1,文の終わりの表現に注目する

(ⅰ)、文語とは何か?

 日本語の歴史を研究している「日本語史にほんごし」という分野では、日本語の歴史的な分類を次のように設けています。


◆日本語史の時代区分〔『ガイドブック日本語文法史』ⅳ頁〕


 ①上代語〔奈良時代およびそれ以前:~794年〕

 ②中古語〔平安時代:794年~1192年〕

 ③中世語〔鎌倉・室町時代:1192年~1603年〕

 ④近世語〔江戸時代:1603年~1868年〕

 ⑤近代語〔明治・大正・昭和前期:1868年~1945年〕

 ⑥現代語〔昭和後期・平成:1945年~〕



 これは「六分法」といい、6つの時代に分けていますが、「二分法」といって①②を「古代語」、③~⑥を「近代語」と大きく分ける考え方もあります。立場や考えによって分け方や時代も変わります。便宜的べんぎてきな分け方に過ぎません。

 また、日本の歴史学では「古代、中世、近世、近代、現代」と分け、「古代日本」と言えば、②の平安時代も含まれます。「中古」という言い方は、日本文学の研究の際に用いられる言葉です。

 いずれにしても、文語とは①~④あたりの言葉や言葉遣いだとまずは認めてもよいでしょう。

 次に高校生用の古文の文法書にある、いくつかの用語の定義を確認します。



◆『詳説古典文法』〔8頁〕


・奈良時代から江戸時代までの言葉を古語〔文語〕といい、古語で書かれた文章を古文〔文語文〕という。それに対して、現在用いられている言葉を現代語〔口語〕といい、口語で書かれた文章を現代文〔口語文〕という。古語〔文語〕・古文〔文語文〕は、基本的には平安時代中期のものに代表される。


・文語と口語とは、古文と現代文との違いを指して用いられるほかに、書き言葉と話し言葉という違いのことを指して用いられる場合もある。



 「前置き」で詠唱文の文言を「やや古風な表現」と書いたのは、「文語」という意味においてです。

 しかし、それは今と完全に断絶しているものではなく、実際には私たちは文語的表現を書き言葉に用いたり、日常会話の中にも用いたりすることがあります。引用文にもあるように、単に古いか新しいかだけではなく、書き言葉と話し言葉との対立もあります。

 また、厳密に言えば、引用文にもあるように、「文語」あるいは「文語文」は平安時代のある時期の言葉を元としているため、どの時代も同じような「文語文」を話したり書いたりしていた、というわけではありません。一つの規範〔特に書き言葉〕として働いていた程度に考えてください。室町時代には、現代の口語に近い表現がすでになされています。


 詠唱文とフィクションとの関係で重要なことは、読み手や聞き手、フィクションの世界や場面に重々しさや荘厳さという印象を与えるために、あるいは「演出する」ために、「文語的表現」を用いているということです。


 それでは、このような表現は身の回りでは今ではどこで見られるものでしょうか。

 一つは歌です。特に校歌や童謡に多く見られます。

 2021年の夏に行われた第103回全国高校野球選手権大会で優勝した智辯学園ちべんがくえん和歌山中学・高等学校の校歌の1番は次のような歌詞です。


【引用1】智辯学園和歌山中学・高等学校の校歌


 ここ南海の 神撫台しんぶだい

 古代人いにしえびとの あときよ

 尊女みおや遺志みむね 継承うけつぎて

 創建たてし 真理しんりの のりの城

 あかねいろえ ゆるぎなく

 そびえたるこそ ほこりなれ

 とわ栄光はえあれ 智辯学園

 おお吾等われらが和歌山高校

*引用は学校のウェブサイトから。



 日常会話に用いられていない言葉やその読み方、たとえば「尊女みおや」「遺志みむね」「継承うけつぎて」「創建たてし」等が目に入ります。これは耳で聴くだけではわからないことです。

 

