第3話 出逢い
夕闇が街を包み始めていた。家屋の中には明かりが灯り、盛り場には仕事を終えた者たちが繰り出す時間となった。
僕は喧騒から背を向けるように人気のない区画の萎びた食堂に足を運んだ。
耳の遠い老婆がひとりでやっている小さな店。
カウンターとテーブル、全ての席を使っても10人ギリギリ収まるくらい。
いつも閑古鳥の鳴いている不人気店だが誰もいないことが気に入って僕は行きつけにしている。
「よりにもよって……こんな骨董品とはな」
机の上には買い取らされた本。
燃えた表紙には『ぼっち魔術師だけど初級魔術だけでドラゴンを圧倒してしまった件』とあった。
タイトルからしていかにも古臭い一〇〇年以上昔の戦術書である。
十年前に開発された戦術が現代では時代遅れの悪手だなんてことはザラ。
露悪趣味な題名につい引っかかって借りてしまったのが運の尽きだったな。
ガラガラガラガラ!
店の引き戸が勢いよく開く。現れたのは緑色の髪をした少女だった。
太ももが露わになるほど短い丈のショートパンツと胸当てという下着姿のような露出度で思わず目をむいた。
うっかり目を合わせてしまい、彼女は八重歯を見せて笑いかけてくる。
屈託ない子供のような笑みにたじろいでしまう。
「おばーちゃん! これから六人入れるぅー⁉︎」
店主の耳が遠いことを知っているのか大声で彼女は尋ねる。
老婆も聞き取れたようで、テーブルを使うように促した。
少女は店の外に向かって「良いってさー!」と叫んだ。
次の瞬間、若い男女が店の中になだれ込むように入ってきた。
「狭い店だけどまあいいや」
「貸し切り状態は助かるよ」
「腹減ったからとりあえずメシー!」
まあ賑やかそうな連中だ。
見るからに悪事を働いていそうな粗野な男。
彫刻のように端正な顔立ちをした長身の男。
大人っぽい雰囲気と優美な佇まいを備えたグラマラスな女。
人二人分くらいの横幅の巨漢。
そして――――
「お前らあんまり深酒するなよ! 明日は大事な日なんだから!」
奴らのまとめ役なのだろうか。
甲高い声で仕切ろうとする中性的な顔立ちの少年、いや美少年だな。
女と見間違えそうになるが、身につけている衣服は男物だし、歩き方や仕草の細部が男らしい。
綺麗な黄金色の髪も三つ編みにしている後ろ髪以外はボサボサで逆立っていたりするし、他の女子の髪とは似ても似つかない。
「分かってるって。レオもなんか食うだろ」
「うん」
巨漢の言葉に美少年がうなづいた。
歩くたびに三つ編みにした後ろ髪が馬の尾のようにぴょこぴょこと揺れるのを眺めていると老婆に声をかけられた。
「あんたもっと詰めとくれ。あの子達が入れないだろ」
「あ、はい」
連中に押し込められるように僕はカウンター席の一番奥に押し込められた。
静かなことだけがこの店の良いところなのに……まあ、いいさ。
晩飯を食べたらさっさと帰ろう、とそれまでの時間潰しに買い取った本を読み始めた。
【元来、魔術師というのは戦闘職種の一つに数えられるようなものではない。魔術を扱える者とそうでない者は違う生き物と言って過言でないほどに戦闘における前提が変わってくる。たとえば————】
