02-03 泣く子は育つ
ユリアを中心に、広がっていった死の輪は、洞窟の最深部の果てにまで届く。
オークたちはもう悲鳴をあげることもなく横たわっていた。
数え切れないほどの屍を踏み越え、ユリアは少年へと近づいていく
少年は、オークに囲まれていた絶体絶命のピンチの時よりも震えていた。
しかしユリアの顔を見た途端、その震えはピタリと止まる。
かがり火に照らされたユリアが、息をするもの忘れてしまうほどに美しかったからだ。
あれほどの動きをしたというのに、息ひとつ切れていない。
あれほどの血を流させたというのに、返り血ひとつ付いていない。
その孤高なる佇まいは、女神を思わせた。
でも少年は思っていた、彼女は幸運を運んできてくれたのではないと。
少年の予感が的中したのか、ユリアは少年の前に立つとレイピアを突きつける。
オークに囲まれた時以上のあきらめを持って、少年はつぶやいた。
「殺せ……嵐とまで呼ばれたお前に殺されるのなら、本望だ……」
「わたしの名前を知っているのか」
「お前の名前を知らないヤツなんて、この世界にいるわけがない」
「そんなことはない。だが、名乗る手間は省けたな。あなたの名前は?」
「……プレットだ」
プレットと名乗った少年は口調こそ堂々としていたがまだ声変わりもしておらず、身体つきも小柄。
逆立てた金髪に青い瞳はどちらも美しいが、いまは壊れかけた宝飾のようになっている。
顔立ちはまだあどけないが、すでに権力者であるかのような高貴さと傲慢さを漂わせていた。
しかし死の淵にいるせいで、いまの姿は精一杯強がる黄金の子狼のよう。
肩当てに紋章の入った高価そうな鎧を身に着けており、家柄の良さが窺える。
その鎧も今はボロボロで、もはや捨てられた仔犬同然といってもよかった。
『かっこいい!』『かわいい!』『かわいそう!』などの女性視聴者の書き込みが殺到する。
ユリアはただ、冷たい目でプレットを見下ろしていた。
「子供がこんな所にひとりで来るとは、死にたいのか」
「僕は子供じゃない、一人前の男だ。それに殺すのなら、そんなことはどうでもいいだろう」
「わたしは人間は殺さない。さっきから、なにをそんなに死に急いでいる?」
「殺さないのなら、なぜ僕に剣を向けている」
「ああ、これは剣ではない。今だけはな」
ユリアは自撮りレイピアを洞窟の天井にかざし、自分の顔とプレットが同時にスマホの画面に映り込むようにする。
そしてスマホに向かってつぶやいた。
「洞窟の奥で負傷者を見つけた。これから救助する」
ユリアは自撮り棒を持ったまましゃがみこむと、腰に提げていた水筒をプレットに差し出す。
「スポーツドリンクだ。飲むといい」
「すぽーつどりんく?」
「栄養のあるお水のようなものだ」
プレットはおっかなびっくりだったが、それを受け取る。
ひと口飲んだあと瞼をクワッと見開き、そのまま一気にゴクゴクと飲み干した。
「ぷはっ! う、うまいっ!? こんなうまい水、初めて飲んだ! これは、お前たちの世界の飲み物か!?」
「ああ、わたしたちの世界で考えられた飲み物だが、この世界にあるもので簡単に作れる。中に回復ポーションも混ぜてあるから、そのうち歩けるようになるだろう」
現実から特区に持ち込める物には厳しい制限があり、動植物や飲食物の持込みは一切禁止されている。
このスポーツドリンクは、酒場の店主にレシピを教えて作ってもらったものだ。
「落ち着いたか? なら、そろそろここを出よう。これを持っていてほしい」
ユリアはレイピアをクルリと一回転させ、プレットのほうに柄を向ける。
プレットはなぜレイピアを渡してくるのかわからなかったが、促されるままに受け取った。
ユリアはプレットの背中とヒザの裏あたりに手を差し入れると、プレットの身体を軽々と抱え上げる。
プレットは漁師に捕まったマグロのようにビクンと跳ねた。
「わあっ!? な、なにをするっ!?」
