そのワインは、まだ飲まない
コトリノことり(旧こやま ことり)
第1話 ティーパーティーの招待状
金色の縁取りがされた手紙に書かれた一文を見て、ため息が出た。
「ティーパーティーのお誘い、かあ…」
大魔女の署名までしっかりはいっていて、ゲンナリした気持ちになる。いっそ暖炉に入れて燃やしたいが、あいにく夏だ。というか最近は電化製品が進んでて、古い屋敷だが、燭台も使わないし、暖炉だって今じゃ薪なんて使わず、スイッチひとつで点火できる。
それが現代の吸血鬼の屋敷だ。
とはいえ、憂鬱なのはティーパーティーの件だけではない。
押しかけて居座っている同居人のほうが最大の憂鬱で、懸念点で、ここ最近の溜息の理由だ。
手紙を机に放ったとき、ノックと同時に扉があいた。
まだ返事、してないのに。
「ティエル、晩飯できたぞ。今日はトマトとナスのマリネ、トマトベースの夏野菜スープ、とれたてのミニトマトとモッツァレラチーズの冷製パスタ、トマトと生ハムのミモザサラダ。それから赤ワイン、に、新鮮なオレの血液入り」
「シュタイン……また君はトマトばっかり……あとその赤ワインは、下げてください」
僕の憂鬱の原因。毎日彼のことを考えて、ついつい溜息がでる元凶。
それが彼、シュタインだ。
マナーを破ってはいってきた彼は、そんな細かいことが吹き飛ぶほど、美貌を持った青年である。
夜空を丹念に集めたような黒髪は艶めき、鎖骨まで流れている。それを朱色の紐で簡単にまとめているが、黒髪と、朱色がやけに彼の白い肌をなまめかしく引き立てている。
まるで絵画から抜け出したような、一目見れば思わず息を止めてしまうほどの美麗な顔。スラリとした体は骨格まで整っているのか、立ち姿だけで感嘆する。
なにより。夜闇に連れて行かれそうな瞳は、どんな宝石もかなわない。
なぜ、僕のほうが吸血鬼なのか不思議になるほど、彼は人間離れした美しさを持っている。
僕だって、数百年生きてきた吸血鬼であるから、月光に例えられる銀色の髪、アメジストに似た紫の瞳。微笑めば若い娘が顔を赤くする程度の顔立ちをしている。
だが美しいものに見慣れた魔女でさえ一瞬で虜にしてしまうシュタインにはかなわない。
それで、なんでそんな彼が、僕の屋敷にいるかというと。
「好き嫌いはよくないだろう、ティエル。吸血鬼なんだから、血を飲めよ。それで、そのままオレを眷属にしろ」
「僕は冷凍保存の血液パックで十分満足してるんです。わざわざ君から血をもらわなくても平気です。それと、何度も言ってますが、君を眷属にするつもりはありません」
シュタインは、押しかけ吸血鬼の眷属希望者だ。
もとはヴァンパイアハンターに協力する研究者だったらしい。ひっそりと暮らしていた僕を、独力で吸血鬼だと見破り居場所まで探り当てたのだから、その優秀さがわかる。
最初は人間にバレて面倒だと思った。逃げるか口封じをしなくては、と思っていたのに。
彼が言ったのは。
『オレを吸血鬼にしてくれ』という、言葉だった。
「それより、またどこか切ったんですか? また無茶をして……見せてください。丁度シルキーがつくった塗り薬があるので」
何かにつけて僕に血を飲まそうとしてくる彼は、肌まで陶器と見紛うほど美しいというのに、簡単に傷を作る。
さっきから朝露に濡れた薔薇の蕾のような香りと、滑らかなムスクがからみあった、控えめで繊細な甘い香りが漂っている。
香水や人工的なものではない。直感的に、わかる。
吸血鬼にとって極上の食事――血の香り。
「そこまで深くは切ってない。ほら」
袖をめくって見せられた二の腕には簡単な包帯が巻かれている。
それをしゅるっとシュタインは解いてしまう。
必死に息を止めて、なんでもない顔をしてその様子をうかがう。
なめらかな肌に、じんわりと浮かぶ、みずみずしい赤色。
シュタインの、血。
喉が鳴りそうなのをおさえて、微妙に視線をずらして、傷跡が視界に入らないようにする。
「……包帯だけじゃ跡が残るかもしれませんよ。これ、ちゃんと塗ってください」
屋敷に住み着いている妖精、シルキーの塗り薬を渡す。妖精じきじきに作ったのだから、効果は抜群だ。
バレぬようそっと傷から離れようとしたのに。
差し出した薬ごと手を、シュタインがしっかりと握り込んできた。
体温が低い吸血鬼の肌を、じわりと燃やすような、生きた人間の熱。
「……お前が塗ってくれねえの?」
ひっそりと、低く、囁かれた声は、くらりと脳を揺らす。
思わず驚いて、ハッと勢いよく息を吸い込んでしまう。
途端。
甘い、花の香りが身体中に広がる。
上等な貴腐ワインを目の前にして、香りだけで酔いしれるような。
ドクン、と高鳴るのは。心臓よりも、吸血鬼の本能。
「……食事、せっかく作ってくれたのに、冷めちゃうじゃないですか。先に食堂に行ってますから、怪我の手当をしてからきてください」
言い捨てて、シュタインの傷跡から、瞳から、手から逃げるように――いや、実際逃げて部屋から飛び出す。
それでも、かすかな残り香を、敏感な嗅覚はかぎ取って。
「ああ……ほんと、困る」
前はこれほどひどくはなかったのに。わざとシュタインが血を見せつけてくるたび、飢餓感が高まって。
少しのはずみで理性が飛びそうになる。
よろよろと食堂にたどり着く。けれど
ワイングラスから、薔薇の香りがして。
息を止めて、そっと中身を近くの鉢植えに流し込んだ。
かぐわしい、赤い液体は見ないようにして。
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