小さな魔法使いたちの物語
汐留 縁
第1話 9歳
「もう、いつまでそこにいるのよ!さっさと上がってきなさいよ」
「だ、だってぇ...」
グスンと男の子が泣けば、それを見下ろしていた女の子の方は呆れ気味にため息をついた。
「もう、男でしょう。全く」
と言ってフンと鼻息をこぼせば、少女は登ってきた木の幹に腰かけて、そこから垂れ下がった両足をプラプラと揺らした。
「あ、危ないよぅ」
と言う下からの情けない声を無視して、そこから見える景色に目をやる。
見渡せば生い茂る木々と、ここから見える湖はキラキラと輝いていた。
少女は、黄緑の目を輝かせた。
気持ちのいい風を感じながら、黄緑からピンクへと変わる、緩やかに波打つクセのある長い髪を靡かせる。
「ねぇ、リズぅ」
「もう、何よノア」
少女とそっくりな容姿をした少年は、サラサラな黄緑髪を揺らし、同じ黄緑の瞳を潤ませて少女を見つめる。
2人は双子の兄弟で、親は公爵の爵位を持ち、ここは屋敷の敷地内にある庭だ。
今、木の上で意気揚々と足を揺らしているのが姉のリズ。木の下で迷子の子供のように泣きべそをかいてオロオロとしている方が弟のノアだ。
そして、そんなノアの様子を見て、リズは片眉を顰める。
「もう!いつまでもうじうじしてないで早く登ってきなさいよ!ほら、そこの枝に足をひっかけて」
そう言って、少年を無理やり急かすように、少年の足元の、少し飛び出た木の枝を指さす。
「えぇ...」とごねるノアにリズは指示を出して、無理やり木登りをさせた。
「次は反対の足を引っ掛けて、ってそっちじゃない」
結局ワタワタともたついたノアは、真ん中くらいで木の幹にしがみついたまま動けなくなってしまった。
「もう、何してるのよ」
半べそ状態のノアが「うぅ」と小さく呻く。
リズはため息をついて、流石に可哀想になって助けてあげるかと仕方なしに木を降りようと身を乗り出した時だった。
枝の上に立ち上がろうとした時、「ねぇ」と声が掛けられた。
ドキリとさせて周りをキョロキョロ見渡せば、キラキラと輝く金色髪の少年が、見下ろした先にいた。
え?と驚いたリズとノアは気づいた時にはもう遅く、ノアの方はそのままズルリと落ちて「うわ!」と叫んで尻もちをつき、リズの方は誤ってそのまま足を滑らせて、木から落ちてしまった。
リズの方は叫ぶ暇もなくギュッと目をつぶって身構える。
けれど衝撃は訪れずに、ふわりと何かに包まれた。
恐る恐ると目を開けば、先程の金髪の少年が青眼の瞳を心配気にしてこちらを見下ろしていた。
呆然として少年を見つめていれば、作り物のように綺麗な少年は口を開いた。
「大丈夫かい?」
金髪の少年の言葉にハッと意識を戻せば、慌てて少年の腕から無理やり離れて地面に降りる。そして地面に転がるノアの手を引っ掴んで走り出した。
そのまま屋敷に飛び込み、そのうちの一室に駆け込んだ。
はぁはぁと2人して息を荒くする。
「うぅ、なんなの...?」
地べたでうずくまるノアがリズに向けて聞いた。
けれども、リズはノアの言葉を無視してそのまま地べたに座って呼吸を整えた。
とはいえ正直、逃げ出してしまったのは衝動的だった。何だか自分でも分からないが、気づけば走り出していて、そして駆け込むように自分の部屋に戻っていた。
これはきっと野生の勘ね。
何か危険を察知して逃げ出したのだと自分の中で納得した。とはいえ、助けて貰ったのにお礼も言わずに飛び出して来てしまったのは悪かったなと少し反省もしていた。
何か一言、謝った方が良かったかも。
まぁ、あんな場面を見られてしまったのだから、もう彼とは会えないけどね
リズは地面から立ち上がって、ふんだんにレースがあしらわれたドレスをパンパンと叩いて整える。
そうして、未だ地面にうずくまるノアの姿を見て、呆れ気味に眉を顰めれば腰に手を当てて口を開いた。
「いつまで地面に寝転がってるつもり?早く起きなさいよ」
ノアは渋々起き上がって、不満げに唇を尖らせた。
そうしてボソボソと「誰のせいだよ」と呟けば、リズに「なんか言った?」と睨まれてグッと口を噤んだ。
そのすぐ後に部屋にノックの音が響く。
ガチャりと扉が開けば、仕着せを着たメイドが1人入ってきた。
女性はこちらを見ると驚いたように目を見開く。
