第21話 無慙愧は名づけて人とせず

 鬼丸を抜いたと同時にその異変は起きた。辺りの空気が歪み稲光が闇を割くと、いつの間にか村を易々やすやすと覆う程の翼を広げ、黒い何かが空に浮かび上がった。


「な、なんだ? 」


 ソノ巨大な物が闇を抜け出し、ゆっくりと姿を現し始めると髪が逆立ち爪先がバチリと帯電する。とてつもない重力が上空からし掛かり、対峙していた俺達はその圧倒的な重圧を前に、すべも無く膝を落とされ、簡単に地面に平伏へいふくさせられた。


「グググ、なん…… ですか…… これは、身体が潰され…… 」


 地鳴りとともに声がその存在を刻み地表に木霊こだまする。


שופע את הראש שלך≪こうべレヨ≫

      שופע את הראש שלך≪首ヲ垂レヨ≫ 

אנימתנשא גבוה בשמייםרוח עם כוח מסתורי≪我、天聳あまそそ奇御魂くしみたまナリ≫ 

אין אדם שווה≪相対そうたいスル者ハ無ク≫

אל תשחרר את הצאצאים≪仮借かしゃくナキ系譜けいふあだナス念≫ 

זו הסיבהאני לא יכול להשתחרר≪ソレいわク仮借ナキ所業≫ 

שופע את הראש שלך≪こうべレヨ――≫ 

      שופע את הראש שלך≪頭ヲ垂レヨ――≫ 

ואז בואו נזרוק ונבהיר.≪サラバいんッテせいあたエラレン≫



 ソレは徐々に地表へと目的を示し降臨する。距離が縮む程に骨がきしみ近づく程に容易たやすく骨を砕く。


「ガッはっ」


 バキバキと全身の骨が砕ける音が鼓膜に響き、激痛が命の残り時間を知らせる。絶対強者の力を前に心は折られ、希望が掻き消された。圧力により呼吸が少しづつ奪われてゆくと、目がかすみ死神が出迎え肩を叩く。


「どう…… やら、ガハッ、とんでも…… ない、虎の尾を踏んでしまったようです。早くのがれなけ…… れば、私も貴方も此処で…… 終わりですよ? 」


「あがぁ…… 」

つぶされ、意識が途切れかけた正にその時。突如ソレの動きが止まったかのように見えると、暗闇からまるで浮き上がるように三つの指爪が現れ空にはりつけられたエマを鷲掴わしづかみにした。


「なっ―――⁉ やめ……ろ、その手を離せ」


 天をつんざく程の咆哮が瓦礫がれきを吹上げると、景色が轟を放ち揺れ乱れる、ソレはまるで悪夢を観せるが如く、鷲掴みにしたエマをその巨大な口で飲み込んでみせた。


「いゃめろぉぉ――――!! エマーリアぁ――――!! 」


 猛烈な加重圧が一瞬収まり意識が朦朧もうろうとする中で、俺の元に炎の壁を乗り越え、ギアラが飛び込み現れた。ギアラは、まん丸な目で俺の顔を覗き込み、ぺちぺちと頬を叩き無事を確認すると有無を言わさずき立てる。


「マジンサマ、オレにつかまってなのれす」


「駄目……だ、ギアラ、エマが奴の…… 腹の中に…… 」


「まだなのれす。まだオワリじゃないれす。いっかいニゲルのれす」


 まだエマを助ける手段が在ると云う意味なのか、それともまだ奴の何かがあるのか、その意味を知る事は無く、ギアラは俺の腹下に身体をグイグイ押し込め背中に背負うと、その場から脱出を試みる。


「ギアラだめだ、降ろせ、エマを…… 俺はエマを…… 」


「ダメなのれす、イマはこっちがサキなのれす」


 走り出すギアラを横目にようやくフラフラと立ち上がる魔人が言葉を投げかけた。


「お互い生きて…… 命あればまたお会いしましょう。決着は次の機会に…… それまではどうか…… 死なないで下さいよ」


 エマを簡単に飲み込んだソレは巨大な翼を広げ、月夜に影を落とし舞い上がると、その口からキュインと小さなわずかばかりのまばゆく光を放つ火球を落とした。その玉はまるでガラス玉のようでもあり、その中はぐるぐると灼熱のうごめく炎のような色を放ち不気味に模様もようを変えて、ゆっくりと人が歩く程の速度で落下してくる。


「マジンサマ、まだねむったらダメなのれす、ミンナにつたえるれす、とおくにニゲろっておしえるれす、じゃないと、じゃないと」


 ギアラは全力で丘を駆け上がり何とか火球が着弾する前に辿り着くと、急いで俺に説明するように急かした。


「ここは危険だ、遠くに、出来るだけ遠くに逃げるんだ」


「おい、あんた、大丈…… 」

ヴェインが話掛けると男が虚ろな瞳で訴える。


「闇から…… ヤバイ奴が出て来た、此処でも危険らしい、早く皆を連れて…… 急げ頼む」


 只ならぬ様相ようそう疑念ぎねんを差し込む事はせず、グランドが声を上げる。


「みんな急げ、逃げるんだ、遠くに走れ――――― 」


 囚われていた女子供も含め全員がその場から逃げ出した、遠くへ、更に遠くへ、息も絶え絶え、やっと大きな森林域へとその身をじり込むと同時にその時は無情にもやってきた。


 急げぇ―――――!!

