第6話 呪いの力・アナベル

「起きなさいよ」


 足蹴にするような声のトーンで起こされた。

 事実はなんのことはない、肩を揺すられただけで、彼女にとっては冤罪だ。


 胡椒こしょうの香りが食欲をそそる。

 ソファの目の前のテーブルには、多種多様な料理が並んでいた。


 中でも目立つのが炒飯……のような料理だ。

 亜人街なので材料は別なのだろうが、おれにとっては材料がなんであれ、匂いや見た目からして炒飯としか思えなかった。


 起きてすぐに口にものを運ぶタイプではないのだが、疲れを取ることを優先させてサボっていた食欲を満たす行為も、これ以上はがまんできない。

 早口でいただきますと言って、炒飯を口の中にかき込んだ。


「そんなに急いで食べなくても……、まあ、満足してくれたならいいけど……」


 炒飯だけではない夕食――気づけば窓の外は暗くなっており、時計の針を見ても、もう夜としか言いようがない時間帯だった――を次々に平らげて、久しぶりに胃を満たす。


 脱力していた体に力が戻る。意識もはっきりとしてきた。

 そこで、目の前で食事を取っていた少女の存在に気が付いた。


「おかわりはいるの?」


「いや……もう充分だよ」


 そう、と彼女はスープを飲もうとして唇をつけ、すぐに離す。


 涼しそうな顔をしているが、身を強張らせたので、スープが熱かったのだろう。

 器を一旦、テーブルに置き、別のおかずに手をつけ始めた。


 その時に目が合い、彼女は眉をひそめて、攻撃的な意思を言葉に乗せ、


「なに?」


 いや、なんでもないよ、という意味で首を左右に振る。

 ……さて、状況の整理だ。


 彼女は誰だ? アッシュブロンド色の長い髪の毛をセンタパートの形に整えており、服装はラフなワンピース姿。

 部屋着やパジャマと言われてもおかしくはない。


 外着ではないだろう。そう言えば、見張りの者が扉の外にいると言っていた気がする。もしかして彼女がそうなのだろうか。

 だとしたら扉の中に入ってしまっているのはルール違反なのではないか?


 部屋には入ってこない、とは誰も言っていないわけだが……、細かいルールがあるのかないのか、決まっていてもおれには伝えていないのか、なんにせよ、夕食を運んでもらった身の上で、あまり生意気なことも言えない。

 要望があればなんでも聞くとは言われても、おれは王様ではないのだから、待遇を盾にするのは危険だ。調子に乗れば身を滅ぼす。


「ちらちらと扉を見てるけど、逃げ出そうとか考えない方がいいわよ。

 見張りはわたし一人だけだと思わないことね」


「あ、やっぱり君が見張りなんだ」


 確信を得ることができたのは儲けものだ。

 もしも違うのならば、じゃあ誰なんだという話になってしまうのだが。見張りは彼女だけではない、まあそうだろう。

 二十四時間、不眠不休で見張りをこなせる者などいないだろう。

 たとえ亜人だろうとも、睡眠を取らずに生きていける者などいないのだ。


「逃げ出さないよ。結局、この部屋の見張りを欺いたところで、外に出れば亜人街にいる人たちの目があるし、たとえそれさえ越えられたとしても、壁の外には亜獣がいる。

 詰んでいるんだ。無駄なことはしたくない、のんびりとここにいるのが一番楽だ」


「どうだか」


 彼女はおれの言葉を信じていないようで(――当たり前か、そう言いながらおれは逃げる算段を立てているかもしれない、という推測を否定する材料は、おれにはない)、食べ終わってなにも乗っていない器をシンクへ運ぶ。