「ウワッハッハッハッハッ‼︎ バカじゃねーの⁉︎ ありえねーって! マジ死ねよ! ギャハハハハハハ‼︎」
「だってさあ、三人同時にヤレる機会なんて滅多にないじゃん! もう運命の神様にお布施するつもりで高級宿をとったわけさ!」
「で、どうだったの?」
「…………なんか、思ってたのと違った」
「ガッカリしてんじゃねーーよ‼︎」
「むははははははは! やっはひっほんひははひほひ」
「ドンちゃん、食べるか喋るかどっちかにしなさい」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」
「ノータイムで食べる方選んだし!」
【…………中級程度の攻撃魔術でもレベル5の戦士の渾身の一撃に匹敵する威力を誇る。集団戦闘において攻撃魔術師を温存しておくことの有用性については揺るがない。一パーティメンバーではなく強力な武器としての運用は実に合理的であるが————】
「ていうかビキニアーマーって発明した人何考えてたんだろうね? あんなのつけて外歩いたら痴女じゃん」
「アリサちゃん、自分の格好を鏡で見てみなさい」
「あたしはエロを売りにしてるし」
「売るんじゃねえよ、んなもん! お前はいろいろユルいから心配だぜ。悪い男に金引っ張られたりしてねえ? 複数の女の名前をいちいち覚えるのが面倒で共通して使えるようなあだ名で呼ぶ男には特に注意しろ」
「ニール、俺の手の内明かさないの」
「クイントくんはモンスターより先に女に刺されて死ぬような気がするわぁ」
【………………万能たる魔術師を一つの役割に縛りつけるのは非合理である。ほとんどのパーティにおいて机上の空論であるが、攻撃、補助、治癒の全てをこなせる魔術師がいる場合、そのパーティの戦力は————】
「どっかーーーーーーん‼︎ あーっハッハッハッハ‼︎ もう明日の約束なんてしらなーーーい‼︎」
「おっ、レオも酒が回ってきたな。ばーちゃん、サケもう一本追加で」
「ん⁉︎ シャケ⁉︎ 塩漬けにしたものはあるけんど、食い切れるんかの?」
「ブワッッハッハッハハハハハハハ‼︎ ばーさん、シャケじゃなくてサケ! 酒だよ‼︎ シャケ一本食うとか俺たちはヒグマかっての‼︎」
「オラ、出されたら食うゾ」
【パーティの戦力は————】
「グラニアぁ、今度カジノ一緒に行こうぜ。お前ならあんなの楽勝だろ?」
「は? やだし。賭け事なんてね、どうやっても胴元が儲かるようにできてるんだから汗水垂らして稼ぎなさい」
「いやいや、そういうのじゃねえじゃん」
【パーティの————】
「明日来るのかわいい女の子だったら良いなあ」
「お色気たっぷりの美人なお姉さんがイイゾ」
「モンスター狩りまくる女になに期待してんだ?」
「へいへい、あたしやグラニアにケンカ売るのか? 買うぞ」
【戦力は————】
「よおおおおおおおしっ‼︎ 六回目の乾杯行くぞ!」
「ウェーイ! レオちゃんのちょっとイイトコ見てみたいっ!」
「今日も明日も楽しんでいこー‼︎ かんぱーーー」
(うるせえええええええええええええええええええええええええええっっ‼︎!)