 

 激しい閃光が時を止め静寂が訪れると、全ての音を遮断し、世界が一瞬にして白と黒のみに変わり影を奪う。空は昼間よりも明るく肌を激しく照り返し瞳を焼いた。まるでそれは太陽が目前に落ちたかのように……。


「目ぇ開けんなぁ、頭を抱えて身体を低くしろぉ、子供を守れ!! くるぞぉ――― 」

ヴェインが怒号にも似た叫び声を上げる。

 

 時空をゆがませ、何かが臨界点を突破した。爆音が轟き三半規管さんはんきかんを麻痺させると、地面がうねり地獄への参道が顔を出す。

 

 地表が裂け諸有あらゆる物を飲み込むと、周囲の空気は信じられない程の力で膨張し、耳鳴りが精神をむしばみ、全ての物を巻き上げ爆心地へと引きり込む。


「何かにつかまれ、出来る限り物陰に隠れろぉ―――――」

誰かが叫んだ刹那……

 

 強烈な熱線ねつせんが大気をで上げると、灼熱地獄と化す。身体を内側から焼き尽くし、音も無く形ある物を骨すら残さず溶かしてゆく。

 

 爆圧が身体にし掛かると、内臓が破壊され眼球が飛び出し、耳から血液が吹き出した。生きる希望は容易たやすく奪われ、音速を軽く超えた衝撃波が全てをなぎ倒し、身体は玩具のように打ち付けられ手足がげた。


 爆音と爆風が衝突し天をつらぬいかずちとなる。上昇した気流がきのこ型の雲を空に打ち上げると、稲妻走る閃光の中、巨大過ぎるソレの姿がようやくく浮かび上がった。それは正にこの世の終わりを告げる存在であった。



―――――神龍バハムート―――――



 黒い雨にさらされ、生き残った者達は何時いつからか、そう呼ぶようになり語り草となった。後にこの事件は【ムルニの審判】と呼ばれ、竜をも超越ちょうえつし、神話の中にしか存在しないと言われてきた神に匹敵する存在に、人類が初めて遭遇し、そして最悪の結果をもたらした、今世紀最大の大事件と呼ばれるようになった。





 ガチャガチャと剣が鎧を叩く音で目が覚めると、見知らぬ高い天井が俺を出迎えた。立派な煉瓦れんが作りの建物は若干じゃっかんあたたか味には掛けるが清潔感があり、せわしなく廊下を行き来する兵士であろう足音に、此処が長閑のどかな農村では無い事を知る。


「助かったのか…… また俺は…… 無力の身でありながら…… 」


 全身が包帯で巻かれ、辛うじて片目だけが自由を許されていた。丁度、湯桶と汗拭きを手に部屋に入って来た侍女と目が合うと、桶を賑やかに落とし大騒ぎで誰かを呼びに出て行った。直ぐ横でその音に飛退く黒い毛玉が横目をかすめる。


「わきゃァ――― びっくりシタのれす!! おどかすなれす」


「お前は、相変わらずだな。無事で何よりだ」


―――――いっ⁉


「いっ、いきかえったのれす⁉ マジンサマがいきかえったれす!! わぁ~ん わ~ん」


 泣き虫な大きな子猫は、どうやらずっと俺の帰りを待っていてくれていたようだった。尻をぺたんと着き天を仰いで大泣きする。


「心配掛けたなギアラ、すまなかったな」


「ヒトゾクのコトバわからなくて、マジンサマうごかないし、きっとしんじゃったっておもって、でも、あきらめられなくて、だから、だから、わ~ん わ~ん」


「お前は命の恩人だ。有難うなギアラ」


 俺は無機質な天井を見上げたまま礼を述べると、失ってしまったものの大きさに涙が溢れ自分の愚かさを初めて知った。喪失感と絶望感の狭間でこれからどうして生きて行けば良いのだろうと…… ただただむせび泣く事しか今は出来なかった。


―――エマーリア……。






胸につかえ想い泣く。怨恨えんこんともに天をいただかず青雲せいうんこころざしを抱く。帰らぬ旅の果てに求めるは、いつか見た貴女の和顔施わがんせのみとする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る