 手伝おうとしたら、いらない、と拒否されてしまった。


 洗いものをしている音が聞こえてくる。

 おれはその時間をなにもすることなく過ごし、たまに洗いものをする彼女の背中を見る。

 今なら、扉から外へ出られるかもしれない。

 考えたが、する意味はないと思い、ソファから結局、最後まで動かなかった。


「……野菜もぜんぶ食べたんだ」


 独り言かと思ったが、彼女が振り向き、おれの言葉を待っていたようだったので、


「ああ、うん。別に嫌いってわけじゃないし……、健康に良いからってよく食べさせられていたんだよ。不味いわけでもないし、普通に食べられる」


 バランスを考えれば、一品だけでも入っていなければいけない気がする。

 それに、全体の色を見ても、ないとなると気持ち悪いので、必然的にメニューには入ってしまう。ベジタリアンではないが、野菜嫌いでもない。

 好んで食べもしないが。つまり、なんとも思っていない。


「あっそ」


「えぇ……、そっちから話しかけておいて……。態度が冷たいのは、君がおれのことが嫌いだから? 人間だから……なの? なんでもいいけど、もし無理に世話をしてくれているのなら、黙っておくから献身的にならなくてもいいよ。

 夕食も君が作ってくれたんでしょ? 美味しかったけど、手間になるなら別に――」


「プリムム」


「ん?」


「君、じゃない。わたしの名前はプリムム」


 銀髪の女性も、この場から離れる時にその名を呼んでいたような気がする。

 その時から、彼女は傍にいてくれたのか。

 仕事だから彼女の意思は関係ないだろうが。だとすると、離れたくても離れられないように、世話をやめさせることもできないのかもしれない。

 無駄に希望を与えてしまったのは、悪いことをしたかな。


「嫌いじゃないわよ。わたしは人間を恨んでなんかいないわ。もちろん、あんたのことも……そうね、ロクのことも嫌ってなんかいないわ。冷たい態度は元々だから気にしないで。というか、慣れて。自分で直せていたら、苦労なんてしていないから」


 おれの名前のことは、セイナンから伝達されているから知っているのだろう。わざわざ言い直したのは、おれに名前を呼ぶように指示をしておいて自分は呼ばないのか、とプリムムの中で葛藤があったからか。

 律儀というか、対等にしたいというのか……。


 洗いものが終わったプリムムが、テーブルを挟んで、絨毯じゅうたんの上に正座をする。


 かしこまった空気が生まれ、おれも背筋を伸ばさなければならないのかと少し迷った。


「聞きたいことがあるのよ」


 迷うおれよりも早く、口火を切ったのはプリムムだ。


「【アナベル】について、知りたいの」


 それは……、セイナンから聞いていない単語だ。なので当然、プリムムの期待に応えられるような解答を返せるわけもなく、沈黙を貫くしかない。

 知らないよ、と断言しないのは、多少の迷いがあったからだ。おれが知っているはず、とプリムムが思っているその伏せカードを、おれはひっくり返すよりも持っていたままの方がいいのではないかと……。ただしそんな企みも、すぐに誤魔化しだとばれた。


「あのねえ……、知らないならそうと素直に言いなさいよ。

 知らないからってどうこうする気なんてないんだから」


 する気がないのを、おれが知るはずもないんだけどな。


 プリムムは、期待はしていなかったけど、と言うが、目に見えてがっかりしていた。今は正座していた足を崩して楽にしている。

 思えば、出会ってから一度も、彼女の表情が緩んだところを見たことがない。常に仏頂面ではないが、おれを見定めているような視線はなくならない。


 出会ってすぐならこんなものか。

 セイナンが積極的過ぎたのだ。あれを基準にしてはならないだろう。


 ……一瞬の間があった。おれの無知が原因で会話が止まってしまい、動きづらい空気が部屋を満たす。沈黙は嫌いではないが、というか好きな方だが、心を許した相手ではないと、やはりストレスを感じる。


 思いながらもなにもしないことが多いが、今回は自然とおれから話を振っていた。直前の話が気になっていたから、というのが大きな理由だ。

 名前だけ知っていても気持ちが悪い。


「で、アナベルって?」

「…………噂程度も、聞いたことがないわけ?」


「残念ながら。

 おれに聞いてきたってことは、人間が関係することなのは、なんとなく分かった」


 すると、プリムムは唐突に立ち上がり、キッチンへ向かう。

 足取りはゆっくりだ。話をする気はないと拒絶したわけではなかった。……逆だ。

 白いカップにホットミルクを用意し、ちゃっかり自分の分は少し冷ましてから再び腰を下ろして、おれを真っ直ぐに見る。


「別に、口止めされているわけでもないから、話すのは構わないわ。なんとなく、アナベルのことを聞くために監視役を志願したのに、こうして逆に教える立場になったことが損しているようで、気に食わないだけ」


