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そうして、ウィルヘルムとアーイシャ、そして便利屋の、少し不思議な生活は始まった。

少年と少女はよく働く。少年は家事が得意のようであり、少女は物覚えが良かった。

それでも、二人に出来ないものは山ほどある。それをこなすリンネの姿は、子供にとって憧れの対象になるのに充分だった。

「師匠、今日も素晴しかったです!」

「リンネ、お疲れさまでしたー」

と毎日のように騒ぎ立てても、リンネは我知らず言わんばかりの軽い返答で、動じない。理由は無感心や傲慢ではないように受け取れた。そんな便利屋を、ひとつの依頼が動じさせたようだった。

「暫く留守にする」

と、ある日、夕食を済ませた後、リンネは二人にそう告げた。きょとんとするウィルヘルムは、首を傾げて応える。

「仕事なら手伝いますよ?」

「餓鬼の仕事じゃない。遠くにお前等を連れては行けない」

「遠く? 隣の街から来てたお仕事?」

アーイシャが訊ねると、リンネはこめかみに指を当てた。勝手に見るなと呟くと、彼は少し真顔になって言葉を紡ぐ。

「最近妙な話が広まっていてな。人に害をなす幽霊が現れたらしい」

「なるほど、最近、この村でも肝試しをして負傷者が出た話をよく聞きました」

「嗚呼、だから子供二人でお留守番、だ。何かトラブルを起こされたら俺の評番が落ちる」

確かになと、ウィルヘルムは頷いた。

「気を付けてね、リンネ?」

同じく納得したアーイシャは、少し心配そうに便利屋を見つめる。大丈夫だといつもの冷静な態度で、リンネは食後の紅茶を飲み終えた。



便利屋が出掛けて、三日が経過した。

「……遅いなあ」

そうぼやいたウィルヘルムは、二人分の朝食を手際良く作っている。牛乳に浸したトーストをフライパンに入れ、じっくりと焼き色が付くまで、待つように努めた。内心は、焦りや不安に押し潰されそうになっている。脳裏に負の感情が流れてくるが、それを無視し、リンネの帰りをひたすら求めた。急かすのには理由がある。それは、

「きゃああああああっ!!」

その時、悲鳴が響いた。ウィルヘルムは我に返ると、コンロの火を消し、急いで声のした方へとかけた。細い廊下を走り、二番目の白い扉をノックして、返答を待たずに開く。こじんまりとているが、過ごすのには不便のない部屋の、窓際に設置されたベットには、上半身を起こし、青白い顔で息を荒げている少女……アーイシャがいる。彼女は白金の髪を乱し、泣きそうな赤い瞳を、こちらへと向けた。

「大丈夫、アーイシャ?」

少女を怖がらせないように、ウィルヘルムは静かに声を掛けた。アーイシャは少し顔を歪ませるが、少年の姿を確認すると、安心したように笑みを浮かべた。呼吸も落ち着いたので、ウィルヘルムはほっと息をつく。

「また、あの夢?」

「……うん」

便利屋の帰りを急かす理由は、アーイシャが見る悪夢の事だった。その夢は便利屋が留守にしている三日間、毎夜同じものを見ているらしい。それが、少女の記憶喪失に関係しているか、はたまた別の原因か、それが未知数な為、不安なのだ。

それに、

落ち着きを取り戻したアーイシャは、悲しそう表情で、

「このままじゃ、駄目なの」

と、ウィルヘルムに呟く。その顔がても不安そうで、悲しそうで、少年は何も言えずに黙り込んでしまう。

それでも、今日は訊ねてしまった。

ふたりで質素な朝食後。食後の紅茶を淹れながら、ウィルヘルムは恐る恐ると、口を開いた。

「……どんな、夢なの?」

「なんでもないの、怖いだけ、だから」

ね? と、アーイシャは、何かを隠すかのように暗く微笑えむ。その嘘つきの笑みを、ウィルヘルムはまっすぐに見つめた。

役に立ちたいのだ、この少女の。僕は彼女に、”なにも与えてやれていない”のだから。


その時だった、少年はおもむろにバッと身を強ばらせた。アーイシャが不思議そうに見つめてくるが、それどころではない様子で、ウィルヘルムは震えた手で口を覆い、目を見開らく。

「……な、なんで…?」

ウィルヘルムの視線は、アーイシャの後ろの窓を映しているようだった。アーイシャは後ろへと振り返る。窓の外の草木が生い茂った場所に、黒いワンピースを着た少女が立っているようだった。

釣り合わない在在。ふと、アーイシャはそう思うと同時に、既視感を感じた。顔は見え難いが、肌がまるで病人のように青白く、長い髪を無造作に流しているのが判断で出来る。その”つやのある灰青色の髪”が揺れる。

