異世界バズりOL コミュ障のOLは実は動画配信のカリスマ、動画のなかで自社の武器を使ったら大変なことに

佐藤謙羊

バズりOLの週末

01-01 特区へ行こう

01-01 特区へ行こう


 給湯室で誰かがわたしのことを、勉強のできるおバカさんだと言っていた。

 その時わたしは、たしかにそうかもと思った。


 わたしがいた学校はエスカレーター式の女子校で、永久就職率が100パーセントだった。

 企業に就職したのは、わたしが初めてだそうだ。


 そのせいかはわからないけど、わたしが大学で学んだことは、会社という社会では何の役にも立たないことを知る。


 今日もわたしのとなりに、どさりと書類の山が置かれた。

 揉まれると思い、わたしは人知れず身を固くする。


「ブヒッ! 百合ちゃん、これ週明けの朝イチの会議用の資料だから、そこんとこよろしく~。っていうか百合ちゃん凝ってるねぇ、彼氏とお盛んなのかな? あはは、冗談冗談、百合ちゃんに彼氏がいるわけないもんね、そんじゃ、お先~」


 定時のチャイムと同時に押しつけられる仕事にも、ド直球のセクハラにも、わたしはなにも言わない。


「あ……はひ……おつかれさま……れす……」


 蚊の鳴くような声で頭を下げ、ただひたすらに受け入れるのみ。

 断るよりも、受け入れるほうが楽だと思っているから。


 わたしの受け入れグセは我ながら酷く、この会社に入ってから数年間、部署の女子社員のなかで自分だけ残業を押しつけられていることを疑問にも思わなかったほどだ。


『百合ちゃんは、世間知らずが服を着て歩いてるような子だねぇ。よそに行ったら大変なことになりそうだから、まずはこの会社でいろいろ社会のことを勉強してみたらどうかな?』


 採用面接で社長からそう言われるくらい、わたしは世間のことを知らない。


 ……なんてことを考えながら手を動かしていたら、気付いたら夜の10時をとっくに過ぎていた。

 今日は週末だから、まだ晩ご飯を食べていない。


 お腹はペコペコで、1週間働きづめでクタクタだったけど、わたしは活力に満ちていた。

 仕上げた書類を頼んできた社員さんの机に置き、週末限定のトローリーバッグを引いて部署のパーティションから出る。


 フロアにはわたし以外には誰も残っていなかった。

 そういえばここのところ退職者が多いみたいだったから、それと関係あるんだろうか。

 うつむいたまま足早に通路を歩いていると、すれ違った男の人から「お疲れ様」と声を掛けられた。

 ズボンが水色だったのでたぶん警備員さんだと思い、無難に頭を下げておく。


「お……つかれさまれす……」


「百合ちゃん、今日も残業かい? 会社がこんな状態だってのによくやるねぇ。あと疲れてるのはわかるけど、そんなに身体を丸めてないでしゃんとしなさいよ、まだ若いんだからさ」


 わたしは人より背が高いのがコンプレックスだ。

 思春期の頃、すれちがう男の人から「デカっ」と言われ続け、気付くと猫背になっていた。


 中年の警備員さんはわたしの後ろ頭に手を伸ばし、なんの断わりもなくヘアクリップを外す。

 ほどけてひざの裏まで垂れ落ちた髪を、撫でながらしゃべり続ける。


「それにこんな長い髪じゃ、まるで幽霊だよ。ワシらの間で百合ちゃんがなんて呼ばれてるか知ってるかい? 『透けてない幽霊』だよ。百合ちゃんってずっとうつむいてるし、物音もたてずに歩くから、こうやって夜中に見回りしているときに遠くから見るとビックリしちゃうんだよ」