 余談になりますが、小さい頃に覚えていた歌詞を、成長してから改めて読むと、まったく別の言葉だったという経験は一度くらいはあるのではないでしょうか。

 代表的な例としては、次のものがあります。


 『アルプス一万尺』の「こやり」を「子ヤギ」

 『どんぐりころころ』の「どんぶりこ」を「どんぐりこ」

 『ぶんぶんぶん』の「野ばらがさいたよ」を「お花がさいたよ」


 作家の向田邦子むこうだくにこ滝廉太郎たきれんたろうの『荒城こうじょうの月』の「めぐるさかずき」を「眠る盃」と覚えており、それが本のタイトルにもなっています。。

 また、童謡「シャボンだま」の歌詞で「シャボンだまとんだ/やねまでとんだ/やねまでとんで/こわれてきえた」をシャボン玉が飛んで、屋根も一緒に飛んだ、という強風という文脈の読み方をする人もいるようです。


 さて、話を校歌に戻します。

 校歌には「7・5・7・5……」のはくもあります。

 このような定型の拍は歌詞を暗記するのを助けてくれます。旋律メロディーがあるとなおさら覚えやすくなるでしょう。歌は目で読むものであるとともに口で詠むものでもあるわけです。

 次の童謡「故郷ふるさと」も見てみましょう。


【引用2】「故郷ふるさと」の1番


  うさぎいし かの山

  小鮒こぶなりし かの川

  夢は今も めぐりて

  忘れがたき 故郷ふるさと



 文語から口語へ、「忘れがたき」を「忘れがたい」にしたり、「かの山」「かの川」を「あの山」「あの川」にしたりすることもできます。

 また、後に触れることになりますが、「追いし」「釣りし」の「し」は過去の意味を示す助動詞「き」の連体形です。つまり、「〔兎を〕追った〔あの山〕」「〔小鮒を〕釣った〔あの川〕」という意味です。

 なお、「追いし」は歴史的仮名遣いで表記すると「|追し」です。

 他、文字数を数えると「6+4+6+4+……」となっていることにも気づくでしょう。音楽であるので当然といえば当然ですが、実際に歌ってみると「4」のところは「6」で数えているはずです。これは「故郷」が4分の3拍子の曲だからです。


 このように、校歌や唱歌・童謡などにも文語的表現が使用されますし、詩歌の世界でも使用されています。みなさんが通った学校の校歌を思い出してみるのもいいでしょう。

 なお、国歌「君が代」は元々和歌です。


【引用3】『古今和歌集こきんわかしゅう』巻七「賀歌」・三四三・よみ人知らず


  我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで



 歴史的仮名遣いが使用されている詩歌の表現例も挙げておきます。


【引用4】正岡子規まさおかしき獺祭だっさい書屋しょおく俳句はいく帖抄じょうしょう上』〔1902年〕


  柿くば鐘が鳴るなり法隆寺



【引用5】篠崎央子ひさこ『火のかお』〔2020年〕


 浅蜊汁あさりじる星のおとてて



【引用6】島崎藤村「初恋」〔1896年〕


  まだあげめし前髪まえがみの 

  林檎りんごのもとにえしとき

  前にさしたる花櫛はなぐしの 

  花あるきみおもけり

  〔以下略〕


 現代の俳人・歌人も、「触れ合う」を「触れ合ふ」のように、歴史的仮名遣いを用いて表現することが多くあります。

 古典の学び始めには、「歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直せ」という問題が出てきますが、「けふ〔今日〕」を「キョー」と直す、アレです。

 なぜ現代仮名遣いで読まなければいけないのか、「けふ」は「ケフ」とそのまま読めばいいではないかと思った人もいるかもしれません。

 歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直す時には、「語頭以外のハ行はワ行で読む」とか「『あう』は『オー』と読む」というルールがありますが、これは表記と音がズレている現象を一致させる試みです。

 文字が生まれてから間もない時期には、「けふ」は「けふ」、「あはれ」は「あはれ」〔あえて片仮名で示すと「アファレ」〕と、表記に近い読み方をしていたと考えられています。しかし、音は変わっていきます。