「暴れないでほしい。ここから出るのに、その足では歩くのも無理だろうからな」
「だ、だからって、女のお前に抱っこされるなんて……!」
「ケガをしているときに、男も女もない。動けるほうが助けるだけだ」
「くっ! こんな屈辱、初めてだ……!」
プレットは悔しさのあまり、抱っこされたまま自撮り棒の柄を握りしめていた。
彼は知らない。その屈辱的な姿が異世界じゅうに生配信されていることを。
ユリアは洞窟の外に向かって歩きだしながら、プレットに告げる。
「屈辱だと思うのなら、もっと強くなるといい」
「うるさい。僕はお前みたいに身体がデカくないから、鍛えたところたいして強くなれないんだ」
「そんなことはない。あなたくらいの頃のわたしは、あなたよりも弱かった。おそらく、オークの1匹も倒せなかっただろう」
昔の自分を見ているかのようなユリアの瞳。
プレットは、憧れのお姉さんに見つめられた子供のようにドキリとする。
「う……ウソつくな! 僕より弱かったのに、どうやってそこまで強くなったんだ!?」
ユリアは短く答える「修練をしただけだ」と。
「事情はわからないが、キミはひとりでオークの巣に行かなくてはならないような立場なのだろう? ならばもっと修練することだな」
痛いところを突かれたように顔を歪めるプレット。
「う……うるさい……」と言い返すので精一杯だった。
「そしてそんな立場にあるのであれば、心だけはたまに解放してやるといい」
「……それは、どういうことだ?」
プレットを見つめているユリアの表情は、厳格な母親が、息子にだけ垣間見せる表情のように穏やかになっていた。
「本当に辛い時には泣くのだ、赤子のように声をあげてな。それこそが、強くなるコツだ」
「ばっ、バカ言うな! そんなんで強くなれるわけがない! だいいち、大人で男の僕がそんな女々しいことできるか!」
「幼い頃からそう教え込まれて、人一倍辛い目にあってもガマンしてきたのだろう。だが、わたしの前では強がるな」
小さな子に言い聞かせるようなユリアの穏やかな一言一言が、プレットの心に深く突き刺さる。
「辛さを心の奥底に押し込むのは強さとはいえない。それは歪な形となって、大人になったキミをさらに苦しめることになるだろう」
「う……うるさいっ! お前になにがわかるって……!」
プレットの言葉は尻すぼみになる。
頬に添えられた手が、鬼神のごとき強さを発揮していたとは思えないほどにやわらかかったからだ。
「涙を知らない瞳だ」
すべてを包み込んでくれるような感触は、母親を想わせた。
さらなる力強い言葉に、父親までもが蘇ってくる。
「辛いことをきちんと悲しんでこそ、人は正しく強くなれるのだ」
プレットはもう言い返すこともできない。
いまにも泣きそうな幼子のような表情で、ユリアのすべてを真正面から受け止めていた。
ユリアは強くてやさしい。言葉ではありふれているものの、実際には両立しえない概念を持ち合わせている。
まるで亡き両親が、同時にこの世に戻ってきてくれたような……。
ずっと頑なに守ってきたものが溶け出してくるような気がして、少年は瞼をきつく閉じて歯を食いしばった。
しかし彼女を拒むことなどできるはずもない。
「泣く子は育つ」
それは頬を音高く打ったあと、きつく抱きしめるような一言だった。
こみあげてくるものが止められない。
プレットは決壊した瞳を隠すように、ユリアにしがみついて顔を伏せた。
「そうだ。キミは今日、正しき道を歩み始めた」
その頭が、慈しむように撫でられる。
「不毛の大地ではなく、涙の大河をゆけ。わたしはいつでも、川上で見守っているぞ」
シッタックはユリアの手をぎゅっと握り返し、震えながらしゃくりあげる。
嗚咽はだんだん大きくなり、やがて号泣と呼べるほどになって、洞窟じゅうに響き渡っていた。
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