傭兵少女と壊れた世界
畑中みね
第1話:壊れた世界にこんにちは
荒野を巨大な船が歩いていた。六本の足をまるで生き物のように動かし、真っ白な煙を吐きながら進んでいる。背中にはたくさんの住居がところ狭しと建てられており、この巨大船が“街”として機能していることが分かる。
そんな、生きた街の端っこ。
がたん、がたんと大きな揺れを感じながら、少女は地平線に浮かぶ景色をぼんやりと眺めた。彼女が座っているのは壊れた鉄塔のような足場だ。住民は誰も寄りつかないため、“くず鉄の塔”と呼んで秘密基地にしていた。
高台となった足場からは地平線の彼方までよく見える。夕日に浮かぶ黒い影。あれはきっと廃墟だろう。ということは、廃墟に刺さっている巨大な影は結晶に違いない。
夕日から視線を落とせば、地面に転がる大量の兵器が視界に映った。戦争が終わって使われなくなり、使い方すらも忘れられた兵器たちだ。
(……一個ぐらい貰っても怒られないかな?)
そう思わなくもないが船からは降りられない。名残惜しい気持ちのまま、兵器の残骸はどんどん離れていく。
人の文明が衰退した。原因は色々と挙げられるが、最も直接的なものは「結晶」だといわれている。廃墟から伸びる馬鹿みたいに巨大な結晶もその一つだ。
永久凍土から生まれたとか、空から降ってきたとか、頭の良い人間があれだこれだと騒いでいたが、少女にとってはどうでもいい。人も、街も、森や動物も、結晶の海に沈んでしまった。
「……きれい」
夕日が結晶に反射してきらきらと輝いている。世界が壊れた代償に、神様は退廃的で美しい景色を残してくれた。彼女の足元に転がる鉄くずとは違う自然の輝きだ。一度でいいから巨大な結晶をもっと間近で見られないだろうか。
結晶の柱へ手を伸ばすと、まるで拒むように冷たい風が駆け抜けた。肩ほどまでの金髪がふわりと浮き上がる。それを抑えようとする右手は白くて細い。この街に住む人間はみんな真っ白だ。
「さむ……少し冷えてきたな」
肌寒さを感じた少女は、膝を抱えて猫のように丸まった。彼女の服装はタンクトップに薄手のパーカーを羽織っているだけ。動きやすさは申し分ないが防寒性能は物足りない。
もっと厚着をすれば良かったが、保温性の高い衣服は高級品だ。そう簡単に持ち出すわけにはいかないし、許されない。服に限った話ではない。住居も、食事も、快適とは程遠い生活をしている。
「おーい」
ぼんやりと沈みゆく夕日を眺めていると、塔の下から可愛らしい声が聞こえた。薄茶色の髪をした少女が手を振っている。
「ナターシャ、まーたここにいたんだ。そろそろ帰らないと門が閉まっちゃうよ」
「もうそんな時間? 早いなぁ、まだ眺めていたいんだけど……」
「馬鹿なことを言わないの。夜風にあたって結晶
「分かっているよ、アリア。ちょっとわがままを言ってみただけ」
長く夜風にあたるのは危険だ。風に乗って結晶が飛んでくる。有機物も無機物も、全て平等に奪い去ってしまう結晶の風だ。夜になる前に街へ帰らなければ、次の日には結晶になって朝日を迎えるだろう。門の外にも簡易的な避難場所が存在するが、誰も掃除をしないためひどい有り様である。あえて使おうとは思わない。
とにかく門限に遅れると大変だ。ナターシャはくず鉄の塔を後にした。
「次の街まではどれくらい?」
「んー、最低でも七日ってところかな。もうすぐ月明かりの森とぶつかるから、迂回して街を目指すって感じ」
「早く着くといいね。物資が限界だから買い揃えないといけないの」
「ふ~ん、物資ねぇ……ナターシャの場合は食べ物よりも弾薬が欲しいんじゃない?」
「何の話かさっぱりだわ」
門を抜けた二人は居住区に入った。通路の頭上にはパイプが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、道の両側を水が流れている。人々の命を支える大切な水だ。一番下まで落ちた後、また上まで戻って、そうしてぐるぐると回る循環水。鉄の錆びた匂いはとっくに慣れてしまった。
「ナターシャはいつもくず鉄の塔に登るよね」
「あそこは私の秘密基地だから。それに、塔からの景色は凄いのよ。アリアはずっと閉鎖的な空間に居てしんどくないの?」
「私は生まれた時からここで暮らしているからね。閉鎖的だっていうけど私は好きだよ?」
ナターシャは肩をすくめた。友人の好みを否定したくはないが、ナターシャはとても好きになれない。パイプから落ちる水滴の冷たさに飛び起きることもあるし、食べ物どころか衣服まで鼠に食い荒らされたこともある。人がまともに暮らすにはあまりにも薄暗い。
「ナターシャが言うみたいに景色が綺麗だし、入り組んだ居住区はかくれんぼに最適だもん。それに、こんな大きな船が
にんまりと笑うアリア。そう、彼女たちが乗っているのは船だ。船なのに歩くのだ。鉄の塊に足が生えたような外観をしており、一部からは虫船という不名誉な呼び方をされている。
