第13話 猫

 相変わらず学校には人っ子ひとりいない。人がいないとこんなにがらんとして見えるのか。広さに対する人口密度の少なさが、やけに心細かった。無人の学校は意味もなく威圧感がある。学校怪談が流行るのもよくわかる。いかにもおあつらえ向きだ。

 蛍光灯の明かりは頼りなく、四隅にぼんやりと暗闇が残る。足音の反響が、かえって静けさを煽る。俺たちだけがはっきりと異物だった。

 適当な教室に陣取って、俺たちはひとまず、状況の整理を試みる。いかにもちょっと席を外したまま、という様子の椅子に腰かけた。やはり持ち主の気配はなく、座面はすっかり冷たくなっていた。

 とりあえず整理すると、こうだ。

 放課後。駄弁りながら勉強をしていたら、突然、周囲から人が消えた。人のいた痕跡はそのままで、学校中から人の気配だけがなくなっている。生徒や教師の靴はそのまま残っているし、扉は開かないけれど施錠された風ではない。窓を開けようにも鍵を開けられない。

 明らかに異常だ、と思った矢先、正体不明の地震と、子供の足音。囁くような笑い声。

「ポルターガイストってやつかな」

 話の途中で、まひろが言った。霊が起こす騒ぎを表すドイツ語らしい。正体不明のノック音や、物が触ってもいないのに動く、等を示すそう。ガイスト、は英語でいうゴーストだろうか。

「あの時、たくさん子供がいたよね」

「姿を見た? 俺は足音と声だけだったけど」

 まひろはどこか苦々しげに「見た」と答える。「随分薄かったけど」

「年代は?」

「たぶん、小学生くらい――十歳前後ってとこ? よくわからないんだよな、輪郭がないっていうか、ぼうっとした感じで見えたから」

「いつもそう?」と訊いたのは、みっきーだ。

「いや、いつもはもっとはっきり、人間みたい。――あの子たちは存在が薄いのかな。この学校には関係ないんだろうし……」

 確かに、高校に十歳前後の子供がぞろぞろ執着を残す理由はない。学校に閉じ込められたこともそうだが、問題はこの学校という場所自体ではないのだろう。

 話を戻す。諸々が起こり、次いでガラスが割れて、俺が軽い怪我をした。保健室で手当てをすると、あの血。ほぼ同時に、まひろが女の子の姿を見た。

「それもぼんやり?」

「多少は。でも他の子たちよりはっきりしてた。中学生くらい? もう少し年下かも。顔ははっきり見えなかったけど、なんか服と髪型が古風だった。おさげっていうの?」

 その子は何か悪さをするでもなく、一瞬で消えた。妙に存在感が強い感じ、とまひろが口添える。

 ……ほんで。

 みっきーが何かを見た。幻視に近い何か。トリガーはたぶん天井から落ちる血だ。急に何かが注がれてくる感じだったと、みっきーは言う。改めて話を聞いてみても、真新しい情報はない。しいて言えば、暗い、狭い通路で、地下みたいなところを走っているようだった、ということだけ。やけに足音と呼吸音が響く感じがしたらしい。

 カメラを持った若い男。暗くて狭い地下通路。ここに来て急に、具体的なモノが出てきた。

「となると」俺は机に肘をかける。「化け物、と呼ばれていた子が元凶くさいな」

 みっきーが見た(感じた?)もう一つの幻覚。化け物、と呼ばれたそれは、孤独感と悲しみを抱えていたという。まひろが見た女の子は関係あるだろうか。

 みっきーとまひろが、そろって目をぱちくりしている。……ああ、そうか。まだ話していなかったっけ。

 俺は伊東から聞いた話をかいつまんで話した。元凶と怪現象を起こすものは別物だろうということ。怪現象は使役された、あるいは集まってきただけの低級なモノが起こしていて、みっきーに憑いている大元は、もっと別格な存在らしいということ。

「何そのおっさん、怪しすぎ」とまひろは笑っていた。俺も正直そう思う。

「でも、そんなに的外れじゃなさそうだよね」

 神妙な顔で言ったのは、みっきーだった。

「中核にはたぶん、桁違いの存在が居るんだ。――化け物、と呼ばせるくらいの」

「そうかなあ?」とまひろは胡乱そうだ。

「じゃないと、この場所の説明がつかないよ」

 ……ああ、そうか。建物ごとまるごとの異常な空間。俺たち三人が飛ばされたか、俺たちを除いた全員が飛ばされたか。どちらにしろ、そんなことができるのは確かに桁違いだ。ちょっと変なものが見えるとかいうのとは規模が違う。

