第8話 深夜の冷たい静寂

引き屋「・・・」

かなえ「・・・」

引き屋「静かですね」

かなえ「はい」

「深夜って異常に静かなんですよね。冷たいナイフの切っ先みたいに静かなんです。深夜の静けさってそれだけで凶器なんですよね。孤独に沁みるんですよ。切り刻まれるみたいに・・、この静寂が・・」

「・・・」

「辛かったなぁ。この冷たい感じ・・。引きこもってる時のこの夜の長さが堪らなく辛かった・・。ほんと孤独なんですよ。堪らなく孤独なんですよ。絶海の孤独ですよ」

「私は毎日、今もナイフの切っ先の上にいますよ。一人でこの冷たい夜を生きているんです」

「・・・」

「どんなに辛くてもやっぱり、社会の中でお天道様の下で生きていた方が絶対いいですよね。その方が例え辛くても絶対いいですよ。だからやっぱりあなたはすごいですよ。ちゃんと働いてるんですもん」

「・・・」

「どうしたんですか?」

「・・・」

「なんか言ってください・・」

「・・・」

「ほんとすごいって思います。私にはできないもん・・」

「そんなことないです」

「えっ」

「そんなことないです・・、結局・・、僕なんか人助けなんてカッコいいこと言ってるけど、自分よりも劣る人間を相手に優越感丸出しで、そこに自分のプライドとかアイデンティティ乗っけて、それで何とか心のかすみを食って生きてるような下劣な奴なんですよ。ほんとしょうもない小さな男なんですよ。他人を見下してでしか自分を保てないようなそんな男なんですよ。自分よりも上の人間には怖くて何もできないんです。いまだに話しかけたりとかそんなレベルでもう怖いんですから」

「・・・」

「本当は僕は全然回復なんかしていないんです。社会的にはまだ引きこもりで、ただ、まだ引きこもっている人たちを相手にして、優越感に浸って自分ていう存在をなんとか保っているだけなんです。その小さな優越感に依存して、なんとか生きているだけなんですよ」

「・・・」



 沈黙・・



引き屋「結局さ、僕たちがいくら変わろうとしたって、この僕たちが生きているこの社会の価値観が変わらない限り何も変わらないんだよ」

かなえ「・・・」

「だってさ、僕たちどこまでいったって、元引きこもりだし、社会不適応者だしさ、ダメ人間だし、底辺労働者だし、無様に惨めな弱い存在だよ」

「・・・」

「いくらさ、絶滅しそうな動物保護してさ、手当して、リハビリしてさ、育ててさ、一人前にしてもさ、そいつらが生きていく環境が無かったらさ、結局死んじゃうじゃない。もう一回森に放したってさ。その森がさ、その動物にとって生きていける環境じゃなかったら結局死んじゃうじゃない。生きてけないんだからさ。結局死んじゃうんだよ。俺たちだって、結局そうなんだよ。生きていけないんだよ。この社会じゃさ。もともと、この社会の厳しさに追い込まれて引きこもっているのにさ。その厳しい社会に復帰しましょうって、それがもうおかしいんだよ」

「そうですよ。厳しいですよ。めっちゃ厳しいですよ。この社会厳し過ぎますよ。ものすごい競争社会ですもん。ちょっと躓いただけでめっちゃおいてかれますもん。競争社会はみんな歩くの速いですもん。誰も助けてくれないし、助けてくれないどころか踏みつけにされていくんですよ。そうやって、どんどんどんどん追い込まれて、孤立して、もうどうしようもなくて辿り着いた先がこの部屋なんですよ。海があまりに汚いから、そこから何とか逃げ出して辿り着いたのが今のこの純水の水たまりなんです。でも、そこだけでは生きられないから、そこから出たいと思う訳です。広い世界に出たいと思うわけです。でも、そこから出ても行く場所がまた元の汚い海しかないんですよ。それ以外の選択肢がないんですよ。あの獰猛な肉食魚がうようよしている汚い汚泥にまみれた海しかないんですよ。またあそこかって・・。でもまだ今ここにいるわけですけど、やっぱ、またあそこかってとこなんですよ。怖い。怖いですよ。またあそこに戻るなんて・・」