「す……すみませ……おさきしつれいいたます……」


 わたしは話の区切りを見計らって、ぺこぺこ頭を下げながら、そそくさとその場を離れる。

 もはや言うまでもないと思うが、わたしはコミュ障だ。


 特に男性に対しては恐怖にも近い感情があり、会社の人どころか、警備員さんとの世間話だけで心臓がバクバクする。

 幼稚園から大学までエスカレーター式の女子校で、教師陣も女性のみだったので、まともに話したことがある男の人は、父親と祖父くらい。

 というか相手の目すらまともに見られないので、それを誤魔化すために分厚い黒縁の眼鏡をかけるようにしたら、本当に目が悪くなってしまった。


 いまでは、目が悪いのに度の入っていないダテ眼鏡をかけるという、傍から見れば意味不明のことをしている。

 近眼のままのほうが相手の顔がぼんやりとしか見えないので、わたしにとっては都合が良かったりするんだよね。


 要するに、どこに出しても恥ずかしくないコミュ障の喪女……それがわたしだ。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 会社は雑居ビルの1階に入っていて、オフィスとショールームの兼用になっている。

 エントランスには我が社が取り扱っている包丁やカトラリーがガラスケースの中に宝石のように飾られ、表通りを過ぎゆく車のヘッドライトを受けてオレンジ色に鈍く輝いていた。

 会社の前は大通りになっていて、歩道のすぐそばに地下鉄への階段がある。

 そこから20分ほど電車で揺られ、駅から10分ほど歩くとわたしのアパートに着く。


 いつもならそのまま部屋に戻ってバタンきゅうなんだけど、今日は違う。

 駅前にある『特区ステーション』へと向かう。


 これはわたしが生まれるよりもずっと前のことなんだけど、ある日とつぜん異世界に繋がる門が開き、そこから多くの異世界人やモンスターが流れ込んできたそうだ。

 各国の対応はさまざまで、中にはその門に軍隊を送り込んで異世界に侵略戦争を仕掛けた国もあったらしい。


 しかし異世界の人たちは剣や魔法の使い手で、近代兵器は歯が立たなかったそうだ。

 最終的に異世界とは和平が結ばれ、日本政府はその異世界を『特区』と名付ける。


 それから数年の時を経て外交が進み、いまでは『特区ステーション』からいつでも特区に行けるようになった。

 特区はファンタジーのゲームや映画に出てきそうな場所で、美しい自然がいっぱい。

 魔法陣による転送で一瞬にして行けるので、人気の旅行スポットになってるんだ。


 もうじき日付が変わる時刻だというのに、特区ステーションの前は週末の行楽を求めて多くの人たちが行列を作っていた。

 わたしもその列の最後尾に加わる。


 並んでいるのはカップルか家族連れか仲良しグループで、おひとり様はわたしだけ。

 途中で何組かに抜かされちゃったりもしたけど、しばらく待ってようやくわたしの番になった。


「いらっしゃいませ、山本百合様。いつもご利用ありがとうございます」


 パスポートを出すより早く、受付のエルフのお姉さんからそう言われるほどに、わたしはこの特区ステーションの常連だったりする。


「行き先、装備、コーディネート、出入国申請、クリーニングサービス、諸々すべて承っております。本日はルアプス王国、フランベール領、フロマの村への転送でお間違いないでしょうか?」