「それに、なんか似てる気がするんだ。中学の時の――あの二人の死に方と、今日見た若い男の人の、ねじれる、感じ」

 何か思い出したのか、みっきーはかすかに身震いをして、黙り込んでしまう。

 みっきーもえらい奴に目をつけられたもんだ。あまりモテすぎるのも困りものだな。

 みっきーの目が翳る。今にも泣きだしそうに見えた。

「ごめん……僕のせいで、二人を巻き込んで」

 言いながら、みっきーはどんどんうつむいてしまう。

「んなこと言ってたってしょーがねーじゃん」

「でも……」

「みっきーを責めても解決はしないし、そういうこと考えるだけ不毛だろ」

 みっきーはますますしゅんとなる。「もっといい方あんだろ、バカあくつ」まひろに頭を叩かれる。

 大元の原因がみっきーにある……という言い方は確かにできる。でも、仮にそうだったとしても、本人がいらんことをやらかした、というわけではないという気がした。面白半分で悪さをして祟られる、なんてことをするような性格には見えないし、何かしらの因縁だか事情があるはずだ。本人に訊いてみても、予想通り、罰当たりなことをした覚えはない、と言う。

「ならみっきーはむしろ被害者じゃん?」

「そうかなあ……」

 なんか引っかかる感じがするな、と思う。今まで被害らしい被害はみっきーの周囲にだけ存在していた。当人は風評被害こそあれ、その手の被害には晒されなかったわけだ。過保護なまでにみっきーを守っていたそいつが、今回みっきーを巻き込んでこんな大掛かりなことをやらかした……それってなんか、妙だよな。平仄が合わない。

 それこそ、同一性がない、って奴じゃあ……。

 出口の見えない迷路に放りこまれた気分だ。話がすっかり煮詰まってしまった。

「次のフェーズに移った、とか?」

 不意にみっきーがぽつりと言う。

「んにゃ? お試し期間が終わったって? でも今までこんなことなかったよね?」

「じゃあ……何かを求めてるとか」

「え……命?」

 まひろがすっと青ざめる。

「ならこんな回りくどいことしないだろ」

 首だの手足だのをもぎ取れるような奴なら、俺たちを殺すなんて造作もないことだ。それこそ、みっきーを閉じ込めた中学生たちみたいに。

「それなら、何かを伝えようとしてる、とかは?」

「可能性はあるけど……」

 かといって、いまいち確証はない。

 うーん、と各々が考え込んだきり、また議論が膠着する。

 それにしても、他人に生殺与奪を握られるというのは、あまりいい気持ちがしない。仮にここで俺たちがモメて、例えばみっきーに殴りかかりでもしたら、その瞬間に首が飛んだりして……

 そこまで考えて、おや、と思う。

「大元が一緒だとしたら、みっきーがいる限り、希望はあるかもな」

「え?」

 椅子でがたがた遊んでいたまひろが、ぱっとこちらを向いた。

「だってそれは、みっきーを守ってるんだろ」

「あ、そっか」

 正確には、意図はわからないが、そう見えるのは事実だ。だとしたらどこかに突破口は存在するはず。このまま閉じ込めてなぶり殺しにする、というセンは、みっきーの存在を鑑みると考えにくい。……というか、そう思いたい。

「うわっ」

 まひろが突然椅子ごと倒れかけ、けたたましい音がした。俺とみっきーも飛び上がりそうになった。「遊んでっからだよ」「違うって、なんか触ったんだもん!」

 言うや否や、黒い影が机からぬっと出てくる。小さい動物だ。黒い毛並みと、三角形の耳。ぴんと伸びたひげ。

「……ねこ?」

 しかも首輪つきだ。

「なんだ、猫かあ……」みっきーがほっと息をつく。

「いやいやいや」

 さては天然入ってるなこいつ。

 そうこうしている間に、猫がてこてこ歩いていく。足音もたてず優雅なものだ。ちりん、と涼しげに鈴が鳴る。

 教室の出口あたりで、猫が呆然としている俺たちを振り返った。ゆらりと尻尾を揺らす。ついてこい、とでも言うように。

 俺たちは訝しげに顔を見合わせ、とりあえず、猫の後を追うことにした。


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