「姉、さん……ッ!?」

震えた声で呟いたかと思うと、ウィルヘルムは勢い良く走り出した。

「ウィル…!? 駄目だよッ……!」

アーイシャが静止の声を掛けても、少年は止まらない。焦った彼女は、彼の後を追い、家から出る。

駄目だと言うのには、根拠があった。”今までは”白黒の映像でしかなかった為、確信は持てないでいたが、今は違う。この後、この黒い女の子は、ウィルヘルムとアーイシャに牙を剥く。”そういう夢を何度も見てきた”。早足で走るウィルヘルムは、しきりに何かを呟いていた。消えそうな声で

「なんで…姉さん……」

と、怯えと、形容の出来ない感情が入れ混じった表情で、顔を引き攣らせる。

アーイシャは頭の中でぐるぐると思案し、少年を落ち着かせようと、出来るだけ穏やかに声を掛けた。

「ウィル、その人はあなたのお姉さんじゃない、幽霊なのよ、今話題になっている……ッ」

途中で少女は、びくりと肩をはね上げた。外へと出、幽霊の女の子へ近付いていたウィルヘルムが、とても悲しそうな、歪な表情で、此方へ振り返った。理解が追い着く前に、少年は弱々しく声を紡ぐ。

「僕は間違えたんだ」

「ウイル……? 何を……?」

「……アーイシャ…いや、君はアーイシャじゃない」

名前を呼ばれたと言うのに、背筋が凍る。少年は幽霊との距離を近付け、まるで取り憑かれたかのように歩み寄る。その時、灰青色の髪の少女の、口が開く。

「アーイシャは、僕の姉さんの名前なんだ」

「アーイシャは、わたしの名前よ」

二人の声が、重なった。


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「こっちよ、ウィルヘルム!」

母の叫びが響く。

家族4人で暮らしていた我が家は、炎に包まれていた。少年は呆気に取られたまま、乱暴にもみえる程の力で、腕を引かれている。その、細いが手荒れの目立つ手は、少年の母のものだ。

母は焼けた我が家から離れる為に、辺りの人混みを掻き分けて進んでいく。その辺りはパニックに陥った者や、野次馬で溢れ返っていた。

小さな村だった。畑仕事や織物で政経をたてている、平凡な。その村が、今は赤い炎が包み、人々の命を、住処を、奪おうとしている。

少年は村人達の顔を確認しながら、きょろきょろとひっきりなしに見回した。

「ねえ母さん、姉さんは?」

少年が問うと、母はびたり、と凍りついた。目を見開き、虚ろな瞳と表情で少年を見つめ、ただ黙る。それで察した少年は、母の手を振り払った。今も炎が踊る我が家へと引き返す。まだ姉は、あの家にいる。そう確信した。母の泣ぎ叫ぶかのような声が聞こえる。

知らない。姉を見捨てた母の声など、知もんか。

少年は無視をし続け、駆けた。家入行く者をさえぎる大人の制止を、

「姉がまだ中にっ!」

と叫ぶように言いなから抜け出した。姉は想定よりも早く見つける事が出来た。とても近く、燃えてしまって判らないが、玄関の傍に、姉は居た。姉はうつ伏せに倒れ、背中を太く重いであろう、木材の柱の下敷きになっていた。顔は見れないが、投げ出された手足と、広がる赤い液体で、嫌でも想像が出来てしまった。

姉が死んでいる。

母の声が聞こえる。もしかして母は、姉が既に亡くなっているのを確認して、少年だけでもと避難させたのかもしれない。少年の脳内は、様々な事で溢れかえる。母への熊度、後悔、詫び、姉の死、もう戻る事のない、幸せだった思い出も。

「姉……さん……っ。アーイシャ姉さん……!!」

そう叫ばずにはいられなかった。すると再び、腕を引かれる。細く、弱々しい母の手。振り返ると、泣き腫らした母の表情と、駆け寄って来ている人々の、必死の形相が目に留まった。

少年が思考する前に、大きな音が鳴る。脆くなった家が、ガラガラと崩れていく。少年はぽかんとしたまま、動けていなかった。少年が先程まで居た場所に、燃えた木材が落ちたのだ。そして、少年を庇った母が、燃えていた。


……。


アーイシャ…記憶喪失の少女は、咄嗟に駆け出していた。その勢いのまま、ウィルヘルムを押し倒す。その少年の元いた場所に、幽霊の白く細い腕がなぎ払われ、風が舞った。信じられない程の強風が吹く中、少女はウィルヘルムの手を引き、藪の方へ、足をもつらせながら駆け出した。

