第5話 亜人街と少女

「亜獣に蹂躙された、ってことなのかな。自然の摂理でもあるんだけど、仕掛けたのは人間の方だって学んだよ。このカメラとかペンとか紙とか、こういう道具は全部、人間が発明したものなの。その技術力を今はあたしたち亜人が引き継いでる。

 作った張本人じゃないから、これ以上の物は作れないし、直すことも難しいんだけど……。人間はね、小道具と一緒に武器も作ってた。さらに強力な兵器まで。亜人の命なら簡単に奪えるようなものだね」


「亜人の命なら、ね」


「うん。だから亜獣には効かない。傷を負わせても命を奪うことはできなかった。だから滅ぼされた。兵器を手にして自分たちが王者だと思い上がった人間は、自然界に君臨する亜獣という王を怒らせた。半年にも満たなかった、と聞いたよ。たった数体の亜獣に人間は絶滅させられた」


 ロクを抜いてね、とセイナンがおれを見つめる。


「そこのカラクリこそ知りたかったんだけど……」

「悪いね、おれも気づいたらあの森にいたから、分からないんだ」


 疑う視線を向けたセイナンだったが、追及はしてこなかった。


「それで……その記事が載った雑誌はいつ出るの?」


「もう〆切は過ぎてるから、記事を報道部に渡せば、それで入稿段階に入ると思うから……」

「〆切間近ってさっき言ってなかった?」


「本当に、一番まずいデッドラインを予測したら、そろそろかなってところを言ったの」


 〆切には数種類あると聞いたことがある。余裕を持った〆切設定が一般的らしいが、セイナンが言う今の〆切は、一番まずいやつらしい。


「ちなみに、記事はいつまでに上げた方がいいの?」


「早い方がいいだろうけど、明日中には絶対に。じゃないとあたしの首が飛ぶ」


 飛ばされていないのが不思議なくらいだ。じゃあ、そうだな……。


「細かい雑用はおれがやるよ。ここまで付き合ったんだし、最後まで手伝う」

「え、でも……そこまでさせるわけにはいかないよ」


「本音を言うと、ここから出ても、他にいくあてがないんだ。

 ただで寝床を貸してとも言えないし、だったら理由に利用できる仕事が欲しいんだよ」


「…………そういうことなら、手伝ってもらおうかな。ただ、完成するまで寝かせないからね」


 不穏な笑みを見せたセイナンの言葉を甘く見ていたおれは、これから一睡もせず、地獄を見ることになる。



 セイナンに招かれたのが、確か昼時だった気がする。きちんとした昼食を取ってはいないが、果物を齧った記憶がある。

 質問責めにされて三十分くらい。それから始まった記事の作成作業は、翌日の夕方まで続いた。もちろん、完成し、寄稿するまで冗談抜きで一睡もしていない。

 目を閉じればまぶたの裏にはびっしりと文字が浮かんでいる。……ノイローゼになりそうだ。


 作業中、報道部からの催促の電話が鳴りやまず、怒鳴られ、謝るセイナンを一体、何度近くで見たことか。おれにできることは誤字脱字の確認、文章の言い回しなどのチェックだ。

 内容に関しては、多少の脚色は許そう。間違いがあってもそれを訂正しろと言えるほどの体力も厳しさも、おれにはなかった。


 結ったポニーテールも自然と解けており、セイナンの目つきも悪い。睡魔とは、人をイライラさせるもので、セイナンからのチクチクと痛い文句を仕方なく受け止める。

 そんなおれも睡魔に襲われ、無気力状態が続き、言い返すこともできないほどに疲弊していた。


 完成した原稿を報道部へ寄稿して、意識のスイッチが切れてから、意識がなかった。


 ぐっすりと何日間も寝た感覚だ。

 硬い床が沈み込む布団のように感じる。起き上がるのに沈み込んだ分、体を持ち上げるような錯覚が起こった。

 目が覚めたのは空腹のせいだろう、お腹と背がくっつきそうなくらい、胃にはなにも入っていない。睡魔に食欲が勝つくらいには、おれの体力も戻ったのだろう。


「目が覚めたか、人間」


 セイナンが座っていた椅子には、見知らぬ誰かが座っている。


 向こう側が透けて見えるような、綺麗な銀の長髪。髪だけではない、まゆげもまつげも銀色である。年上に見える、黒の制服に身を包む女性は、白を背景に金色の模様が描かれたティーカップを持ち、優雅に中身を飲んでいる。

 所作を見るに、一つ一つの動作が文句をつけようとしてもつけられないくらいに、完璧に美しさを保っている。


「だ――」


 誰なんだ、と聞くよりも早く、両手が背中側で手錠により拘束されていたことに気づく。よく見れば、周囲には多くの人がいる。全員が揃えたように黒い制服を着ている。

 年齢は様々だが、突出して高齢がいるわけではなかった。


 持つ風格で答えを言っているようなものだが、一番偉いのは目の前に座っている、銀髪の女性だろう。彼女はおれを『人間』、と呼称した。

 なら、記事はもう出回っており、つまり発売には間に合ったらしい。


「いや、発売はまだしていない。寄稿されてきた原稿を読んで、すぐさま飛んできたのだからな。事実確認、執筆者への問答をして、多少の時間は経っているが、そうだな……。叩き起こすのも申し訳ないと思ったから、少し待った時間も含めて、今は寄稿してきた翌日になる。