 特区ステーションで必要な手続きはスマホにも対応している。

 この場で受付の人と話しながら決めることもできるのだが、会話を最小限にするために、わたしは前もって済ませるようにしていた。


 なのでこの場では、「あ……はひ……」と恐縮するだけでいい。


「かしこまりました。山本様は辺境の地がお好きのようですね。でも週末の観光でしたら、王都もオススメです。

 治安の良い名所がたくさんありますし、なによりも大勢での転送となりますので、料金がとってもお得になるんですよ」


 ファーストフードではいつもフライドポテトをご一緒させてしまうわたしでも、こればっかりは受け入れるわけにはいかない。

 だって王都は人だらけだから。


「あ……いえ……その……」


 しどろもどろに断って、わたしはようやく別室へと案内される。

 別室はちょっとした体育館くらいあって広々としてるんだけど、まわりは真っ白な壁があるだけで、窓ひとつない。


 この部屋から、転送魔法を使って特区へと行く。

 行き先が同じ人はまとめて転送されるんだけど、わたしみたいに辺境の地に行く人はいないので、部屋はいつも貸し切りだ。


 転送係である、魔法使いの格好をしたお姉さんが呪文を唱えると、床一面を覆うように魔法陣が浮かび上がる。

 わたしが光に包まれはじめると、お姉さんは頭を下げて見送ってくれた。


「いってらっしゃいませ、ユリア様」


 わたしはお姉さんよりも深く頭を下げ返したあと、部屋の壁に掛けてある時計をチラ見した。


 ……よかった、今日もギリギリ間に合いそう……。


 わたしの名前は、週末の日付が変わる瞬間に、百合からユリアへと変わる。

 そしてわたしは、金魚鉢から大海原へと解き放たれるのだ。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 今日の目的地であるフロマは、ビールとチーズがおいしい村だという。

 ユリアは行き先の名物によって、コーディネートを変えるようにしている。


 ペールラガーのような、ゴージャスなゴールドのロングヘア。

 ミモレットチーズのような、ビビットオレンジのレザー製アーマードレス。

 大胆なスリットの入ったスカートから覗くハイヒールのブーツは、彼女のお気に入りアイテムのひとつ。


 万年ビジネススーツの百合とは真逆の印象。ユリアは派手ないでたちで特区へと降り立っていた。

 いまの彼女はダテ眼鏡をかけておらず、かわりにカラーコンタクトを入れている。色はドレスとお揃いのオレンジ。


 背筋は猫背ではなくシャキッとしており、表情は別人すぎるほどにクール。

 見つめられるとゾクッとするほどの切れ長の瞳で、あたりを見回している。


 フロマは受付嬢から辺境の地だと言われていただけあって高原にあり、岩稜に囲まれた草原のなかのちいさな村だった。

 数分前までいた世界で例えるなら、アルプスの山奥にある村のイメージに近いだろうか。


 ユリアはいま村の中央広場にいるのだが、まわりには人の姿はほとんどなく、かわりに放し飼いの羊たちがうろついている。

 丸太造りのこぢんまりした家がまわりに建ち並んでいて、藁の匂いに混ざってチーズの焼けるいい匂いが漂ってきた。


 ユリアは空腹であることを思いだす。

 暮れなずむ村のなか、乾いた石畳の上を歩き、最初の目的地である酒場をさがした。

 こんなに小さな村だと酒場は無いかもと思ったが、すぐに見つかる。


 『天空のつるぎ亭』という、大仰な名前の店だった。

 吊り下げられた木彫りの看板には、鋭く尖った岩山が描かれている。

 どうやらこの村のまわりにある岩山が、天に向かって伸びる剣のような形をしている事から名付けたのだろうとユリアは想像した。


 村の規模にしては繁盛している酒場のようで、歌声やジョッキを打ち鳴らす楽しそうな音が漏れ聞こえてくる。


 ユリアは逸る気持ちを抑えつつも、弾む足取りでスイングドアをくぐった。

 酒場は仕事終わりなのであろう村の男たちがいたのだが、身体じゅうキズだらけでコワモテ揃い。

 店主にいたっては片目が裂傷の跡で潰れていて、まるで高原の山賊の酒宴に迷いこんだかのようだった。


 山賊風の男たちは思いがけぬ訪問者が来たかのように、一斉に彼女を見る。


 ヨソ者が珍しいのはもちろんだったが、それ以上に、ユリアの派手な格好に目を奪われているようだった。

 彼女は現実と呼ばれる世界では人目を避けるようにして暮らす小物であったが、この特区ではジロジロ見られるのは慣れっこの大物である。


 ユリアはランウェイを歩くモデルのような堂々とした足取りで、店の真ん中にあった空席につく。

 椅子に斜め座りして優雅に脚を組むと、指をパチンと鳴らした。


「この店で、いちばんいいお酒とお料理を頼む」

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