「うん、普通の人でさえ病んじゃうような社会だもん。俺たちが生きていけるはずもないんだよ。端から。毎年二万人以上が自殺してるんだよ。百万人近くが鬱になって、三百万人が精神科に通ってるんだよ。引きこもりは何十万とか言われてるし、自殺企図とか未遂とかも五十万とか、六十万とか、もういっぱいいるんだよ。精神薬や睡眠薬の消費量ダントツで世界一位だよ。こんな厳しい社会でさ、俺たちみたいなさ、適応力のない、生存競争力のない、弱い、カゲロウみたいな人間がさ、生きていけるわけないんだよ。無茶なんだよ。設定がさ。もう最初から初期設定が無理なんだよ。絶対クリアできないゲームよりひどい設定なんだよ。クリアできないなりに楽しむことすらできないゲームなんだよ。設定がきつ過ぎて。それを最後までやりなさいって、無茶言うなよな」

「有名人だって自殺しちゃうんですよ。なんでって思うような、世間一般んから見たら逆にめっちゃ羨ましいような、そんな人たちでさえ自殺しちゃうんですよ。お金もあって、人気もあって、顔だってすごい美人で、かっこよくて、それでも死んじゃうんですよ。そんな人たちでさえ死んじゃうんですよ。私たちなんか、どう生きろって言うんだって思いますよ」

「それなのにめっちゃ追い込まれるんだよ。ただでさえ辛いのにさ。お前が悪いんだろって、お前の責任だろって、お前の努力が足りないんだろって攻められてさ、もう立つ瀬がないんだよな。そんなこと重々分かってるんだよ。自分がダメだっていうのはさ。自分が一番よく分かってるんだよ。自分を責めない日なんかないんだよ。逆に言えばそればっかなんだよ。引きこもってる時ってさ」

「本当に、追い込まれますよね、徹底的に。社会的に追い込まれて、なおかつ日々自分で自分を追い込んで、それで十分苦しいのに、その苦しさの上にさらに苦しみを被せられて、苦しみにさらに苦しみを上から塗り重ねられて・・。だけど、人にはそれが全然分からないんですよ。伝わらないんですよ。私たちの苦しみ。全然伝わらない。世界で一番自分のこと分かってくれているであろう親ですらが全く分からないんですよ。私たちの苦しみが。むしろ、楽してるくらいに思われて・・。ものすごく辛く苦しいのにさらにそこに責められて、追い詰められて、踏みつけにされるんですよ。本当になんの救いも希望もないですよ」

「人間って時には命よりも尊厳とかプライドとかを大事にする生き物じゃない。それなのに僕たちはそれを守ることが完全に出来ないわけですよ。もう、やられたい放題というか、えぐられ放題というか、ノーガードでフルボッコというか、そんな状態でこの凄まじく厳しい競争格差社会に出て、まともに生きていけるわけないんですよ。もう無茶苦茶なんですよ。日常的にさ、小学生にまで、変な目で見られて、バカにされて、笑われてさ、もう堪んないよ。そんな日常でどうやって幸せになれって言うんだよ。確かにさ、今なんか戦争もないし、飢えて死ぬほどの貧困もないし、食いたいもん食いたいだけ食えるしさ、生き方も選べるし、テレビもインターネットもあるし、娯楽もいっぱいあるし、でもさ、でもさ、なんかさ、すごく大事なものが、ものすごく人間として大事な何かが、保てないんだよ。すごく傷つくんだよ。無性に傷つくんだよ。堪らなく傷つくんだよ。そんなんで生きてなんかいけないんだよ」

「そうですよ・・」

「追い込まれて追い込まれて社会的にどん底まで追い込まれてさ、社会から孤立して、人間関係からもはみ出して、本当に孤独で、辛くて、寂しくて、恥ずかしくて、助けてほしんだけど、でもそれを笑われて、絶望に追い込まれて、本当に辛くて、でも、それすらもバカにされて、笑われて、もうプライドも誇りも自尊心もどうやって保てって言うんだよ」

「ほんと孤独ですよ。そして、友だちがいないから、余計に恥ずかしくて人の輪に入って行けないんですよ。友だちとかいないとバカにされるじゃないですか、だからよけい友だちが出来ないんですよ。だから、孤独がさらに孤独を生んでいくんですよ」