「お二人ともこちらにいらっしゃったんですね。探したんですよ」
彼女は2人の側付きのメイドのアンリだ。
ずっと幼い頃から面倒を見てもらっていて、2人にとっては姉のような存在だった。
そんな彼女は双子の格好を上から下へと眺めて、眉を顰める。
「お二人とも、姿が見えないかと思えば、外で遊んでましたね」
リズは内心でうげっと思い、さっき身だしなみを整えたのに何でバレたんだろうと思いたがら隣に目をやれば、ボロボロのノアの姿が目に入った。
ノアのせいね、と先程簡単に直しただけの自分の格好も髪型も、ノアに負けないくらいボロボロなのには気付かずに睨みつける。
リズはあんな簡単な整え方で身だしなみが整ったと思うくらいに、まだまだ考えは子供だった。
とはいえ、逃げ出していたことがアンリにバレてしまった。
「もう、今日は奥様のご友人の方がお越しになるので、部屋で大人しくお待ちいただくように言い渡しましたでしょう」
そう、今日はお母様の友人の夫人がいらっしゃるからと部屋で待つように言いつけられていたのだ。
何でもその夫人にはリズたちと歳の近い子供がいるらしく、ぜひ紹介したいということで数日前からそう言われていたのだが、話を聞いて早々にめんどくさいと思ったリズはごねるノアを無理やり引っ張って外に逃げ出したのだ。
「ごめんなさい」
とリズは素直に謝る。
バレた時点でもう逃げ道はないと、そこは潔かった。
それに外に出てたくらいなら多少のお咎めですむ話だ。と、既にこんなことに慣れているリズは屁でもなかった。
それよりもバレてはいけないのは先程の事態の方だ。木に登って挙句落ちたことは、絶対に言ってはいけない事だった。
バレたら叱られる所ではない。
そうしてその後、アンリからお小言を言われ、アンリから母へと話が伝わり、母からは「2人が無事でよかった」と言われて、2人して勢いよく母親の胸に飛び込めば、アンリはそれに溜息をつくのだった。
夜になって大きなベッドで2人寄り添って横になる。
「ねぇ、リズ」
「何?」
「昼間いた、男の子覚えてる?」
そう言われてあまり思い出したくない昼間のことを思い出す。
昼間、昼間と思い出しながら、ハタっと金髪の少年を思い出す。
「覚えてるわよ」
「思ったんだけど、彼が今日ぼくたちに合わせようとした夫人の息子なんじゃないかな?」
「うっそ!」
リズはそう言って驚きの表情をうかべる。
確かに見慣れない男の子だとは思ったけど。
「でも、何だって客人が1人で屋敷の中ウロウロしてるのよ」
「それは分からないけど...でも、あんな子、うちの屋敷にいたら覚えてないはずないだろう?」
確かにとリズも納得した。
あんなにお人形さんみたいに綺麗な男の子、使用人だとしても必ず気づくし、身だしなみだってちゃんとしていた。
そうして改めて昼間の事を考えれば、リズは顔を青くする。
だとすれば大問題だ。
「ど、ど、どうしよう。あの男の子に木登りしてるところ見られちゃった」
外で遊ぶ時は、危険な遊びはしないようにきつく言いつけられている。
それを守ることを条件に、自由に外で遊べているのだから、もし、危ないことをしているのがバレればきっと外で遊ぶことを禁止されてしまう。
「もしも、今日の事を、あの男の子が誰かに伝えたら、もう外で遊べないのかな?」
ノアの言葉にうーんとリズは悩んだ。
もしも報告されても、知らんぷりし続ければバレないだろうか?あー、ダメだノアは嘘が付けない。
うーん、うーんと悩んだが結局いい案は思い浮かばなかった。
「とにかく、もうあの子には会わないようにしよう」
「会わないって?」
「隠れるの」
ノアが不思議そうな顔をする。
「どこに?」
「何処でも、見つからない場所。あの子がもし、また来るようなら隠れるの」
リズが考えた案はとにかく逃げるということだった。
それが根本的な解決になってはいないのだが、リズはそうすることに決めていた。ノアの方はうーんと微妙な顔していたが、異を唱えるようなことは口にしなかった。
そうして、満足したリズは大きく欠伸をして、2人寄り添ってゆっくりと眠りに落ちていった。
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