ばんっ! と、勢いよく本を卓に叩きつけてしまった。
瞬間、後ろのパーティの大騒ぎがピタリと止まった。
気まずい沈黙が流れる。
それを破ったのは店主の老婆だった。
「店の物を乱暴に扱わんでちょうだいよ。ボロい店かもしれんけどワシにとっちゃ」
「うるっさいなぁっ‼︎ てか、いつまで僕のメシ待たせるつもりなんだよ! こっちの連中は酒やらツマミやらどんどん持ってくるのにさ‼︎」
「ん…………? あんた、なんか注文しとったっけ?」
「ウソだろ、オイ‼︎」
僕は来るはずもない料理を待ち続けて、後ろのバカどもの猥談やけたたましい笑い声に苛まれながら読みたくもない本を読んでいたと⁉︎
「ば、婆さんさあ‼︎ 僕を舐めてるのか⁉︎」
イライラして思わず老婆に詰め寄った————が、僕の胸ぐらを横から出てきた手が掴む。
「ババア相手に脅すような真似すんなよ」
ニールとかいう名前のコワモテの腕だった。細身の腕だが隆起した筋肉が肌を押し上げており、表面には太い血管が浮かんでいる。気圧された僕は相手の顔を見ずに声をあげる。
「も、元々はアンタたちが、や、やかましいからいけないんだろ! 騒ぎたいならもっと別の店あるだろ!」
「あ? 俺たちがどこで飲もうがテメエに指図される筋合いねえよ。ぶっ殺されてえか?」
ドスのきいた凄みのある声。明らかに鉄火場を潜りなれている。
暴力を振るうことにも相手を傷つけることにも抵抗がないタイプの人間だ。
冒険者ギルドではこんな連中見たことないけど…………
バッシャーーン‼︎ と水がぶちまけられる音がした。
振り向くとレオとかいう美少年がジョッキに入った水を頭からかぶっていた。
「……ニール、やめてくれ。もうケンカしたりしないって約束したろ。オレたちも騒ぎすぎた。その兄さんが居心地悪くても当然だ」
しおらしく謝るその表情に、何故だろうか胸がドクンと高鳴った。
濡れた髪は垂れ、小麦色の肌に水滴はしたたっている。
意志の強そうなエメラルドグリーンの瞳に形の良い鼻梁。
その一つ一つに目が奪われる。
僕に同性愛の気は無いのに……
「チッ……飯屋で辛気臭く本なんて読んでる方が悪いんだよ」
僕の胸ぐらから手をはなしつつもそうボヤくニール。
すると、パチン! とグラニアとかいう女に頭をたたかれていた。
ざまぁみろ。とほくそ笑んでいるとレオが僕に面と向かって、
「悪かった! 浮かれ過ぎて周りが見えてなかった! 大人しくするからここでご飯食べていってくれ!」
と頭を下げてお願いしてきた。
なんだよ、ちゃんと丁寧に謝れるんじゃないか……ん?
ふと彼の首元にタグが垂れ下がっているのが見えた。
ランクFの冒険者を示す黒石のタグだ。
「まあ、良いけど……お前、冒険者か?」
「え? あっ! ああ。昨日登録したばかりだけど」
なるほどな。
冒険者になりたくて街にやってきたばかりの田舎者ということか。
だから店選びも間違える。
「あまり冒険者の評判を貶めるような振る舞いをするんじゃないぞ。ただでさえ、正規軍の連中からは鼻つまみ者扱いされているんだ。大はしゃぎしたいなら店を選べ」
なんて先輩風を吹かしてみる。
「はーい……すみませんでした」
と頭を下げるレオ。
見目の良い男を謝らせたことで昼間ジュードにいじめられたことで下がっていた自己評価が上がる思いだった。
でも……冷静に考えて僕は何一つ勝てる気がしないな。
僕と違って友達もいるコイツは仲良く冒険者稼業を始めるんだろう。
六人パーティなら最初から討伐系の依頼を受けられるだろうし、あっという間にレベル1の僕を置き去りにする。
惨めな気持ちに打ちひしがれてしまったので飯が来るのを待たずにさっさと店を出ようとした、その時だった。
「……ねえねえ、お兄さん。飯来るまでこっちのテーブルの物つまんでく?」
「え?」
デブ…………たしか、ドンとかいう名前の。
「ここの焼き鳥美味いゾ。オラの分けてやるから食ってみな」
ドンがそう言って椅子を下げるとクイントとかいうイケメンが俺の背後に立ち肩を抱いてきた。
「だな。せめてもの詫びって事で。酒も飲んでくれよ。ほら、女も付けるぞ」
「娼婦みたいな扱いしないで。まあ、お酌くらいならしてあげるけど」
「分厚い本だねー! 文字読めるの⁉︎ おにーさんスゴイ!」
イケメンに促され椅子に座るとタイプの違う美女二人に挟まれる。
何が起こっているのか理解できずキョドキョドしていると酒とかツマミがどんどん胃の中に放り込まれていった。
その後の記憶は飛んでいる。
うっすら覚えているのは自分でも信じられないくらい他人と言葉を交わしたということだ。
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