「そう、孤独が孤独を生むんだよ。孤立が孤立を生むんだよ。友だちいないからそれが負い目になってよけい人に話しかけられないし、家族や親戚からもお前友だちいないとかバカにされて、だから、そういうの回避しているうちにどんどんまた人と疎遠になっていって、社会的に孤立していくし。もうどうしていいのか分からないよ」

「ほんと底なしの無間地獄ですよね。この社会って。私たちみたいな一回社会の穴に落ちると、絶対這い上がれない。それがまた地獄なんですよ」

「そうだね」

「何か力のある人たちは、その自分の魅力で繋がることが出来るんですよ。顔が良いとか、おもしろいこと言えるとか、コミュニケーション能力高いとか、お金持ってるとか、学歴とか、社会的立場とか、スポーツできるとか、でも、弱い立場の人は繋がれないんですよ。繋がる武器を持っていないし、それに弱いからいじめられたりバカにされたりすることが多いから人が怖くなったり嫌になってしまったりするから、よけい繋がれないんですよ。繋がれないから孤立して、より弱い立場になっていくんですよ。すると、弱いからもっといじめられたり、疎外されたりして、人が怖くなって、自信がなくなって、もっと繋がれなくなっていくんです。強い人たちはより強くなって、弱い人たちはより弱くなっていくんです。そうやって格差が出来て、それがまた・・」

「そう格差が、また劣等感やコンプレックスを生んでよけい、人が怖くなって、人と繋がれなくなっていくんだよ。しかもさ、格差は世間一般では貧困問題とかだけど、それだけじゃないんだ。見た目とか、友だちの数とか、恋人がいるとか、学歴、肩書、経歴、色んな格差があるんだよ。そして、持てる奴は全て持てるんだよ。力ゆえにそれが集まって来るんだよ。でも、持てない奴は何も持てないんだよ。お金だけじゃない。社会的ポジションだけじゃない。恋人や、友だちだって、持つことが出来ないんだよ。社会の底辺に行っちゃうと、本当に何も持つことが出来ないんだよ。プライドだって、自尊心だってそんな基本的なものすら持つことが出来ないんだよ。そして毎日、その圧倒的格差の幸せを日々見せつけられるんだよ。友だちのいる奴らはつるんで楽しそうに歩いているし、街では幸せそうなカップルを見る、それだけでどれだけ、劣等感と敗北感と孤独と孤立と疎外感に打ちのめされるか。そういう幸せそうな人間との対比でどんどん自分が惨めになっていって、落ち込んで、不安になって、みんなに笑われてるんじゃないかって、変な奴って思われてるんじゃないかって、日々おどおどと生きて行かなきゃならない。堪らないよ。堪らないよ。こんな人生」

「ほんとです・・、こんな人生・・」

「ありとあらゆるところから劣等感が飛んで来るんだよ。底辺に落ちちゃうとさ全てが劣等感なんだよ。自分以外が全員幸せに見えちゃうんだよ。自分以外がみんなすごい人に見えちゃうんだよ。他人の幸福に耐えられないんだ。もう、自分が不幸過ぎて、他人の幸福に抵抗力が無さ過ぎて、他人のちょっとした幸せが滅茶苦茶ぐさぐさ刺さって来るんだよ」

「自分が世界一不幸な人間なっちゃうんですよね。自分で自分を追い込んじゃって、どんどん最低になって行く・・」

「そう、それがもう地獄なんだよ。耐えられないんだよ。承認欲求とかそんなんじゃなくてさ、やっぱ、最低限の尊厳が保てないとさ、やっぱダメなのよ、人間」

「はい・・」

「・・・」


 沈黙・・


かなえ「やっぱり・・」

引き屋「えっ・・」

「やっぱり・・、私たちは今のこの社会の中で生きていくって無理じゃないですか・・」

「・・・」

「やっぱり死ぬしかないじゃないですか・・」

「結局そこに行きついちゃうんだよね。どこからどういう方向で、様々色んなルートで、どんなふうに考えてもそこに行きついちゃうんだよね。どうしてだろうね。どうしてだろうね」

「はい・・」



 冷たい夜の静寂・・


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