第10話 特別な個体

 やはり、グレイモアとは違う。

 その違いの謎まで分かれば上出来だが、そこまで余裕があるわけでもないし、欲を出せば失敗する……。そして失敗はそのまま、たった一つで死に直結するのだ。


 言葉まで分かる、とまでは思わないが、ダメ元で話しかけてみる。


「もう一人なら逃げたよ。お前には、俺だけで充分だろ」


 すっと、四つん這いだったグレイモアAが立ち上がった。


 拳を構えた体勢は、俺を殴り合いの土俵へ誘っているかのようだった。


 六本ある腕の四本は、だらんと下げられ、使わないと主張している。


 喋ることはできないようだが、工夫してなんとか意思を伝えようとしている。


「……お前は」


 互いに殴り合うため駆け出す前に、俺は思わず口に出していた。


「――良いヤツ、っぽいな」



 決して良いヤツではなかった、とも言い切れないのが、困ったところだ。


 俺たちを見逃してくれるわけでも、味方してくれるわけでもない。だが、無差別に殺戮を繰り返すほど、俺たちを毛嫌いしているわけでもないし、それを遊びとも思っていない。

 必要だったから殺した、というのは、生物としては当然の理由だからだ。


 容赦がない、というのは本当だが、俺に合わせた上で、ルールから逸脱しない範囲で全力で攻撃を仕掛けてくる。

 数分も続いているのはただの殴り合いだが、こいつは決して腕を二本以上、使おうとはしなかった。


 俺の拳が相手の拳とすれ違い、顔面へ思い切り入る。

 地面を削りながら踏ん張るグレイモアAは、拳を構え直し、再び俺の前に立ち塞がる。


 ――長い……ッ。


 俺の体力は、無尽蔵なんかじゃ、ないんだぞ……っ。


 俺を仕留めようとはせず、殴り合いという制限の中で、ヤツは一進一退の攻防を楽しんでいるようにも感じる……。

 もしもこいつに意思があるのだとすれば、スリルを味わいたいのだろう。


 一方的な蹂躙に飽きたこいつは、ゲーム性を見出して遊んでいる。


 そして自分がピンチになることで快楽を得ている。


 まるで俺たち種族と同じだ。

 グレイモアには、こんな個体もいるのか。


 こうして俺に勝機が見えるのは、ヤツが手加減をしてくれているからだ。

 全力であっても、それは設定したルール上では全力であるだけで、ルール無用のなんでもありになれば、俺なんて簡単に捻り潰される。


 だから、この勝ちを自信にしてはならない。


 こんな幸運など、もうないと思え。


 だから、失敗はできない。


『アル……、見つけた』


 音の発信源が分かないが、どこかにいるだろうティカの声が聞こえた。


 俺は頷き、


「チャンスは、俺が作る」


 ――ゾッ、と、死期でも悟ったのか、後ろを振り向くグレイモアAの首を両手で掴んで引き寄せる。こんな懐にまで、普段ならば絶対に侵入させてはくれない。

 後ろに気を取られたこいつのミスである。


 引き寄せただけの俺を仕留めようと、グレイモアAは腕二本で殴り続けながら、やがて三本目、四本目が僅かに動き、しかし咄嗟に引っ込めた。

 ……悪いな、せっかくルールを守ってくれているのに、俺の方が破っちまって。


 一対一。


 ティカも入れれば、二対一だ。


「俺の反則負けでいい……だから、悪いな」


 サクッ、と、まるで積もった雪にくわを差し込むような音と共に。


 不死者であるはずのグレイモアAが、力なく膝から崩れ落ちた。




 グレイモアAの後頭部が少し盛り上がっているように見えたのは、錯覚ではなかった。


 後頭部との接地面が同化し、凹凸がなく、色も肌色と合っているために違和感がなかったが――ティカが突き刺した小刀を抜くと、既に生命力が途絶えたのか、触手をだらんと力なく垂れ下げた生物が、引っ張り出された。


 黄色く光る半透明の生物は、数度、信号のように光が瞬き、やがて完全に息絶える。


 僅かな息も、時間と共に散ってしまったらしい。


「意外と大きいな……、子供たちが抱えてる枕くらいはあるように見えるが……。ティカ、その小刀ってさ」


「うん。あの子のをちょっと借りたの」


 借りたことを責めるわけではないが、その小刀は堕天したアンギラス族の近くにあったはずだ。それを持ってきたということは、ティカは彼女の死体の酷い状態を……。


「……見たのか? でも、意外とこういう光景も平気だったりするんだな……」


「ううん、わたしもそういうのはダメなんだけど、今回は見えなかったんだよね。最初から死んでいたもう一人の子が、体を張って、彼女の体を隠すように覆っていたから」


 グレイモアがティカに配慮して、一手間かかるようなことをするだろうか?


