(ⅴ)、e、文末が已然形〔仮定形〕の場合

 前に引用した智辯和歌山の校歌を最初に見ていきます。

 智辯和歌山の校歌には、ある表現が用いられています。



  そびえたる    ほこりなり。


  そびえたる こそ ほこりなれ。



 このように、特定の助詞〔ここでは「こそ」〕が入りこむことにより、文末に作用する現象を「係り結びの法則」と呼びます。「特定の助詞」のことを「かかり助詞じょし」と言います。この表現を使うと、一気に文語の香りがします。

 「誇りなり」は「誇り」という名詞と断定の助動詞「なり」の終止形です。この「なり」を已然形にすると、「なれ」となります。今では校歌や童謡などにその姿が確認できます。まずはそちらから確認します。


【引用1】「仰げば尊し」


 仰げばとうとし、わが師の恩。

 おしえの庭にも、はや幾年いくとせ

 思えばいとし、この年月。

 今こそ別れめ、いざさらば。



 「今こそ別れめ」の「別れめ」は、「わかる」というラ行下二段活用の動詞に、意志の助動詞「む〔ん〕」の已然形です。「今は別れよう。」の意味です。「今別れむ。」が「今こそ別れめ。」になっていると考えます。なお、「し」は早いという意味です。

 「好きこそ物の上手なれ。」「~こそすれ、~」という言い方が今でも残っています。「ようこそいらっしゃいませ」は少し保留にします。

 「こそ」は文末を已然形にしますが、文語では「ぞ・なむ・や・か」があると文末を連体形にします。「神のみぞ知る」「知る人ぞ知る」が残っています。

 

【引用2】「蛍の光」


 ほたるの光、窓の雪。

 ふみよむ月日、重ねつつ。

 いつしか年も、すぎの戸を、

 明けてぞ、けさは別れゆく。



 最後の「明けてぞ」の「ぞ」が、「別れゆく」の「ゆく」という動詞を連体形にしています。「ゆく」は文語ではカ行四段活用、口語ではカ行五段活用であり、終止形と連体形が同じなので表面上の違いはありませんが、「ぞ」があるので連体形と考えます。

 なお、「年も過ぎ―【すぎ】―杉の戸を開けて―【あけて】―(夜が)明けて」とあり、「すぎ」(過ぎ/杉)と「あけて」(開けて/明けて)に二重の意味が付されています。こういう表現を「掛詞かけことば」と呼びます。世界を二重にします。和歌にはしばしば利用されました。「あきが来た」とあれば、「秋が来た」とともに「飽きが来た」というわけです。


 それでは詠唱に使用されている係り結びがどうなのかを調べてみましたが、例がなかなか見当たりませんでした〔もし、ご存じの方がいらっしゃればお知らせください〕。

 例は少なく、作品にも偏りがありますが、例を挙げておきます。


【引用3】『Diesディエス iraeイレ』〔2007年〕ルサルカ・シュヴェーゲリン・拷問城の食人影チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー


 ものみな眠る小夜中さよなか

 In der Nacht, wo alles schläft

 水底みなぞこはなるることぞうれしけれ

 Wie schön, den Meeresboden zu verlassen.

 水のおもてを頭もて

 Ich hebe den Kopf über das Wasser,

 波立て遊ぶぞ楽しけれ

 Welch Freude, das Spiel der Wasserwellen

 める大気をふるわせて

 Durch die nun zerbrochene Stille,

 互いに高く呼びかわし

 Rufen wir unsere Namen

 みどりなす濡れがみうちふるい

 Pechschwarzes Haar wirbelt im Wind

 乾かし遊ぶぞ楽しけれ

 Welch Freude, sie trocknen zu sehen.

 創造

 Briah――

 拷問城の食人影チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー

 Csejte Ungarn Nachtzehrer



 この詠唱文に句読点を付けると次のようになります。



 ものみな眠る小夜中さよなかに、水底みなぞこはなるること【ぞ】うれしけれ。

 水のおもてを頭もて、波立て遊ぶ【ぞ】楽しけれ。

 める大気をふるわせて、互いに高く呼びかわし、みどりなす濡れがみうちふるい、乾かし遊ぶ【ぞ】楽しけれ。

 創造、拷問城の食人影チェイテ・ハンガリア・ナハツェーラー


 

 各文の最後が「~けれ」となっていますが、すべて「嬉し」「楽し」という文語の形容詞〔シク活用〕の已然形です。

 過去の助動詞「けり」と形容詞がくっついた場合、「嬉しかり・けり/嬉しかり・けれ」「楽しかり・けり/楽しかり・けれ」となるので、「嬉しけれ」「楽しけれ」でそれぞれ一語です。



 ①はなるること【ぞ】うれしけれ。

 ②波立て遊ぶ【ぞ】楽しけれ。

 ③乾かし遊ぶ【ぞ】楽しけれ。



 「ぞ――連体形。」と「こそ――已然形。」ということが分かっていれば、①「嬉しけれ。」②③「楽しけれ。」〔ともに已然形〕は「嬉しき。」「楽しき。」のように連体形にすることに気づくでしょう〔または、「ぞ」をすべて「こそ」にする〕。

 なお、全体的に「7+5+7+5+……」という拍になっているようなので、「はなるる」を「るる」のように別の表現にして短くして拍の調整をするのも手かもしれません。


 『Diesディエス iraeイレ-Alsoアルゾ sprachシュプラーハ Zarathustraツァラトゥストラ-』は2007年に出たPCゲームですが、移植されたり〔PSP、Android, iOS、Switch〕、アニメ〔2017-2018年〕にもなったりしています。

 wiki情報によれば、「学園伝奇バトルオペラADV」というジャンルですが、詠唱シーンなどはYouTubeで視聴できます。

 ゲーテやニーチェ、『古事記』やワーグナーのオペラ等々、いろいろな古典作品からの引用が確認できます。ナチスや大量の人間の魂云々と、なかなかストーリーは重たいものですが、それゆえかディープなファンもいるようです。


 次は「ぞ」が連体形になっている例です。


【引用4】FGO・坂本龍馬「天翔ける竜が如く」


 天逆鉾あまさかほこわれし国津くにつ大蛇おろち

 我成す事は我のみぞ知る——『天翔ける竜が如く』!!



