02-04 捌くか、捌かれるか

 洞窟の前にある広場に出た頃には、プレットは泣き止んでいた。

 腫れぼったい瞳で夕暮れの光を感じたプレットは、抱っこを嫌がる猫のように身体をよじらせ、ユリアの腕から降りる。

 「ん!」と自撮り棒を突き返すと、服の袖で目のあたりを何度も拭ってから、キッとユリアを見た。


「助かった、礼を言う。だが洞窟であったことは誰にも言うな」


 ユリアは「ああ、約束しよう」と頷き返す。


 彼女は誠実だったので、洞窟であったことは誰にも口外することはないだろう。

 だが彼女は天然でもあったので、プレットのギャン泣きを世界中継したことには気付いていない。


「それだけ元気なのであれば、もうひとりで歩いて帰れるだろう。ここでお別れだな」


 ユリアはそう言って背を向ける。

 あまりにもあっさりとした別れに、プレットは思わず呼び止めた。


「お、おい、礼はいいのか!? 命を助けてくれたんだ、欲しい物ならなんでもやるぞ!? 僕の屋敷に来れば、しばらくは遊んで暮らせるだけの金を……!」


「わたしはもうすでに、遊んで暮らしている」


 自撮りレイピアを鞘に戻しながら、山の斜面を降りていくユリア。

 途中で分かれ道にぶつかったのだが、少し悩んだような素振りを見せたあと、湖に繋がる急斜面の道を滑り降りていった。

 傍らにあった危険を示す看板が、目に入っていないかのように。


「あっ!? 待て! そっちは……!」


 プレットが叫ぶと同時に、湖面を破るような勢いで魚群が飛び出してくる。

 大小さまざまな魚たちが、投擲された刃物のように銀鱗をきらめかせ弧を描く。ピラニアのごとき鋭い歯を剥き出しにしてユリアに襲いかかった。


 異世界の動物はモンスターの血が混ざっているため凶暴なものが多く、魚とて例外ではない。

 水に入るどころか近づくだけで襲いかかってくる魚もいて、漁業も命懸けである。

 プロの漁師であっても死傷することがあるというのに、素人ならばひとたまりもない。


 しかもユリアに襲い掛かったのは、砲弾のように降り注ぐ10匹もの魚たち。

 プレットはズタズタにされる彼女を想像してしまい、とっさに「ううっ!」と顔を覆ってしまった。

 おそるおそる目を開けてみると、そこにあったのは……。


 先ほどと何ら変わりない様子で立つユリアの姿。

 足元には、目が点になり口をパクパクさせるばかりの魚たちが転がっていた。


「び……びっくりしたぁ……!」


 その場にへなへなと崩れ落ちるプレット。

 ユリアは周囲に散らばっている魚たちをしばらく観察した後、納刀したばかりの自撮りレイピアをふたたび抜く。

 先端にあったスマホを外して腰のポーチにしまい込み、ただの剣となったレイピアで地面の魚たちを串刺しにしていった。


 魚は小さいものでも体長が30センチほどあり、大きいものになると1メートルほどもある。

 それらが連なるとかなりの重さになるはずなのだが、ユリアは片手でかるがるとレイピアを動かして魚の串を作り上げていく。

 長さが足りないとわかるや、レイピアの刀身がにゅっと伸びた。


「あ……アイツは、なにをやって……?」


 その様子をプレットはポカーンと見つめていたのだが、やがて魚が串団子状になったレイピアを手に、元来た斜面を駆け上がる。

 彼女はオークとの戦闘中ですら走ることをしなかったのに、いまはたくさんの虫を捕まえたワンパク坊主のような勢い。

 プレットの元に戻ってくるなり、「頼みがあるのだが」と待ちきれない様子で言った。

 その瞳はわずかに潤み、頬は紅潮。いつにない表情はあまりにも色っぽくて、プレットの鼓動は一気に跳ね上がる。


「ななっ……な……なんだよ?」


「このお魚を調理してほしい、今ここで」


 思いも寄らぬ一言に、「はあっ!?」と素っ頓狂な声をあげるプレット。


「僕に料理をしろというのか!? というか、なんで僕なんだ!?」


「特区の観光客は、調理などの職人行為に類することはしてはいけない決まりになっているんだ」


 ユリアは探索のときの飲み物はスポーツドリンクと決めている。

 しかし現実世界で売っているスポーツドリンクは持ち込むことができず、また現地で作ろうにも調理は禁止されているので、いつも酒場の店主にレシピを教えて作ってもらっていた。

 事情は理解したものの、納得しないプレット。


「僕は料理なんかやったことないっ! だいいち、道具もないだろう!」


 ユリアは打てば響くように「道具ならある」と答える。

 腰に提げていたポーチのジッパーを全開にすると、中から次々と調理器具を取りだす。

 外堀を埋めるように、プレットのまわりに並べていた。


「なっ……なんだよこれっ!?」


「容量拡張と重量軽減の魔法錬成が掛かったウエストポーチだ。ボーナスで買った」


「マジックアイテムなら知ってるよ! なんで調理器具なんか持ち歩いてるんだよっ!?」


「いつか特区で調理可能な在留資格を得るつもりだったから、その時のためにうちの台所から持ってきたものだ。うちではほとんど使わないからな」


 まな板や鉄板、キャンプ用のバーベキューコンロまで出したポーチから、次は塩やバターが飛び出す。


「調味料の持込みも禁止されているから、こっちの世界で買いそろえた。このホーンクバターは絶品だぞ」


「へぇ……って、僕はやらないぞ! 男の僕がなんで料理なんかしなきゃいけないんだ! それに、僕を誰だと思っている!? この土地の領主なんだぞ! 領主が外で料理なんかしたら、領民どもからバカにされてしまう!」


 プレットはワガママ坊ちゃんの素性を剥き出しにするように喚き散らしていた。


「だいいち、僕は魚が大っキライなんだ! オーク討伐で僕の力を領民に示したあとで、領内の湖をぜんぶ埋め立てるつもりだったんだ! 漁業から畜産業の領に変えるためにな! 魚なんていらない! これから肉だ、肉っ! 肉もってこぉぉぉぉぉーーーーいっ!!」


 駄々っ子のように暴れだしたその顔面に、ひんやりとして生臭いものが押し当てられる。

 見ると、ユリアが魚だらけのレイピアを突きつけていた。


 先ほどまで色香を漂わせていた表情は一変、般若と化している。


「空腹は最高のスパイスと言われるが、スパイスには興奮作用もある。これ以上、キミがスパイスを振り撒くようなら、わたしはどうなるかわからんぞ……!」


 そのドスの効いた声は、一言一言が心臓をわし掴みにするような恐ろしさがあり、プレットは「ひいっ!?」と情けない声で飛びあがっていた。


「さあ、選ぶがいい。捌くか、捌かれるか」

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