 結局、原因はおれの無知にあったわけだ。

 常識とは違うのだから、これは仕方ない。


 今更だが、アナベルについて知りたいと言っているプリムムに、アナベルのことを聞くのはどうなんだ? おれよりは知っている前提があるのは分かるが、話し始めたら数秒で終わってしまうこともあり得る。それでも間が埋まるだけ、会話内容としては充分だ。


「推測だらけの噂よりも正確よ、わたしの知識は。わたしが知りたかったのは、アナベルの法則性。必然である部分がもしもあれば、聞いてみたかったのよ。

 ロクが知らない可能性だって、あるのも分かってた。だからがっかりはしたけど、どんな答えだろうとも受け入れる準備はできてたの。知らないからって、別に怒ったりしないわ」


「そこまでは思ってないよ。……さっきから怒ってないとか嫌っていないとか、直接否定するほど、そう見られていることを気にしてるの? だったらもっと笑えばいいのに」


「こうかしら?」

「怒ってるようにしか見えないんだけど……」


「全力の作り笑いよ」


 ああ、うん。していない方が怒っていないように見えるとは、なんだか不憫だった。


 自分では直せないと言っていたし、長い時間、悩んで辿り着いたのが今なのだろう。

 おれが口を挟んだところで、改善できるとは思えない。……プリムムの、不機嫌そうな表情と無表情の行ったり来たりのバリエーションは、それはそれで味があるし、彼女らしい。

 慣れてしまえば気にしない。初見の人には勘違いされやすいが、時間が経てばなるようになる。無理して変える必要があるとは思えなかった。


「アナベルの詳細を知っているのは、さっきの銀色の人……分かるでしょ? 

 亜人街で一番、偉い人なの。あの人を含めた上層部にしか知らされていない正確な情報を、わたしも握っているのよ」


「あ、じゃあプリムムも偉かったりするの?」


「全然。問題児の巣窟、報道部の末端の記者、その一ってだけ」


 なるほど、盗み聞きをしたわけか。


「わざとじゃないからね。きっかけは通りすがった時に聞いちゃっただけ。

 気になって独自で知らべて、辿り着いた答えは間違ってはいないと思うけど」


 情報を開示しないのは、もしも広まってしまえば、混乱が起こってしまうから。


 それはみんなの日常に潜む、危険と判断できる事柄なのだ。


「アナベルはね、死んだ人間の怨念が詰まった、不可思議現象を起こす道具のことよ」


 さっきの食事の際に出された器などの道具は全て、人間が作り出したものだ。亜人街を形作る外装や生活の基盤なども人間が生み出し、伝播したもの。


 亜獣、亜人、人間はかつて友好的に共存、共栄していたらしいのだ。それを一方的に破ったのが人間だった。そりゃあ、恨まれても仕方ないと思うし、滅んでも文句は言えない。


 人間が生み出したものだから、と言っても、なんでもかんでも人間がかつて使っていたものではなく、亜人にだって複製をする技術くらいはある。

 なくとも複製をする技術を見て、真似ることもできる。

 純粋な力で言えば亜獣が最高で人間が最低だが、知能で言えばまったく逆なのだ。


 亜人だって頭は良い。

 セイナンはともかく、プリムムを見ていればすぐに分かった。


「怨念が宿る道具はごく稀にしか現れない……、だからこそ呪われた道具とも言われるの。その道具はわたしたちが複製したものじゃなくて、かつて人間が使っていたもの……。愛着があったものに宿りやすい、と、わたしたちは見ているわ」


 その愛着が真っ直ぐなものなのか、歪なものなのかはさておいても。


「なるほどね……分かりやすい呪いだ……」

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