A.D.2200 火星傭兵録

戌亥イッヌ

第1話


「去れ。ここは非戦協定地帯だ」

私は努めて強く、ゆっくりと宣言した。喋るごとに呼気が色濃く、白く立ち上る。ここ数年で随分マシになったとはいえ、現在のテラフォーミングの進捗では火星はお世辞にも人類に優しい環境とは言えなかった。ナノマシンによる身体賦活がなければ、体力のない子供や老人は半年も持たないだろう。

外気温は摂氏0度。空気は薄く、またひどく乾燥している。ただそこにいるだけで体内の水分は猛烈な勢いで失われていくため、喋ることすら億劫だった。

幅6メートル、高さ10メートルの検問所の入り口を背に立つ私の前には、二組の男達が立っていた。二組——ひとつは体制派の兵装を纏った30過ぎの男が一人。もうひと組は独立派の兵装を纏った三人の若造共だ。

独立派の若造共は何が気に食わないのか、うっすらと抱いた敵意と警戒を、その無表情の裏で押し殺しているようだった。その様子は新兵らしさに欠けるものの、兵装の真新しい様子からしても学校を出立てなのだろう。

「知ってるよ。中立なんだろ?」

体制派の男が私の言葉に両眉をあげ、にまっと笑いながら混ぜっ返してきた。人懐っこい笑みだった。

「別に面倒事を持ち込みにきたわけじゃないんだ。ただちょっと半日ほど中に入れて買い物をさせてくれるだけでいい。わかるだろ」

「独立派も体制派も、共にこのコミューン内でのあらゆる軍事活動は認められない。補給活動もその範疇に入る」

私は体制派の男に即座に言い返して、顎でしゃくって双方共に帰るよう促した。しかし体制派の男も諦めない。

「だからさぁ、部隊の補給とかじゃなく、本当に個人的な買い物に来たんだよ。酒とかタバコとか女とかさ。——戦場以外で、やらんでもいい戦いなんて誰がするんだよ。アホくさ。お前さん達だってそうだろ。なー?」

"体制派"が独立派の3人にも笑いかける。独立派連中は馬鹿にされたような気でもしたのだろうか。憮然とした表情でそれを無視した。

「個人的な買い物と部隊の補給活動との線引きは私の職責の範疇だ。そしてそれは酷く面倒だ。余計な手間をかけさせるな」

正直なところ、どうしたものかと思う。「個人的な買い物」という体裁で両派閥の部隊がこのあたりのコミューンで小規模な補給を行っているのは、いわゆる公然の秘密になっている。私のような傭兵が検問官をやっているのは荒事に慣れた衛兵役を兼ねていることもあるが、非戦協定の条約をコミューン側が破っているという指摘が出た場合、即座に切り捨てられるようしているためだ。

常であれば、私は私の裁量で「個人的な買い物」をいくばくかの「通行料」によって認め、そうしてコミューンに入り込んだ両派閥の兵士達はコミューン内に金を落としていく。仮にその流れで何らかの問題が発生した場合、コミューン側は「あれはあの検問官として雇った傭兵が勝手に差配したことだ」という体裁で突っぱねる腹であり、私は私でさっさと別の地域に遁走するつもりでいる。

こうした立て付けはこの戦線周辺のコミューンで共通していて、両派閥とも、べき論と現場の都合との間で有耶無耶になっている。その結果として成り立っているこの公然の秘密であるが、その成立の仕方から、トラブル回避のための様々なルールが暗黙的に存在していた。たとえば各派閥が利用するコミューンの入り口がそれとなく分かれているのもそのひとつだ。しかし、今回は何も知らない新兵が「個人的な買い物ができる」程度の曖昧な情報を元に、たまたま体制派が利用する入り口に来た上で、さらにはその兵士と鉢合わせしてしまったのだった。

馬鹿な若造達をこのままコミューンに入れて追加の馬鹿をやられてはたまらない。彼らを入れるのはダメだ。そうなると、体制派だけをコミューン内に入れるのも少なくともこの場では難しい。

そこまで考えて、やはり両者に帰ってもらうことにしよう、しかしさてどう伝えたものか……と少し考え込んだところで、独立派の一人が口を開いた。

「いいでしょう。ぼく——いえ、自分達は引きます。その代わり貴官も諦めて頂けませんか?」

独立派の一人が"体制派"に向けて言う。独立派の他の二人は驚いたような顔をし、"体制派"は面白がるように無精髭の生えた自分の顎をさすっている。

「自分達は噂を聞いた物見遊山だったのです。コミューンに迷惑をかけるのは本意ではありません。しかし体制派の兵士と鉢合わせした上で、体制派の人間がコミューンと取引するのを見過ごしたとあってはバレた時に申し開きもできません」