 表記は文字であるため固定し、変化することは容易ではありませんが、一方の音はどんどん変わっていきます。もはや音に従って書けなくなったと言えます。古典の人たちは文語文のように話してはいなかったということでもあります。

 こうした書き言葉と話し言葉が離れていっているのを一致させようという運動が明治期に「言文一致げんぶんいっち」運動という形で現れた、と言われています。

 「こんにちは」を「こんにちワ」と読むのは、表記と音が一致していない、つまり例外的な扱いです〔他にも、「へ」「を」があります〕。

 しかし、音に引きずられて「こんにちわ」と表記されるものは今では珍しくありません。「~という」を「とゆう」と書く人も増えてきましたね。


 英語でも同じ現象が起きています。

 たとえば、英語のnameやtimeはあえて日本語で片仮名にすると「ネイム」「タイム」となりますが、これも表記・つづりと音がズレています。

 英単語が覚えづらい理由の一つには、表記と音がズレていることにあります。平仮名を用いるように、音通りに書くことができれば、どれほど覚えやすいかというのは、knightやforeignなどの語を思い浮かべるとよいでしょう。

 しかし、英語の歴史をひもとくとnameは「ナーメ」、timeは「ティーメ」と綴り通りに発音されていたようです。


 論者によって異なりますが、英語の歴史を4つに分け、「古英語」を1100年頃まで、「中英語」を1100年頃から1500年頃まで、それ以降を「近代英語」、二十世紀頃から「現代英語」とします〔『ベーシック英語史』6頁〕。

 中英語の終わり頃から近代英語の初め頃に本格的に綴りと音とが乖離かいりしていく現象がありました。理由にはいくつかありますが、「大母音推移だいぼいんすいい」と呼ばれる母音の変化や、借用語の影響等があります。

 詳しく知りたい方は「英語史」という用語で検索するといいです。


 現代の日本語の書き方、これを「正書法せいしょほう」と言います。

 仮名遣いの場合は現代仮名遣いを用いることが多いですが、一部の作家〔たとえば丸谷才一まるやさいいち〕や研究者などは歴史的仮名遣いを用いていました〔今もいます〕。


 「仮名遣いの場合は」と書きましたが、たとえばひらがなやカタカナや漢字などの文字の種類については、かなり緩やかなものです。今、「ひらがな」「カタカナ」と表記しましたが、これも「平仮名」「片仮名」と表記することも可能です。

 外来語に由来する言葉は元の外来語の音を真似てカタカナにして日本語を記す時に使用することができ、これがカタカナ語の氾濫はんらんうれえることにもなり、また日本語の造語力を示していることにもなります。

 なお、何の変哲もない文をカタカナで表記すると、異界からやってきた人物の発話、ロボットの発話などに用いられることが多く、違和感や無機質な感じを読み手に与えます。

 一方、この問題については、日本語を学びたての、特に海外の学習者の発話を「アノ、スミマセンガ、ミチヲオシエテクダサイ」のように表記してしまうと、ある種の差別的な意識〔無意識〕の現れとして受け取られることがあり、注意が必要です。現代風に言えば、「上から目線」ということになるでしょうか。


 ざっと文語文について説明をしてきました。これからも少しずつ日本語については説明を加えていきます。

 次に詠唱文を見ていきましょう。


 詠唱文の文末について考えていきます。

 歌詞には通常、句読点くとうてんを使うことはありません。みなさんが良く聴いている音楽の歌詞にも句読点が付いているものはほぼないと思います〔だからこそ歌詞の解釈が揺れることも起きてしまいます〕。

