第42話 屋敷
渡部邸は西洋趣味の豪奢な屋敷だった。
地下から出た先は廊下に繋がっていた。ガス灯というのだろうか、電球とは違った雰囲気の照明が等間隔に並んでいる。壁紙のアルコ―ヴに既視感があった。ここはやはり、りつ子が引きずられていたあの場所なのだろう。
廊下を抜けた先は玄関につながる広間で、二階まで吹き抜けの大きな空間があった。左右対称に階段が並び、中央に立派なグランドピアノがある。天井にはいかにも不安定そうにシャンデリアが吊り下がっていた。
「すげー」
わざわざ能天気に呟いてしまうのは、自分の中にある緊張を隠したいからかもしれない。
貧乏人に縁がない世界なのは確かだった。この広間だけで、ちゃちな木造二階建ての我が家など、すっぽり収まってしまいそうだ。どこもかしこも贅が尽くされている。渡部家は輸入業で財をなしたという話だし、それでこの洋館なのだろうか。
「庶民とは格が違うって感じ」
「お金持ちだったんだねえ」
各々がのほほんと述べた感嘆は、それからはたとやんだ。玄関扉のすぐ前に死体が転がっていた。先ほどの死体よりいくらか年上の男のようだった。同伴していた記者だろうか。身体はうつ伏せに倒れているのに、頭だけ天井の方を向いている。引き攣れて捻じれた皮膚が見たこともない深い皺を作っていた。その下で、黒々としたものを吸い込んだ絨毯が重たげに湿っている。
ドアは……開かないんだろうな。ダメもとで試してみたが、ドアノブすら回らない。
出口はない。俺が開けない限りは。二度目もうまくいくのだろうか。不安と同時に生ぐさい臭気が胸を満たす。
先ほどのような凄まじい悪臭はないが、血と埃と黴のにおいはどこまでも濃かった。
「……遊園地の次はお化け屋敷ってか」
手の埃を拭いながら言うと、すぐさま「おもんな」と野次が飛んだ。
「うっせー」
無意味になれ合う声が、高い天井に響く。
低く、風の唸るような音がしていた。「なんか嫌な声するね」とまひろに言われるまで、俺はそれが声だと気が付かなかった。
がらんとした空洞の中に、獣とも人ともつかない声が、地を這っている。
「声だけ?」
「うん。今のところは。けどすごく嫌な感じ。恨み言だろうな、これ」
まひろが寒そうに腕をさする。
「子供の声もするね」
みっきーが天井を見上げながら、呟く。耳を澄ませてみると確かに、天井の高いところで、きゃらきゃらとはしゃぐ子供の声がするような気もする。
唸りよりももっと遠い。悪意や負の感情とは反対の、楽しげな喧騒。
「遊園地の子たちかな」
「こんなところまで聞こえるもんか?」
「わからない。……けど、なんとなく」
頭によぎったのは、相殺、という言葉だった。
絶えず聞こえる恨みの声を、彼女は子供の声で掻き消そうとしたのだろうか。だから執拗に子供を求めた? 「先生」が言っていたことも、単なる言い訳というだけではないのか。
辺りはやけに気温が低かった。凍えそうというほどではないが、半袖からのぞく腕がどうも心もとない。肌寒さというのはむやみに人を心細くさせる。その上、ぼんやりした色の明かりこそあるけれど、視界は常に靄がかかったように薄暗い。
どこかにりつ子が居るはずだ。とりあえず手前から扉を開けて回った。まずぶち当たったのは客間らしき部屋で、壁に重厚な絵画が飾られていた。金色の額縁の上が埃で真っ白になっている。布張りのソファと、細工の凝らされたテーブルが一対。サイドボードに陶器の花瓶。花はとうに枯れて生ごみ同然になっている。
生活感のない部屋だ。上等ではあるが、どこか垢抜けない印象を受けた。他の場所を覗いてみても、応接間ほどではないにせよ、どこも似たような雰囲気を感じさせた。設えだけが立派なのに、どこかおさまりが悪く、ぎくしゃくしている。贅の尽くされた虚構。この家はどこもかしこもそんな物悲しさが満ちている。
感じさせるのは体裁への拘りだ。表面を繕うのは必死なのに、それ以外を蔑ろにして憚らない。なぜだかそんな感覚を覚えた。身体には、いつの間にか、この場所への警戒とは別の緊張があった。
時代も違うし、ただ古いというより荘厳な洋館は、うちとは雰囲気もまるで違う。けれど、家族ごっこに足を絡めとられていたあの家と、この家はどこか似ている。
そう感じさせるのは、この場に満ちた重苦しさか。それとも、親に疎まれ、監禁すらされた彼女の生い立ちを、多少なりとも知るからなのか。
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