独立派連中が急に引き下がる形になったことに違和感を覚えつつも、それ以上に新兵らしい生真面目すぎる主張に呆れてしまう。ともあれ、これ幸いと私は言葉を被せた。

「私は最初から双方に去れと言っている」

それで体制派の男が折れる。

「わかった、わかりましたよ。それじゃあ俺は帰りますよ。まったく、せっかく自軍の陣地から片道1時間もかけて来たってのにさー」

あてつけがましい言葉とは裏腹に、ヘラヘラと笑いながら"体制派"はあっさりと踵を返した。近場に止めていたバイクに跨り、そのまま去っていく。

「お前達も帰れ」

むしろお前達が帰れ。"体制派"だけなら期待できた「通行料」に思いを馳せながら吐き捨てて、私は検問所脇にある小屋引っ込み、そこにあるパイプ椅子に腰を下ろした。

独立派の新兵達も装甲車に乗って帰っていく。

「……やれやれ」

テーブルの上に置いてあったペットボトルを手に取り、中の液体の残りを口に含む。効率的な栄養補給を主眼として生成されたその味はイマイチだったが、温かい水分というだけで体に染みた。

火星の過酷な外気に晒されながら、馬鹿な新兵——武装していることを思えばナントカに刃物さながらにキツい——の相手は酷く疲れた。この小屋も適温とは程遠いのだが、外に比べれば随分とマシだった。そういえばあの新兵たちは火星の外気に対しても割合元気そうにしていたな。私もそろそろ歳なのだろうか。いや、独立派はパトロンが多く、資金が潤沢と評判だ。彼らの着込んでいたスーツのせいだろう……。

思考を彷徨わせながら、ドリンクを片手にタブレットを漫然とスワイプし続け、15分ほどダラダラと過ごす。そのまま寝入りそうになったところで、小屋のドアがノックされた。

「……」

ドア越しの気配で、誰か見当がついてしまう。早すぎる。

「おーい。若造どもが戻ってくる前にちゃっちゃと済ませようぜ。100Mars$で頼むよ。通してくれよ」

「バカなのか? 出直すにしても早すぎる。絶対に独立派の連中は気づいて——」


ドア越しに怒鳴り返しかけたところで、機銃の掃射が小屋を木っ端微塵に破壊した。


銃撃は5秒ほど続いた。

"体制派"に怒鳴っている最中に安全装置の解除音を拾うと同時、条件反射でナノマシンによる極端な身体賦活を開始したのだが、それがギリギリで間に合った。壁を蹴破り小屋から脱出し、音速の半ば程度まで瞬時に加速、背後の弾着を感じながら駆け抜ける。

最初から当てるつもりはなかったのか、あるいは諦めたのか。こちらの高速機動を確認したあたりで銃撃は止んだ。

「やはり体制派と繋がっていたのですね! どうりで僕達のことを通してくれないわけですよ!」

150メートル程度の距離から、独立派の馬鹿どもが叫んできた。賦活された声帯でもこの距離は少し辛い。

「何を!どう見たら!……繋がっているように見えたんだ!!」

怒鳴り返す私の横で、体制派の男は何がおかしいのかゲラゲラ笑っている。こいつはこいつで死んで欲しい。わざとやっているようにしか見えないのだが、それはそれで動機がわからない。

「お金を!受け取ろうとしていたでしょう!」

受け取ってないだろう、と怒鳴り返そうか一瞬迷ったのだがやめた。もう色々と面倒になってしまった。——殺そう。こちらがそう考えると同時に向こうも問答する気がなくなったのか、また撃ってきた。

再びナノマシンによる身体の賦活レベルを上げて走る。身体賦活による強化は併用するスーツや薬剤にもよるが、最大で200m/s程度の速度で走ることを可能にする。しかし私も、それに続いて(続いてこないで欲しいのだが)走る"体制派"も、その半分程度の平均速度を維持して射線をはずしていく。銃弾と標的との相対的な速度差がここまで縮まると、当てる側としては「狙って当てる」というよりは「標的の予定進路に置きに行く」感覚が強くなる。標的側としては平均的な速度を落とした上でのみ可能になる、緩急のある不規則な軌道で走る方が身体的負荷も低い。