 今のお前の疑問はそこだろう?」


「……それよりも、セイナンは?」


「安心したまえ、危惧しているような手荒な真似はしていないさ。逆に称賛しているくらいだよ。人間という怨恨えんこんの対象をわざわざ見つけてくれたのだからな。

 彼女は、情に流されたために少し冷静でいられない発言をしているが、時間が経てば理解するだろう。悪いことはなに一つしていないのだから、裁くのもおかしな話だろう?」


 どうやら、人間が見つかり歓迎ムード、というわけではないらしい。


 銀髪の彼女からはないが、感じられる視線には、敵意も含まれている。


「状況は、分かっているのか?」


 おれは首を左右に振る。

 察するに、人間であることが彼女たちにとっては良くないことらしい。


「良くない、というわけではないさ。お前がなにかをしたわけではない。記事の作成を手伝ってくれたそうで、原稿が落ちなかったことも感謝している。

 ……問題なのはお前が『人間』であるという一点だけだ」


「人間である、だけ?」


 ……埒が明かないな。

 腹の探り合いは得意じゃない。


 そうには見えないが? と否定した彼女の言葉は無視し、


「人間は一体、亜人になにをしたんだ」


「セイナンに説明されているはずだろう。その上でとぼけている、わけではなさそうだな。

 ……人、一人の行動が大きな波となって返ってくる、よくあることだろう? 

 一人の失敗のしわ寄せが多くの人間に付きまとう、それと同じだ。人間が亜獣と争い、勝手に負けて滅んだのは人間の自業自得だが、それにより亜獣から見て亜人の立場が悪くなった。

 友好的だった関係は壊れ、亜人はこうして壁の中で狭く生きることしかできなくなってしまった。亜獣は亜人のことも、食糧としか見なくなった。ろくに外に出ることもできやしない。

 食糧も材料も資材も、なにも得ることができなくなった。――人間のせいでな」


「…………」


 気持ちは、理解できなくもない。

 だったら、どうしてセイナンはおれを人間だと知りながらも、普通に接してくれたのだろうか。恨みを押し殺しておれを助けてくれた――、そんな風には思えなかった。

 あれはセイナンの素だった。


「世代さ。親がいれば、継承されるものの中に人間のことも含まれる。親がいない、または親がそこまで人間のことを恨んでいなければ、伝わることもないだろう。

 普通は聞かされて知るようなものだがな。まったく、純粋な子供もいたものだ」


 セイナンは人間について、なにも知らなかった。

 おれをはめようとしたわけではなかったのだ。

 そうと分かれば、セイナンへの疑心も、綺麗さっぱりと消えてなくなった。


「なら、いいんだ」


「物分かりがいいな。この状況で抵抗することの無意味さが分からないお前でもなさそうだが、だとしてもだ。お前はこの街でたった一人、敵意を向けられ続けることになるぞ」


「嫌だと駄々をこねれば見逃してくれるのか? しないだろうな。妥協点を見つけてはくれそうだが、大きな違いがあるとは思えない。

 よく分からない内にセイナンに拾われ、こうしておれはここにいるが、本来なら死んでいるはずだったんだ。もう、どうにでもなれだ。

 味方が一人もいないのなら、尚更、生きる意味なんてないだろうさ」


 そうか、と呟いた彼女が椅子から立ち上がり、周囲の仲間を引き連れて、部屋の出口へ向かう。手錠を掴まれ、おれの体もふわりと浮いた。

 足を伸ばしても地面に届かない、宙ぶらりんの状態のまま、どこかに移動するらしい。


「解剖でもするのか? その方が賢明だろうな。知識ではあんたたちに貢献できるとは思えないぞ。亜獣や亜人のことも、セイナンから聞いたくらいなんだからな」


「お前のことは利用しない。飼い慣らすだけだ。痛みも絶望も与えない。規則正しく健康的な生活を維持し、お前には長生きをしてもらう。

 いつか現れるもう一人の人間のためにも、お前は生かさなければならない」


「もう一人の、人間のために……」


「お前がいたんだ、別の人間が現れることだってあるかもしれない。失ったものを取り戻す、長期的なプロジェクト、とでも取ってもらって構わないさ。

 たとえお前たち人間が怨恨の対象であるからと言っても、暴力でお前をいたぶるようなことはしないさ。意味がない。それは恐らく、お前にとっては望むことなのだろう。

 逆に言えば、生かされることがお前にとっての罰なのかもしれないな」


 連れていかれた場所は、とある一棟のビルだ。

 一階の部屋には生活必需品が揃っており、不自由はなに一つない。ただし、自由があるとも言えず、常に監視がついている状況だ。

 おれはそこに放り込まれた。

 手錠がはずされ、両手が自由になる。とは言え、喉元に刃を向けられているような緊張感の中でなにができるわけもなく、部屋に一人取り残される状況を打破することは不可能だ。


「扉の鍵はかかっている。ノックをすれば外にいる者が対応するはずだ。欲しい物があれば言えばいい。限度はあるが、望むようにしよう。決まった時間に三食を渡す。トイレ、風呂、洋服は揃っている。夜更かしはしてもいいが、健康を損なっては困るから早めに寝るように。

 あとは……、質問があれば聞くが?」


「…………なにも」


「なら、今日のところは休め。疲れの全てが取れたわけではないのだろう? 顔を見ればすぐに分かる。――では、な。じゃあ、見張りを頼むぞ、プリムム」


 はい、と見張りなのだろう、少女の声が聞こえて扉が閉まる。


 部屋を見渡せば、柔らかいソファ、テレビ、ラジオ、棚には本が数冊、入っている。

 言えば娯楽も増やしてくれるのだろう。退屈をしない生活なのはよく分かったが、退屈しないから――だけどそれが面白いとは思えない。

 無気力は、生きる気力も失わせるのだから。


 ベッドも用意されていたが、なんとなく、おれはソファに寝転ぶ。

 言う通り、おれの疲れは完全には取れておらず、横になったら再び睡魔がおれを襲ってくる。

 目を閉じれば、吸い込まれるように意識の闇に沈み込んだ。

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