 坂本龍馬〔1836-1867年〕の歌に「世の人は我を何とも言はば言へ我がなす事は我のみぞ知る」というのがあります。また、「天逆鉾あまのさかほこ」も神話上の道具で、坂本龍馬が引っこ抜いたというエピソードもあるようです。

 「我のみぞ知る。」となっており、ここの「知る」はラ行四段活用の動詞なので表面上は終止形か連体形かわかりませんが、「ぞ」のことを考えると連体形です。

 なお、「天翔あまかける」という言葉がありますが、ラ行四段活用の動詞です。不思議と「天翔けれ」という命令形は目にしません。


 次は係助詞「ぞ」が使われているものの、結びが終止形の例です。


【引用5】FGO・長尾景虎「毘天八相車懸かりの陣」


 駆けよ、放生ほうしょう月毛つきげ! 毘沙門天びしゃもんてんの加護ぞ在り!

 『毘天びてん八相はっそうくるまがかりのじん』!



 ここも「在り」を終止形ではなくて連体形にして、「毘沙門天の加護ぞ在る!」とした方がいいように思います。

 『枕草子』「下行く水の」の段に


 いみじう笑はせたまひて、「さることぞある。……


という一文がありますが、これと同じ表現でしょう。

 他にも、なかなか紹介しづらいですが、今では偽書〔和田家文書〕とみられている不思議な作品群に『北鑑』というものがあり、「生くるの心得に天地水の加護ぞありけるなり。」〔五十一巻廿〕という一文があります。


 係り結びの法則には、次のような現象があります。


【引用6】『土左日記』〔934年頃〕


 年ごろ、よくくらべつる人々【なむ】別れがたく〈思ひ〉て、日しきりに、とかくしつつののしるうちに、夜ふけぬ。



 係助詞「なむ」の影響で「思ふ」となるはずですが、接続助詞「て」が受けて「思ひて

」となってそのまま次へとつながっていきます。この場合には「結び」はありません。このような現象を「結びの流れ」と言います。


【引用7】FGO・水着源頼光・釈提桓因しゃくだいかんいん金剛杵こんごうしょ


 牛頭ごず天王てんのう東方神とうほうしん帝釈天たいしゃくてん金剛杵こんごうしょ

 今こそ来たりて、あらゆる敵を撃滅げきめつせん。

 『釈提桓因しゃくだいかんいん金剛杵こんごうしょ』!!



 これも係助詞「こそ」によって已然形「来たれ」となるはずが、同じように「て」で受けている例だろうと思います。

 ただ、「て」を通り抜けた後の用言を連体形にすることがあります。


【引用8】漫画版『魔王学院の不適合者~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~』〔2018年~2021年〕3巻


 針や 止まれや 時間や止まれ

 時の神域踏み入りし

 万物余さず制止せよ

 刹那ならず 永遠に

 時計ぞ止まりて

 ――時 止まりし――



 「時計ぞ止まる」に「て」が付いて、「時計ぞ止まりて」となりますが、その後の「時止まりき」の「き」〔過去の助動詞「き」〕が連体形「し」になったものだろうと思います。

 『魔王学院の不適合者』はタイトル通りですが、最強の魔王が慌てず動じずに無双していく話です。漫画版はとても良い感じに面白く描かれているのですが、残念なことに漫画家さんが2021年に亡くなってしまいました。【引用8】は漫画オリジナルかなと思います。


 係り結びを詠唱に使うのはなかなかハードルが高いのかもしれません。

 しかし、歴史的には過去にも係り結びの法則に従っていない文章を書いていますので、あまり気にしない方がいいでしょう。むしろ、積極的に詠唱文に使う人がもっと現れればいいなと思います。

 古文の中からいくつか異例を挙げておきます。

 ①は「ぞ」の結びが已然形、②③は「こそ」の結びが終止形の例です。


①『紫式部日記』〔1010年頃〕


 この命婦【ぞ】、ものの心えて、かどかどしくははべる人〈なれ〉。


②『枕草子』〔1000年頃〕「花の木ならぬは」


 ゆづり葉の、いみじう房やかに艶めき、茎はいと赤くきらきらしく見えたる【こそ】、あやしけれど〈をかし〉。


③『今昔物語集』〔1110年頃〕巻二十五・七「藤原保昌やすまさ朝臣、盗人袴垂にへること


 「哀れ、此れ【こそ】我れに衣得させに出で来たる人な〈めり〉」と思ひければ、



 ただし、古文の場合は本文が揺れている実態はよくあるので、たとえば①は「ぞ」ではなく「こそ」ではないか、という疑問はあり得ます。しかし、少なくとも平安末期頃にはこのような現象が見られ始めています。

 文語では已然形ですが、口語では仮定形と言います。仮定形が文末になる詠唱文は見つけきれていないのですが、もしあるとすれば、「静かなら〔ば〕……」のように、形容動詞の仮定形に「ば」が抜けた形で、省略や倒置になっているものだろうなと思います。


 次回が1章の最後です。(ⅵ)f、文末が連用形、連体形の場合を見ていきます。

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