数秒間、機銃の射線をかわしながら走り続けて小さな岩陰に滑り込む。その岩陰は二人がギリギリ身を隠せる程度の大きさだった。その狭いスペースに、私に続く形で"体制派"も駆けてきたため多少の衝突は覚悟したのだが、緩急をつけた走りの"緩"の部分で滑り込むように調整したのか、彼は意外なほどキッチリと止まった。

「新兵のおもちゃであんなの渡すとか凄くね? 独立派ってやっぱり装備が良いよなー。面倒くせー。今から帰ったら俺の事はスルーしてくれるかな?」

岩陰に潜り込んで余裕が出るや否や、息を弾ませて楽しそうにベラベラと喋る"体制派"に私の血圧が上がる。

「ふざけるな。応援を呼ぶための通信機は小屋と一緒にオシャカだ。今日はシフトが埋まらなくてあと3時間は俺一人なんだよ。手伝っていけ!」

「えー、向こうはピヨッピヨのヒヨッ子じゃん。一人でいけるっしょ」

「装備が違いすぎる。私にはハンドガンとナイフしかない」

「え、検問官って衛兵も兼ねてるんでしょ。もうちょっと何かないの?」

「小屋の中にあったんだよ!」

「マジかー。俺の手持ちも似たようなもんなんだよね。流石にやば——あっ」

横殴りの衝撃から少し遅れてドォンという発射音が響いてきた。私と"体制派"が隠れていた岩陰、その角を貫通する形で銃弾が飛んだ。対物ライフルだ。

衝撃波による脳震盪からの復帰に2秒、向こうが3名同時に身体賦活全開で突っ込んで来ていたらかなり不味かったのだが、向こうは安全策を取ったらしい。

こちらの僅かな間の感覚喪失を利用して、移動と擬装を行ったようだ。

1名は機銃、1名は対物ライフルを構えている。もう一人はこちらと同程度の武装しかなかったはずで、そうであればどちらかのガードに入っているのだろう。こちらは彼らの位置を喪失している。小屋への銃撃時、事前に装甲車のエンジン音は聞こえなかった。本来は車に備え付けて使っていた機関銃を取り外し、担いで運んだのだろう。となるとナノマシンの身体賦活は向こうの方がだいぶ長く行っているはずだ。ただ機銃掃射の回避でより負荷をかけているのはこちらか? そもそも着ているスーツの性能差を考えると持久戦もやはり不利か……。

条件を並べあげて勝負所を探すが、ポジティブな要素が見当たらない。"体制派"の武装を目視で確認するが、本人の言う通り使えそうなものは持っていない。

「まずは向こうの場所を特定しないとなぁ」

「向こうの光学迷彩は破れないだろ」

『音は?』

不意に"体制派"が唇だけで喋った。

「この状態から拾えるのは引き金を引く瞬間くらいだろ。この距離だと避けるのも厳しいと思うぞ。どちらかは死ぬ」

『はい。そこでこうします』

人差し指を唇の前で立てて「静かに」というジェスチャーのまま"体制派"がまたも口の形だけで伝えてくる。首から下げていた金属製のドッグ・タグをはずしてちゃらつかせ『これをあの辺に投げるから』と"体制派"は岩向こうの中空をは指差した。『これで狙撃するんやで。出来れば2回』言いつつ、腰に下げていた小口径のハンドガンをこちらに渡してくる。

「……?」

『光学迷彩の発達で、古参兵は身体賦活による音や皮膚感覚に寄った状況把握を重視する傾向がある。さっきから見た感じお前さんもそうよな?』

『……意図はわかった』

私も同様に、唇の形だけで返答する。

『向こうの位置が偏っていたら狙いが被るかもしれん。役割を決めておこう。俺が対物ライフルで、お前さんが機銃な。こっちがいきなり突っ込んでくるとは思ってないだろうから、身体賦活を限界レベルまで引き上げて1秒未満で詰めて刺そう』

『もう一人は?』

『どちらかのガードについてるでしょ。自分の目標についてた方がついでにやるってことで』

『いくぞ。3、2、1——』と言うと同時に"体制派"がドッグ・タグを山なりに高く放った。私は放物線の頂点の直前あたりでそれを打ち抜いた。

ドッグタグか、銃弾か。あるいはその両方に仕込みがあったのか、予想以上に大きく甲高い音が響き渡る。撃ち抜かれたドッグ・タグが弾かれ、さらに高く舞い上がる。一拍置いて落ちてきたところをもう一度狙い撃つ。


音の反響から、見える。


近い。機銃持ちは光学迷彩頼りで平地に伏せていた。対物ライフル持ちは向かって右の岩山に陣取っていた。そこにもう一人がガードとして付いている。距離は共に私達のいる岩陰から300m前後だった。