駆け出したが、少年は元気の無い瞳で、少女を見つめている。

「なん、で……?」

「逃げるためッ! ……ウィル、アイ……っ、あたしはね」

「違うんだ、僕は君に」


「わたしの名前、返して……」


少女と少年の後ろから、黒い女の子が追いかけて来ていた。足のつま先から身体が透けている為、走ると言うよりは滑って追いかけてくる姿は、よく絵本で紹介されている幽霊そのものだった。その幽霊の表情が、今は見てとれる。濃い青色の瞳は、大きく見開かれ、恨みや憎しみによって、どんよりと 曇っていた。泣きこそはしていないものの、その瞳は今にも涙を零しかねない。それ程までに、その幽霊の感情が読み取れる。


名前。

アーイシャという名前は、少年……ウィルヘルム・ウィズィオーンの実姉の名前だった。


それを理解するのに、時間はかからなかった。幽霊の女の子は、咽び泣くような声で叫ぶ。

返して、返してと。

どうして彼女はこうなったのか、何故、今少年達を追うのか。少年の手を引く少女には検討もつかなかった。しかし、考えるよりも、身体や、感情が先に動いていた。

少女は掛けていた脚を制止させる。ウィルヘルムが躓きながら、驚いたように少女を見る。少女は近づいてくる女の子と向き合い、言葉を紡いだ。

「……奪ってごめん、あなたの名前」

ウィルヘルムがはっとした。声を上げようとするが、出来なかった。同じく、幽霊は停止し、押し黙る。そんな中、白金の長髪を揺らす、美しい少女は、曇りもない笑顔で、


「返すね」


そう言って、手を広げた。


その時だった。

何かが勢い良く”落ちてきた”。その何かは、すばやい動きで幽霊を斜めに斬り裂いた。かちん、と子気味良い音をたてて、その刀がおさまる。

白い仕事着を羽織った人影、便利屋が、刀の柄に触れ、警戒態勢のまま、少年少女を冷静な表情で一瞥する。

幽霊が、ギャッと短い悲願をあげ、その場に崩れ落ちた。

ウィルヘルムは、倒れた幽霊の元へ駆け寄った。少女も彼に倣う。

「姉さんッ!」

仰向けに倒れた幽霊は、両の腕を空に伸ばし、口を開閉させていた。何かを求めるように、未練があるように。

憐れな姿になった姉を見て、ウィルヘルムは涙を零している。静かに、感情を抑えるように。

「姉さん、ごんなさい。僕は、僕の……ッ」

僕の所為で。

そう言おうとした少年の声を、白い少女の声が遮った。

「ねえ、ウィルのお姉さん」

落ち着いたトーンの声で、少女は幽霊に言い聞かせた。その強く赤い瞳には、全くの曇りがない。

「”アーイシャ”は、あたしがもらうよ、とても素敵な名前だもの。だからね、お姉さん。あなたの分も、あたしは沢山生きるよ」

頑張り屋な弟さんも、あなたの代わりに助けて、幸せを絶対あげるから。

そう言った少女は、アーイシャは勝気に微笑んだ。形を崩したウィルヘルムの姉は、暫くした後、自然に還るように、溶けてなくなっていった。

最期に満面の、笑みを残して。


便利屋によれば、未練を持ったまま亡くなった人間の幽霊が、世界中に蔓延っているらしい。依頼を終え、帰還中に調べものをした為、帰りが遅くなったようだ。

「これからまた出掛ける」

帰るや否や、身支度をしているリンネは、動きを止めないまま、ウィルヘルムとアーイシャに伝えた。暫くはこの幽霊に関する仕事が増えるようだ。

「次の依頼は」

「僕もお共します、師匠!」

「アーイシャもッ!」

尽かさず手を挙げる少年少女に、渋い表情で溜息を吐く。

「餓鬼には荷が重い」

「大丈夫ですっ、同じ思いをしている人がいるなら、僕は助けたいです! あ、勿論アーイシャは、僕が守ります!」

「あたしも! でも、ウィルを守るのはアーイシャだよー」

静かに睨み合いをしていたが、ふたりは小さく笑いあった。更にため息を吐き、リンネは刀を肩に担ぐと、入口の扉に手をかいてる。

それを見ているふたりに振り返り、リンネはそっけなく言う。

「十分で支度しろ」

「「今からっ!?」」

「そう言っただろうが。……行くんだろ?」

「「はいっ!!」」

明るい少年少女の声が鳴る。目的の違う三人の姿は、それぞれの意志を秘め、暗い夕焼けに馴染んでいった。



ー終

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