第6話 追手
フランツは、馴染みの生地屋に来ていた。
こじんまりとした、10畳ほどの大きさの部屋。その奥で椅子に座ってタバコを吸っている中年の女性。
「おばちゃあん、新しい生地見させてくれねえか?」
「あら、フランツ。この前来たばっかじゃない」
「それが、急遽必要になってな」
「なあに〜。女でも出来たの?」
フランツは一瞬、冷や汗をかいた。
心の中で、なんで女はこんなにも鋭いんだ?と唱える。
ここの生地屋には、昔から世話になっている。
一見庶民的な店だが、世界中の一級品の生地のみが取り揃えられている店で、上顧客のみを相手にするフランツにしてみれば、かなり有難い店だった。
まぁしかし、こんな最高の生地、どうやって集めているのかは知らないが…。
そんな事を考えながら、生地を一つ一つ吟味していく。
「(このブラウンの
生地を見ていると、フランツは外がヤケに騒がしくなっているのを耳から感じとった。
中年の店主は、タバコの煙を大きく吐き、特に変わらない表情で外を眺める。
「いやねえ。物騒になっちゃって」
「なんかあったのか?」
「あら、知らないの?今、王国の王女様が一人行方不明になったみたいで、行方を必死に探してるらしいわよ」
ピタッと、フランツの手が止まった。
「犯人は大体検討がついているみたいで、似顔絵を作ってもうすぐ町中に公開するみたいだけど。嫌ねえ、誘拐なんて」
「誘拐?なんで誘拐ってわかってんだ?」
「一緒に行方を眩ませた人がいるから、らしいわよ。まぁ、例え王女様が自分の意思で亡命したとしても、それを素直に政府が公開する訳ないと思うけど…。汚点になっちゃうモノ。誘拐にした方が、いいストーリーだし、民衆の共感も得られるもの」
マズイ。
外は結構騒ぎになっている。
家の鍵は閉めといたが、エリーゼは中で留守番を任せている。
もう既に、見つかっていたとしたら…。
「おばちゃん!俺、用事思い出したわ!この生地貰っていく!金は次来た時に払うから、それまでツケといてくれ!」
そう言って、フランツは最初に見ていたブラウンの生地を一ロール持ち、扉を勢いよく開けて走り出していった。
その様子を眺めるように見ていた、中年の店主は、特に表情も変えず、タバコの煙をゆっくりと吐いた。
「…女が不機嫌になる時間帯かしら」
–––––––––––––
着ていた上着を脱ぎ、頭に被せながらフランツは全速力で街を駆け抜ける。
「まだ、見つかってくれるなよ…!エリーゼ!」
家の玄関までつく。
鍵を急いで開け、扉を勢いよく開ける。
「エリーゼ!!」
エリーゼは、キッチンにいた。
エプロンを自身に巻き付け、夕飯の準備をしていてくれたようだ。
そして、驚いた表情でフランツの方を向く。
「…ふ、フランツ?どうしたの?」
血相を変えて迫ってくるフランツにやや圧倒され、彼女は半歩後退りした。その彼女の腕を、フランツは力強く握りしめる。
「もうバレてる。逃げるぞ」
「え、え?逃げるって、何処に…?」
「知らない!それより早くしないと、俺もお前も捕まっちまう!だから、一旦どこか遠くに逃げるんだよ!」
そして、フランツは鬼の形相で支度を始めた。
非常食、軽い羽織もの、ナイフに、先ほど買ってきた生地を鞄に詰め込んだ。グチャグチャな思考で、どうにか必要なモノを捻り出す。
エリーゼは、呆然としながら、その様子を眺める事しか出来なかった。
「ホラ、急げ!行くぞ!」
準備を終えて、再びエリーゼの腕を掴む。
そのまま、彼女を引っ張って家を飛び出そうとしたが、引っ張った腕が一向に動かない。
「えっ…!?」
「もう良いです。終わりにしましょう…」
エリーゼは一言、そう呟いた。
彼女の顔は、優しさに満ちていた。
「フランツ、私を外の世界に連れ出してくれて、本当にありがとうございました…。もう、十分楽しみました。素直に、帰りましょう。家族には、私が自分の意思で逃げたと説得します。それで、また普段の生活に戻れる」
彼女は、そう言った。
「これ以上、貴方を危険な目にあわ」
「それが、本心か?」
「…えっ…?」
フランツが、鋭い目つきでエリーゼに迫った。
びっくりした表情で、彼女の目が丸くなる。徐々に、心臓の鼓動も早くなる。
「それが、本心かって聞いてんだ」
「あ、そ…その…」
「目を逸らすな!」
ビクッと、エリーゼの逸らしかけた目線が、フランツの目線に釘付けになる。
彼は、両手で彼女の両肩を掴んだ。
「建前なんか話すんじゃねえ。素直に思った事を、本音を俺にぶつけて来いよ。俺は、お前の『本心の味方』だ。この状況をどうしたいのか、素直に話せ」
数秒の沈黙。
男は真剣な眼差しで女を見つめた。
表情から、想いを受け取ったエリーゼは、やがて涙を流し始めた。
鼻を一回大きく啜ると、こう続ける。
「…ぎだいっ」
「?」
「もっど、自由にいぎだいよっ!!もっどもっど、世界をじりだいっ!わだじを、遠くへ…、連れてってッッ!!」
その言葉を聞いて、フランツはニヤリと笑った。
「本当に、よく泣く子だ」
あの、無表情だった、三女はもう何処にも居ない。
それだけで、理由は十分だった。
「行くぞッ!」
今度こそ、エリーゼの腕を勢いよく引っ張り、家を飛び出した。
彼女は、涙いっぱいの前も見えない状況で、引っ張られる腕を頼りに、必死に足を動かした。
…この人は、心から私と向き合ってくれる。
彼女は走りながら、過去の記憶を思い出していた。
––
『もう、エリーゼ。ちゃんとしないとダメよ』
母は言った。
『エリーゼ姫。もっと、自覚を持たないとダメですぞ』
マクミラン卿は言った。
『エリーゼ様。貴女はやがて王と共に国を背負う立場になられる。国中の期待が貴女の肩に乗っているのだぞ。しっかりしなければ』
育ての召使いは言った。
…私も、自由になりたい。
その本心は、邪悪なのだと心の奥底にしまっていた。口に出すことなど許されない、そういう運命なのだと。
一生、このまま本心を隠し続けて、仮面を被りながら人生を全うするのだと。
少女は、これからの莫大な時間を嘘で塗り固めると決意した時、頭がおかしくなりそうになった。
誰でも良い。
この気持ちを、誰かに打ち明けてしまいたい。
そんな時、目の前に
この男の手仕事を見た時、一瞬で誠実な人なのだと判断した。そして、一年が経ったある日、全てを打ち明ける事にした。
それが、今このような結果を招いている。
これが、貴族として、罪深き所業なのは十分に理解している。
それでも、何年も夢見た『自由』を欲する気持ちは、誰にも抑える事はできなかった。
––
「…ありがとう」
エリーゼは、小さくそう呟いた。
二人は、その足で力強く駆ける。
少女の、自由を求める旅は、まだ始まったばかりである。
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