 きっと、グレイモアは関係ない、単なる偶然だとは思うが、あの二人の仲の良さを証明する出来事ではある。

 死んでもなお、親友の死に様を隠す死体……、

 状況こそ怪奇現象ではあるが、最高に格好良いと、俺は思う。


「これ、どうしよっか」


 ティカが小刀に突き刺した、グレイモアAの後頭部にくっついていた生命体を俺に見せつける。半透明の、円盤型の底面から、無数の触手が伸びている。

 まだ触ってはいないが、これを触るのは勇気がいるだろう。


 さっきまでは黄色かったが、今は全体が灰色になっている。


「持ち帰ろう。調べればなにか分かるかもしれないし」


 やっと調査のようなことができた。

 俺たちは討伐隊ではなく、あくまでも調査隊なのだ。


 現場で見つけた重要な『それ』を持ち帰るため、腰のカバンから折り畳んでいた大きめの袋を取り出して広げる。


 しかし、灰色の生命体を袋に入れる寸前で、小刀からはずれ、地面に落下してしまう。


 その衝撃で体が崩れ、砂となり、地面へ散ってしまった。

 回収しようにも、落下と共に生命体の体が溶けていく氷のように、地面へ染み込むように見え――気づけば、ばらばらになった砂さえも、その在り処が分からなくなっていた。


「ご、ごめんアル……っ」


「いや……、なにも教えるつもりはない、ってメッセージなのかもな。でも、この発見は大きいぞ。なにも分かっていない以上は、他にも敵がいるってことだけが分かったようなものだから、朗報でもないけど……『存在する』ことを知っているだけでも、対策の立てようがある」


 音に意識を向けただけでは、万全ではない。

 もしかしたらグレイモアAのように、視覚を利用して俺たちを見ているのかもしれない……、


 なんて事実は、しかし、


「相手の目と耳を意識しながら逃げるって、苦労が倍以上になったようなもんだろ……」


 もちろん、全てのグレイモアがそうではないが、一体でもそこにいるかもしれないと思ってしまうと、対策をしないわけにはいかない。


 最大の難点は、自分の思い込みで無駄に体力や集中力を消費してしまうことだ。

 そう考えると、知らなくても良かったかもしれない発見とも言えてしまう。


「……いや、そんなことはないか」


『知っている』――。

 そのアドバンテージは大きいのだから、当然、知っている方がいいのだ。



 普通のグレイモアが周りを徘徊していたが、こっちは音を立てなければ至近距離を歩こうが見つかることはない。

 音に反応して振り返ることもあるが、その時になったら立ち止まればやり過ごせる。


 見分け方は簡単ではないが、判断材料は後頭部の膨らみだ。


 よく見なければ分かりづらいが、つまり、よく見れば分かるという意味でもある。


 いくつもの難所を越え、階段になっている瓦礫の山を越えたり、ティカと協力して壁を登ったりして、地上を目指していると、やがて空が薄暗くなってくる。


 ……そうか、もう夜が迫ってきたのか。


 地上まではまだまだ距離がある。


「……ぺタルダ、大丈夫かな」

「大丈夫よ。わたしたちの誰よりもしっかりしているからね、あの子」


 どれだけ前へ進もうとも、景色が一向に変わらない。

 きちんと進んでいるのか、もしかしたら戻っているのではないか、ひたすら同じ場所をぐるぐると回っているのではないか――と思ってしまう。


 すると、道の真ん中。


 白い翼を背中に、褐色肌を持つアンギラス族の少女が、無防備にむにゃむにゃと寝言を言いながら、眠っていた。


「…………」

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