけなので無視されてもイラつきはしない。


 そのまま無言で何もしない空間が続く。沈黙を打ち破ったのは疋田さんからだった。


「あのー……佐竹さん」


「何?」


「私、明日からホッキョクグマを探しに行くんです」


「北極に?」


「いえ、南極に」


「じゃ、一生帰ってこられないね」


「そうなんすよ。これから長い旅になるんです。応援してくれますか?」


「なんで俺が……」


「お上下さんの縁じゃないっすか」


「まぁ……頑張ってよ。引っ越すの?」


「いえ、明日もブランコで待ってますね」


 どうやら俺は明日も徹夜コースらしい。

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