 したがって、文の終わり、あるいは文の切れ目は読み手が決めなければなりません。

 しかし、自由に決めればよいわけではありません。まずは文がどういう決まりで切れるかを考えていきましょう。


 通常、文の終わりは次の場合に分かれます。


 a、文末が名詞の場合

 b、文末が助詞の場合

 c、文末が命令形の場合

 d、文末が終止形の場合

 e、文末が已然いぜん形〔仮定形〕の場合

 f、文末が連用形、連体形の場合


 また、a~f以外にも、たとえば「おはよう〔ございます〕」のように省略されている場合もあります〔「お早く〔ございます〕」→「おはよう〔ございます〕」→「おはよう」です〕。この場合、「おはよう」は「おはやく」がウ音便化し、連用形と言えます。


 a~f以外、あえて言えばb「文末が助詞」の場合にカテゴライズされますが、文末の後に言葉が省略されている詠唱文の例を挙げます。

 1997年に当時のスクウェア〔現スクウェア・エニックス〕から販売された『ファイナル・ファンタジー・タクティクス』〔FFT〕は、シミュレーションRPGというジャンルのゲームですが、このゲームの詠唱魔法に「レイズ」と呼ばれる死者を蘇らせる魔法があります。


【引用7】FFT・白魔道士・「レイズ」


  生命をもたらしたる精霊よ 今一度我等がもとに! レイズ!


 「今一度我等がもとに」の後には、「来い/来たれ/集まれ/つどえ/集まりたまえ」のような言葉が省略していると考えることができます。

 FFTから他の例も挙げておきます。


【引用8】FFT・陰陽師「命吸唱」


  魔の理に従い、鼓動のいくつかを 我が身のために… 命吸唱!


【引用9】FFT・召喚士「バハムート」


  夜闇の翼の竜よ 怒れしば我と共に 胸中に眠る星の火を! バハムート!



 【引用8】の「我が身のために」の後には「差し出せ」「分けよ」のような言葉の省略でしょう。

 【引用9】の詠唱文の「怒れしば」の表現は気になります。

 文意は「夜の闇〔の世界〕に翼を広げて勇壮に飛ぶ竜よ、お前が怒ったならば私とともに、その胸の中に眠っている星の〔ようにキラめいて強い〕火を〔敵に放て〕!」ということになるのだろうと推測されます。

 この「し」は過去の助動詞「き」の連体形「し」だろうと思うのですが、そうなると「怒る」というラ行五段活用動詞〔文語なら四段活用〕との結びつきは、連用形「怒り」であり、「怒りし」となるはずです。

 また、仮定「もし~ならば」の意味を表しているのが「ば」ですが、この「ば」は未然形に接続します。

 過去の助動詞「き」の未然形「せ」と組み合わさって、「~せば」という表現は古文にもあります。


  世の中にたえて桜のなかり【せば】春の心はのどけからまし〔『古今和歌集』〕

 

 この例は、助動詞「まし」とセットで使用され、反実仮想「もし~だったら、~なのに〔でも現実は……〕」という意味です。

 悩ましいですが、ここは「怒れしば」ではなく、「怒りせば」なのかなと思われるところです。

 ただ、ウェブ上で「怒れし」を検索すると、「怒れし火」「怒れし雷」「怒れし心」という言い方が散見されたので、違和感のない人が増えているのかもしれません。


 次に引用する詠唱文は、2009年にバンダイナムコから発売された『テイルズ オブ グレイセス』〔TOG〕の中でマリク・シザース〔CV:東地宏樹〕が使う魔法です。シリーズにもよりますが、テイルズ オブシリーズではしばしば術技じゅつぎと呼ばれます。


【引用10】TOG・マリク・「ブレイジングハーツ」


  ほむらち果てぬ永劫えいごう脈動みゃくどう! 不動なる意思は、この胸に! 浄炎、ブレイジングハーツ!



 「この胸に」の後には、「ある〔あり〕」「刻まれている」「脈打っている」等の表現が省略していると考えられます。

 また、「永劫の脈動」は、「永ゴウの脈ドウ」という音の工夫もあるでしょう。


 言わなくても、想像して補える言葉は、歯切れの良さ悪さの観点から省略してしまう方がよいでしょう。

 次回は、aの「詠唱の文末が名詞の場合」を採りあげます。


 今回は日本語の説明が多く詠唱文の例が少なかったですが、次回から本格的に増えていきます。

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