止まり木男とちょうどいい女。
さんまぐ
第1話 不思議な筆談。
始まりは些細な事だった。
残業で帰宅ラッシュを逃した通勤電車は空いていてゆったりと立っていられる。
最後尾なので壁に寄りかかりながら今日も疲れたと自分を労う。
最後尾の電車に乗るのは珍しく、普段は真ん中なのだがそれは少しでも早く帰りたくて駆け込み乗車をしたからだった。
帰ったら風呂入ってのんびりと過ごす。
明日は金曜日。
やっと週末だ。
そうなると無理をするかどうかを考えてしまう。
無理というのはこの列車は急行列車で、停車駅から家までは少し歩く。
乗換駅で普通列車に乗り換えて本当の最寄駅で降りて歩くと歩く時間は少なくて済む。
ただ向かいのホームに電車が来るのではなく別のホームに乗り換える必要もあるし乗り換えもスムーズにいかないので普段は歩く道を選ぶ。
乗り換え時間を考える。
最大まで待った時+歩く時間と急行駅からの歩く時間はそう変わらない。
そんなことを考えているといつも出てくるのが古い友達の家に遊びに行った時の事だ。
本人は「俺の家は上野にあってさ」と言うので皆で驚いて行ってみたいと言う話になった。
だが当日は「駅から離れてて」と言われて歩かされてみると二駅くらい離れていて、最寄駅は上野ではなく別の駅だった。
確かにその駅名だけではどこの土地かはわからないが、これは上野ではないと皆で話した。
俺も面倒なので上野ではないが会社では最寄駅ではなく急行駅の方を最寄駅と言っている。
この停車駅を過ぎると乗り換えるなら次の駅なので決める必要がある。
そんな事を思っていると異質なカップルが乗り込んできた。
牛のような巨体をスーツで包んだ男は偉そうに彼女に何かを言い、彼女は迷惑そうに無視をする。
電車は満員電車ではなく座席もまばらには空いているがカップルが座るには横の誰かがわざわざ詰める必要もあるし、大男の為にすし詰めみたいになって座る意味もわからない。
彼氏は「こっち来て座れって」と言いながら1人で座席に行き、彼女は壁際に来ると怠そうに壁に寄りかかる。
彼氏はそれに苛立って「座れるよ?座れって」と言う。
徒歩にして10歩。
男は酔っているのかその距離を大声で言う。
帰宅列車は一瞬で嫌な気分になる。
それを近くにいた中年女性が「やあね、彼女も素直に座ればいいのに」と聞こえるように文句を言うと無視するように壁にもたれかかる彼女が「あんなの彼氏じゃないし」と言った。
放っておけばいいのだがその顔と言い方が何となく放っておけなかった俺はスマホの画面に「困ってます?」と書いて拡大するとそれを彼女に見せる。
訝しんだ彼女だったがすぐに頷くので「駅員呼びます?」と書いてみせる。
「そこまでじゃない。会社で体調不良を言ったらあの酔っ払いが送るって言い出した。でもあれじゃあ送るも何もない」
彼女がそうスマホの画面に書いた文字をむけてきた。
こうして始まる不思議な筆談。
彼氏だと思われた男は呼んでも来ない「彼女と呼ばれる事を忌避する女性」にはさっさと興味をなくし大股びらきで横の乗客を苛立たせながらスマホ操作をしている。
「どこまで帰るの?タクシー代は?」
「お金ない」
それと同時に彼女が出してきた地名はこのままだと降りた駅からバスでしか行けない所だった。
「あの駅で降りてバス?それとも次の駅で別の電車に乗り換えるの?」
「知ってるんだ。バス。電車も駅はできたけど家から遠いんだよ」
何となく面倒な話なのは見える。
このまま乗って二つ先の急行駅で普通列車に乗り換えて二つ先の駅からバスで帰る。
だがそれはあの男がついてきて酔っているので話になるわけがない。
良くて家に着いてくる。
悪くて駅で降りて休憩しようと連れ込む。
見捨ててもまたこの列車を使われると気分悪い。どこかで見た時に罪悪感が湧き上がる事は避けたい。
色々と諦めた俺は「選んで」と書いてみせた。
「俺は次で降りて各駅で帰る。あの男より信じられて着いてくるなら車で送ってあげる」
この提案に女性は驚いた顔で俺をみる。
値踏み…信用に値するか確かめているのだろう。
「時間が無いから決めて」と書いてから続きを見せる。
「アイツよりはマシだと思うけど?後は巻き込まれると嫌だから次の駅では他人のフリをして降りて。返事は着いてきたら送る。来なければそれまで」
そう言って俺は降り口の方を向く。
後は知らない。
なんとなく見捨てたくなかっただけでやる事はやった。
これで何があっても後悔はない。
それに女性の立場からすれば俺も十分に怪しいし、これであの男を選べばそれはそれで幸せな人生が待っているかも知れない。
アナウンスからはまもなく駅だと聞こえてくる。
後ろは振り返らない。
とりあえず降りて電車が発車してから振り返ればいい。
他の乗客にあわせて降りる。
降りて振り返ると女性は来なかった。
まあそれも正しい。
そう思ったが乗り込む客をかき分けて女性は降りてくる。
どうやら早めに降りて追いかけられたくなかったようだった。
電車は無事に出発をした。
車内を見ると男はスマホを見ていて女性が降りた事に気付いていなかった。
「本当に送ってくれるの?」
女性の声を初めて聞いた。
女性によくある甘えるような声とも違うキチンと通る声。
俺は「約束だからね」と言ってホームを移動した。
普通列車はボチボチ混んでいた。
どうしても知り合い認定されると混んでいるんだから容赦なくくっつけとばかりに押されてしまう。
「体調はどう?」
「まだ目は回ってる。よくある貧血なんだ」
「それは大変だ。薬は?」
「あれ、飲むと継続しないといけないし胃の調子悪くなるんだ。だから辞めちゃった」
そんな話から簡単に名前だけは教えあった。
「えっと…池端大介です」
「あー…湖西凛です」
そして俺の最寄駅で降りると湖西凛は辺りを見回して「やっぱり駅徒歩で帰れる家は明るいし賑やかだなぁ」と言う。
そして「ウチはお爺ちゃんが家を買う時に不動産屋から今はまだバスしかないけど電車の駅が出来るからオススメだって言われて決めたんだけど、駅は駅でも30分も離れてたら意味ないんだ」と漏らす。
車を走らせているとわかるが確かに他路線の乗り換えまでしてバスに乗るくらいなら今の行き方の方がいい場合もある。
「池端さんは出張かなにか?」
「普通に仕事帰りだけど」
「私、もう3年もあの電車使ってるのに池端さんを見た事ないよ?」
「ああ、普段は真ん中に乗り込むんだ。今日は残業もしたし早く帰りたくて駆け込み乗車したから最後尾」
この説明に湖西凛は「すごい偶然、助かった」と言ってホッと一息つく。
「あのままだとアイツを家までご案内だったかな?」
「そうだね。でも悪ければバスに乗る前にどこかに連れ込まれてたかも。今も着信ウザいから電源切っちゃった」
確かにとっくに急行駅に着いて居て、見失った男は慌てて各駅停車の電車の乗って当初の予定駅まで行くが何処を見ても彼女は居ない。電話をかけるしかないだろう。
そんな話をしていれば家はすぐそこで、直接車に向かって乗り込むと「どうぞ」と声をかける。
「どうも、お邪魔します」
そう言って湖西凛は素直に車に乗り込む。
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