第50話
「知り合いだから」
コウさんがバーテンダーに言うと、バーテンダーは本当に?と聞くかのようにボクに視線を向けた。
落とされた店内の照明。でも、たくさんのお酒が並ぶバーテンダーの後ろの棚は少し眩しいぐらい明るくて、その光に浮かび上がるみたいに見えるバーテンダーは、ちゃんとコウさんに同意しないとヤバいと焦るぐらい鋭い眼光をしていた。
「あの、大丈夫です。本当に知り合いです」
ボクが言うと、バーテンダーはコウさんがボクの横に来ることを許すみたいに眼光をゆるめて、コウさんが飲んでいたお酒のグラスを持ってきてくれた。
「俺からのシェリーは飲めないって?」
「今日はただお酒を飲みたかっただけです」
「飲むだけなのにここ?」
「………他に知ってるお店がないんですよ」
「ふうん?」
ひとりで飲みたかったのに、よりによって電話もメールもスルーしてたコウさんが居るなんて。
今日はそういうつもりで来たわけじゃない。
でもアルコールが入ったらもしかしたら。
もしかしたらのタイミングでもしシェリーが来たら。
………なんて、これじゃあいいのか悪いのか、そういうつもりになれる気がまったくしない。
「コウさんこそお盛んですね。ボクを口説くとか言いながら」
ちびちびと飲んでいたホットカクテルを、最後にぐいっと飲んでコウさんに言ったら、さっきのシェリーがボクの前に置かれた。
「だから、飲みませんって」
「そういう意味じゃない。ただの奢り」
「本当に?」
「本当に」
とか言って、これで飲んだらホテルとか言わないよね?
疑いの眼差しでコウさんを見てたら、本当だってって笑われた。
「俺も飲みに来ただけ。しかももう帰ろうと思ってたところ」
「………」
「本当だって」
疑いすぎって目を伏せて笑うコウさんが、どこか疲れてるように見えて、ボクはもういいやってシェリーを飲んだ。
コウさんは真面目な人だ。
良すぎて泣かされたことは何度もあっても、イヤなことをされたことは一度もない。
しかもボクの誤解を招く発言と双子散歩時の遭遇で不倫疑惑が出たときの憔悴具合。
出会いがどうであれ、人として信じて大丈夫だろう。
プラス、『りょうすけ先生』。
飲んだからホテル行くぞって言われたら、きっと効くであろうその名前を出そう。
「ほんっと、分かんない。急にマッチングアプリなんて」
「お前………さっきからそればっかだな」
「だって分かんないから‼︎いつもボクに気があるような発言ばっかりしてるくせにっ」
「………まあ、確かに俺相手にも威嚇してたな」
「でしょ⁉︎なのに裏で女の人と連絡取ってて、しかも24、25日とご飯要らないって言うんですよ⁉︎そんなのもやもやするに決まってるから‼︎」
ボクはカウンターのテーブルに突っ伏しながら、微妙な呂律でコウさんに愚痴っていた。
ボクは酔っ払ってる。
自覚はあっても、久しぶりにひとりで飲みたくなったって話からどうしてか流れでこんな話になった。
誰にも言えない。言う相手が、言える相手が居ない。だから、ひとりでお酒でも飲んでって思ってたのに、居るから。居たから、コウさんが。言える相手が。
「コウさんもコウさんですよ」
「俺?」
「さっきも言ったけど、ボクを口説くって言ってたのにここに来てるし」
「たまたまだよ。今日は俺も飲みに来ただけ」
「じゃあ誰かにシェリーを出されたら?」
「出されたけど飲んでない。何みの、そんなことを言うってことは、俺と付き合う気になったってこと?」
「………なってません」
「だよなあ?さっきからみのの話は政ってやつのことばっかだし?」
コウさんの、揶揄いを含んだ声と言い方に何も言い返せなくて黙っていたら、惚れたなって追い討ちの一言。
「………っ」
突っ伏してる。テーブルに。
だからボクの表情は見えてない。コウさんには。
でも、身体が思いっきり反応した。びくって。
今の反応を見てないなんて、言わない………か。
そろっと顔を上げてコウさんを見たら、案の定コウさんはボクをしっかり見てて、目が合った瞬間コウさんは笑った。片方の唇を上げて。
「本人に聞けばいい。何でって」
「そんなの………聞けるならここでコウさんに愚痴ってない」
「………確かに。でも、ここで俺に愚痴ってても何も分からないし、何も変わらない」
「………」
「それがイヤだから愚痴ってるんじゃないのか?本当は何でって聞きたいし、変えたい何かがあるんじゃないのか?」
政さん。
目の前に居るのはコウさんなのに、コウさんの優しい目から政さんを連想して、ボクは心の内で政さんを呼んでいた。
政さん。
何で、急にマッチングアプリなんか使い始めたの?
女性不信に陥ってるのに、何で女の人と連絡してるの?
クリスマスイブとクリスマスに、どこで誰と何をするの?
政さんの運命の人は、ボクじゃないの?
アルコールでろくに働かない理性のせいで、おさえつけていた疑問がぽつぽつと勝手に浮かんだ。
「聞いて来たらいい。全部」
あ、ダメだ。
そう思ったのは、涙が勝手にぽろんと落ちた瞬間で、それとほぼ同時に店のドアが開いて、人が入ってくる気配がした。
ボクは慌ててほっぺたを濡らした涙を拭いた。
「………りょうすけ、先生?」
コウさんが信じられないとでも言うように、呟くようにその名前を口にした。
その声はひどく弱々しい、かわいた声だった。
振り向くと、以前コウさんと一緒に居てボクに挨拶をしてくれた若くかわいい先生が、コウさんを見てものすごくびっくりした顔ですごくオシャレな格好で立っていた。
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