第52話

 コウさんの中の葛藤が見える気がする。

 あと一押しのような気がする。



 なのに何でボクは酔っ払いで、何て言えばいいのか分からないでいるんだろう。



 もう彼はとっくに椅子に座ったのに、コウさんはまだドアの方を向いたままでいた。

 もしコウさんが彼をノンケだと思って何をするのも諦めていたなら、衝撃はきっとすごいと思う。計り知れない。

 諦めていたの可能性が目の前にあるんだから。

 ただ、コウさんが言うパワハラとかセクハラの意味も分からなくもない。

 ふたりが職場の先輩後輩なら、先輩から出されたシェリーを立場上断れないとか、断りづらいとか。



 考えるのも無理はないよね。



 でも、今ここで新たなお客さんが入ってきたら終わりだよ、コウさん。

 彼は優良物件すぎる。すぐに売れてしまう。

 コウさんなら分かるでしょ?分かってるからの葛藤でしょ?



「………ボク、じつはコウさんと付き合っても良かったのかもって、何度か思ったことがあるんです」

「………え?」

「前に付き合うかって話になって、結局やめたでしょ?その後です。コウさんなら付き合っても良かったんじゃないかって」



 急なボクの話に、コウさんはやっとこっちを向いた。

 その顔は急な話題に少し驚いてて、それからすぐにへぇって目を伏せた。



 色んな感情が混ざった複雑な表情に見えた。



「じゃあ、今からでも」

「イヤですよ」

「自分から話振って即答か」

「ええ、即答ですよ。イヤです」

「理由は?」

「簡単ですよ?コウさんは全然、ボクを見てくれてないから」

「………っ」

「前のときも今回も、コウさんはボクを見ていない。ボクを通り越して、違う誰かを見てる。………違いますか?」

「………」

「もしコウさんがボクを見てくれてたら、ボクはコウさんと付き合ってたと思います。コウさんはカッコいいし、優しいし、意外と真面目だし、も抜群ですからね」

は余分だな」



 図星。



 いつもは力強いコウさんの声が、小さいだけでなく弱い。

 浮かんでる笑みも、自嘲してるように見えた。



 別に、責めてるんじゃない。

 はそんなところ。お互いに気が、気持ちがなくてもいいところ。気楽にすぐやれるところ。



 ボクもそれを承知で通っていたのだから、変に気にすることではない。



「運命の人はひとりじゃないって、聞いたことありません?」

「………ああ、ある、な」

「ボクもそう思います。運命の人はひとりに対してひとりじゃない。でも、運命を別つ瞬間っていうのが誰にでもあって、どこかの一瞬にあって、それを一度逃してしまうと、運命の人は運命の人じゃなくなるんじゃないかって」

「運命を別つ瞬間………」

「はい。タイミングが違えば、ボクはきっとコウさんと付き合ってた。でも何かが少し違った。タイミングが違った。どこかでズレた。ボクたちが重なる瞬間を、ボクたちはどこかの一瞬で逃した。だから付き合うに至らなかった」

「………ああ、そうだな。そういうのって、あるな」

「でしょ?」



 しみじみと。心の底からの返事。



 コウさんにも、そんな相手が居たに違いない。

 コウさんの恋愛話は聞いたことがないけれど、それは多分、以前ボクがコウさんと会っていた頃。

 ボクの向こうに重ねてた誰か。



 タイミングが違ったら、コウさんはその人と歩いていて、またタイミングが違ったら、コウさんはボクと歩いてた。



 逃した運命の一瞬。



 その一瞬は一瞬なのに、運命の人を運命の人じゃなくしてしまうんだ。



 少しお互いが黙ったそのときだった。

 店のドアが開いて、40代半ばぐらいの背の高い男の人が入って来たのは。



「いらっしゃいませ」



 バーテンダーが言うと、その人はバーテンダーに向かって小さく頷いた。

 そして、ゆったりとした動きでコウさんの職場の後輩である彼とボクたちが端と端で座るカウンターの間に座った。



「コウさん」



 これはヤバいよ。これが運命を別つ瞬間だよ。



 焦ってボクが呼ぶのと、コウさんがスッと手を上げてバーテンダーを呼ぶのが同時だった。



「奥に座る彼にシェリーを」



 聞いた言葉に、ボクは思わずコウさん‼︎って大きく呼んだ。



 良かった。

 コウさんが自分の気持ちのままに、その気になってくれた。



 正直ちゃんと話せてたかは分からないけど、オチをまったく考えてなかったけど、コウさんが彼にってシェリーを頼んだのならそれでいい。



 じゃあこれ以上はボクが居ても。



 そう思って帰ろうとした。



 政さんのことでもやもやしたから来たのに、コウさんのことがスッキリしたっていうのもおかしい。



 でもいいや。



「じゃあボクはこれで」



 早く退散してしまおうって立ち上がったボクの腕を、何故かコウさんがつかんだ。ぱしって。



「え?」



 何してるのコウさん。何で引き止めるの?

 シェリーはもうすぐできあがって、コウさんの好きな彼の前に置かれるのに。



 コウさん?って自分でもかなり訝しげな声だなって声で呼んだら、コウさんは笑った。唇の片側を上げて。



「みの、今すぐ俺の前であの男に電話しろ」

「はい?」



 あの男って………。それはもしかして。



「運命を別つ瞬間。俺もそれは絶対にあると思う」

「………」

「だから逃すな。みのも。みのの運命の相手がいる今を」



 コウさんの言葉に、政さんが浮かぶ。政さんしか思い浮かばない。



「それに、みのから俺にそこまで言っておいて、俺だけにやらせるのはナシだよな?」

「〜〜〜〜〜っ‼︎」



 何て顔で何てことを。



 反論も手を振り解くこともできず、声にも動きにも出さずジタバタしていたら、彼の前にコウさんからのシェリーが置かれた。



 バーテンダーに『あちらのお客さまからです』と、コウさんを言われたと思しき彼の目がコウさんを捉えた。

 コウさんも、ボクの腕をつかんだままではあるけど、じっと彼を見ていた。



 どきどきした。

 どうなるんだろうって。



 これが、運命を別つ瞬間、だ。



 それは、おそろしく長くておそろしく短い、緊張の一瞬。



 彼はコウさんにふわりと笑って。



 ………シェリーを一口、コクリと飲んだ。


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