01-02 解放の時間
それから数分後、ユリアの前にはこんもりと泡が盛られた木のビールジョッキと、チーズを使った様々な料理がテーブルいっぱいに並べられていた。
粉チーズのたっぷりかかったシーザーサラダ、チーズパイに揚げチーズ、チーズの入ったソーセージ、スキレットに入ったフォンデュのような付けチーズなどなど。
ユリアはそれらを眺め回したあと、ウムとひとり頷き、居住まいを正した。
組んでいた脚を解き、ふとももをピッタリと揃えるように座りなおす。
そしておもむろに、両手を不死鳥のように広げる。
さっきまで賑やかだった酒場はすっかり静まり返っており、彼女の手を打ち合わせる音だけが、パンと響きわたった。
「いただきます……!」
合唱の後、ユリアはおもむろに目の前にあったメインディッシュを手に取る。
それは、串に刺したチーズを暖炉の火であぶり、バケットの上に載せた焼きチーズであった。
まだアツアツのそれに、何度か息を吹きかけてからかぶりつく。
ほどよく焦げたバケットが、サクッと香ばしい音をたて、そのあとにとろけたチーズが糸を引く。
極限まで伸びたチーズはぷつんと切れ、彼女のアゴから垂れ落ちる。
でもそんなことはおかまいなし。口に入れたチーズはちょっと熱かったので口の中で冷ましながら食べる。
「あふっ、はふっ、おいひっ、おいひっ」
本人は気付いていないが、ユリアは誰もが振り返るほどのクール系の美女である。
そんな彼女が幼子のように料理をフーフーして、ハフハフしながら食べ、口のまわりをベタベタにしている姿はすさまじいギャップがあった。
もはや酒場の注目の的となっているのは言うまでもない。
となりのテーブルにいた4人組の男たちはすっかり見とれていて、「かわいい……」と酔った頬をさらに赤くしていた。
しかしユリアは衆目などまったく気にせず、歯の裏にへばりつくような濃厚なチーズの味わいに夢中。
チーズはお酒が進むように塩の効いた味付けになっていたが、化学調味料にありがちな、舌が痺れるような不快さはまったくない。
まるでこの村のまわりに広がる雄大な岩稜を彷彿とさせるような、芳醇なるしょっぱさ。
ユリアはその味を追いかけるようにジョッキを掴み、ビールをぐびりとあおった。
1週間ぶりのビールは、稲妻のような喉ごし。
そのあまりのうまさに、彼女は本当に雷に打たれたみたい身体をうち震わせる。
心をカチコチにしていたストレスが、すべて粉々に吹っ飛んだ瞬間だった。
「おいっ……ひいぃぃぃーーーーっ……!」
それでさらにエンジンがかかったように、ユリアは本格的に料理に舌鼓を打つ。
となりで見ていた男たちが、たまらんといった様子で立ち上がった。
「ね……姉ちゃん、いい食いっぷりだなぁ!」
「それにその飲みっぷり、気に入ったぜ!」
「姉ちゃんとなら、酒がさらに旨くなりそうだ!」
「どうだい、俺たちといっしょに……!」
しかしユリアが横目でひと睨みするだけで、男たちはメデューサに睨まれたみたいに固まってしまう。
「わたしに近づくな」
その眼力と言葉による威圧感はすさまじく、男たちは腰が抜けるようにへなへなと椅子に座り込こんだ。
ユリアはその美貌とプロポーションのせいで、特区にいる間はよく声を掛けられる。
しかし彼女は孤独を愛する女。
その主義については現実の彼女と何ら変わりないのだが、特区での彼女はなんでもハッキリ言うので、ひとりの時間を邪魔されることはない。
たまに警告してもなお絡んでこようとする輩がいるが、その場合は別の手段に訴えるまでだ。
これはユリア自身も疑問に思っていることなのだが、特区にいる間は不思議と気持ちが大きくなる。
人目を気にして猫背になることも、残業を押しつけられているのにペコペコすることも、セクハラまがいに身体を触らせることもない。
矢でも鉄砲でも持ってこい、嫌なことは嫌だと言ってやる。
やりたくないことはキッパリと断わり、やりたいことだけをやってやる。
現実の百合は、近所のファミレスに入る度胸もない。
でも特区では、初めて来た見知らぬ土地の酒場で、むくつけき男の人たちの目も気にせずに料理にパクつき、酒をあおっている。
声が小さすぎて、店員を呼ぶことすらできない彼女はここにはいない。
指をパチンと鳴らし、
「お酒もお料理もおかわりだ」
ただそれだけでいい。
そう。彼女の魂は
それからユリアは、まわりの男たちが引くくらい食べて飲んだあと、酒場の2階にある宿の部屋を取る。
宿はたまに来る冒険者が泊まるだけらしく、普段はすべて空き部屋なので好きに使っていいと言われた。
ユリアは真ん中の部屋に入ると、ほろ酔い気分で部屋の扉に手をかざし、防護の魔法を掛けた。
特区は現実よりもずっと物騒なので、女のひとり旅だとわかると部屋に押し入ってこようとする輩もいる。
なかには宿屋の店主とグルになって、寝込みを襲ってくる例もあるくらいだ。
しかし防護の魔法を掛けておくと、そう簡単には部屋には入れなくなるので安心して眠れる。
部屋は簡素で、おろしたてのシーツがかかったまあるいベッドがひとつあるだけだった。
ユリアは店主にチップを弾んで、特別に干し草のベッドを作ってもらっていた。
何も考えずに飛びこむと、干し草のやさしい柔らかさと、心安らぐ香りに包まれる。
百合は一週間の仕事を終えるとアパートにも戻らず、特区に直行してユリアとなる。
自分のことを誰も知らない辺境の地で、自然の恵みをたらふく食べて、天然のベッドでぐっすり眠る。
それが、彼女の週末の過ごし方であった。
でも、まだ終わりではない。
特区は現実とは時間の流れが異なっているので、土日をフルに使えば2日以上の滞在ができる。
「明日から、たっぷり遊ぶぞぉ……」
ユリアは夏休みを迎える子供みたいなことをつぶやきながら、深い眠りに落ちていった。
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