"体制派"と私は身体賦活を限界まで引き上げ、突貫した。共に狂ったように脈打つ心臓から送り出される血液が一部の毛細血管を破って吹き出し、薄い血煙の尾を引きつつ目指す相手に殺到する。私は機動速度が上乗せされたハンドガンの銃弾全てを機銃持ちに叩き込み、速力を落とさず駆け抜ける。身体賦活を限界まで使った高速機動は止まる事すらひどく難しい。機銃持ちを挟んで500m先の岩まで駆け抜け、そこを足場として反転、状況を確認する。


"体制派"は私同様、対物ライフル持ちに機動速度を上乗せしたハンドガンを叩き込み仕留めるところまでは成功したようだった。しかし限界まで速度を上げた機動は直線的な動きしか出来ず、狙い撃たれやすい。相手に相応の反応速度があれば致命的だ。


最初に引くことを提案した独立派の青年が、地に塗れたナイフを片手に笑っていた。その両目から血涙がとめどなく溢れている。ナノマシンによる身体賦活に薬理作用を上乗せする独立派の切り札——特攻薬。少し離れた位置で片腕を斬り飛ばされた"体制派"がスーツの袖口を切って傷口を縛っていた。

「おい!」

「あー、平気平気。ギリ死んだはず」

血涙と共に笑っていた青年が、ゆっくりと倒れた。背面に"体制派"のものと思われるナイフが腕ごと刺さっている。

「切られた腕をキャッチして擦れ違いざまに叩きつけてやったんだ。薬でハイになってるやつはすーぐ油断する」

身体賦活中に腕を斬り飛ばされたのであれば即座に止血したとしても相当量の血液を失ったはずなのだが"体制派"はけろりとしていた。いや、そう振る舞っているだけなのかもしれないが。

「……えらい目にあったな。とりあえず私のツテでコミューンで治療してもらおう」

「やー、悪いんだけどそれはダメなんだよね」

流石に一緒に死線を潜った相手をその怪我で放置するのは忍びない。独立派と交戦した上で体制派の負傷兵を担ぎ込むのは非常にまずいのだが、コミューンとの関係も長いのでなんとかごり押ししようという私の提案はあっさりと断られてしまった。

「ちなみにお前さんもコミューンにはもう戻れません。何故なら今日この数時間の流れは大体両派閥に流れているからです」

「——は?」

「筋書きはこう。2年前に引退したとある傭兵が、これまたとある戦場付近のコミューンで検閲官をやっている。しかーし、その検閲官とは仮の姿。その傭兵——現役時代はネームドの古兵は体制派だったのです!」

……景色が歪むような心持ちだった。考えてみれば不自然な点だらけだったのだ。いくら新兵と言えども、食い詰めの傭兵達とは違うのだ。幼年学校あがりでそれなり以上の学があるにも関わらず、彼らのコミューンの検閲官である私に食ってかかる振る舞いは、それだけで見ると愚かに過ぎた。

だが元々私自身に何らかの嫌疑が掛かっていたのなら話が違ってくる。装備もそうだ。独立派の装備が整っていると言っても、新兵がオフのタイミングで出歩く時に持っていて良いものではなかった。

「ちな彼らは不老化処置を施された中堅所じゃないかな。そのくらいのが来るように仕向けたんだ」

「どうして……」

「独立派のコミューン側に対する不信感を煽る計画だったんだよな。で、あれこれ練ってる途中で見つけた腕利き傭兵もついでにスカウトできたらな、っと」

「……」

「お前さんは今後独立派からは完全に体制派としてマークされるし、そうとなればどこのコミューンで働き口を探すのも難しくなるだろうなぁ。まぁ調査報告書を読む限り、傭兵以外の職は結局どれも長続きせず、流れ流れてコミューンの検閲官。これも結局のところ傭兵稼業みたいなもんだよね」

ヘラヘラと笑う"体制派"の声が、途中から頭の中をぐるぐると回ってスゥッと抜けていく感覚がした。何もかも信じられない。

遠くから装甲車が爆走してくるのが見えた。"体制派"が切り落とされた自分の腕を、もう片方の手で持ってぶんぶんと装甲車に向かって降っている。救援のようだ。

「金がいるんだよな? 事情は大体把握してるんだ。どうせ遅かれ早かれ最前線での傭兵稼業に戻っていたのは確実なんだから、この際、体制派に転職してくれよ。まぁ、選択肢とかないんだけどな」

ヘラヘラと笑う"体制派"を私は呆然と見つめ続けた。

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