「うーん……おんぼろじゃん」
「ナターシャ!?」
おろおろと崩れ落ちる友人。ナターシャは呆れたような顔をして背後を振り返った。日没と共に門がしまりかけている。くず鉄の塔はここから見えない。
「おんぼろじゃないもん……親方たちが聞いたら泣いちゃうよ」
「いい年をした男の泣き姿なんて見たくないわ。おんぼろじゃないって言うならさぁ――」
ナターシャは手頃な石を掴むと、パイプの壁に放り投げた。ボワーン、と必要以上に大きな音がなり、ビックリした鼠やら小さな虫が一斉に逃げ出した。
「せめて鼠が出ないようにしてくれない?」
「それは無理なご相談」
「……おんぼろめ」
門が閉まると同時に居住区の街灯がぽつぽつと明かりをともし、ドーム状の天井がゆっくりと閉じていく。ガタン、ガタンと揺れていた船も動きを止め、街全体が静けさに包まれた。
ここから先は夜の時間だ。パイプに埋もれた街灯が暖色の光を発した。水滴が床に落ちる音、循環水の流れる音、カサカサとよく分からない生き物が動く音。錆びた居住区を二人は歩く。
「この船もいつかは止まるのかな」
「むしろ、いつ止まってもおかしくないわ。船が軋むたびに『今度こそ終わりかな』って思うもの」
「頑張って耐えている姿も可愛いでしょ?」
「大事なのは可愛さよりも信頼性なのよ。命を預けているんだからもうちょっと頑丈にしてほしいわ」
「もちろん頑丈な方がいいけどさ、欲張れるほど世界は甘くないんだ」
それもそうだ、とナターシャは頷いた。この船に限らず、どこにいっても同じような生活だろう。大昔の人々は貧富の差をなくそうとしたらしいが、どうしてそんな活動をしたのだろうか。きっと豊かな生活をしていたに違いない。
「さぁ、我らが
「野菜を少しとカチカチのパン、運が良ければスープ付きってところかかしら」
「どうせならもっと夢のある予想をしてよ」
「意味のない夢は落胆するだけなの。ほら、行こう」
頬を膨らました友人を連れて、ナターシャは寄宿舎の玄関をくぐった。ここはナターシャやアリアのような身よりのない子供が集う場所。
彼女たちの家である。
○
晩御飯にスープは付かなかった。今日は運が悪い日だ。
「……こんなことなら自分で料理すれば良かった」
「こらっ、聞こえるよ。食料が少ないからナターシャも寄宿舎で食べているんでしょ?」
「だってさ、ただでさえパンが固いのに、ふやかすためのスープすらないのよ? 私の大切な歯が欠けちゃうわ」
「ナターシャの歯なら大丈夫だよ。あなたに似て頑丈だから」
「褒め言葉として受け取っておくね」
野菜をぶすぶすとフォークで刺しながら、ナターシャは唇を尖らせた。食材さえあれば自分で作るのに、それが叶わないのだ。次の都市に着くまでこの食事が続くと考えると頭を抱えたくなった。
「傭兵になれたら美味しいものをたくさん食べられるのに」
「まーた傭兵の話? でもたしかに、傭兵になって世界を巡ったり、まだ見ぬ遺物を探したりするのも楽しそうだね」
傭兵という言葉に反応する者がいた。
「傭兵は駄目だ!」
「きゃっ! びっくりした。驚かさないでよディエゴ」
二人の会話に割って入ったのは同い年の少年だ。アリアと同じ薄茶色の髪を短く切り揃え、鋭い目付きでナターシャを睨んだ。しかも、なぜか当然のように隣へ座った。
「傭兵は、駄目だ」
「二回も言わなくたって分かるわ。ディエゴには関係ないでしょ」
「関係ある! お前みたいな細い体で傭兵になれるわけがないだろ!」
「やってみないと分からないわ。私、否定されると燃える性格なの。知ってた?」
「駄目なもんは駄目!」
「二人とも静かにしなよ。あとディエゴは必死すぎ」
「うるさいぞアリア! そのニヤニヤした顔を引っ込めろ!」
隣で大声を出されるとうるさくて困るのだが、きっと言っても無駄なのだ。ディエゴは昔からこの調子である。声がでかいし、態度もでかい。なのに身長は低いし度量も狭い。残念な男である。
「そもそも、傭兵といえばシザーランドだろ。ここからどれだけ離れていると思っているんだ」
「熱意さえあれば距離なんて些細なものなの。昔の人は歩いて世界を回ったって聞くでしょ?」
「おいアリア、この馬鹿をどうにかしろ」
「ナターシャが馬鹿ならディエゴは大馬鹿だね」
「やかましいわ」
傭兵の国シザーランド。船の巡回航路にはない、未知の国だ。ずっと南の方にあると聞いたことがあるが、どんな国なのだろうか。晩ご飯に温かいスープが出たら良いな。夜に空が見えたら最高だ。
「とにかく、だ。傭兵になるなんて絶対に駄目。もしもシザーランドに行くってんなら――」
「行くってんなら?」
ビシッ、と指をさされた。
「俺に言ってからにしろ」
「何であなたに言うの?」
「は?」
さて、頭も悪ければ度量も狭いこの男。そんなことも分からないのか、と呆れた顔をしたかと思えば、こんなことを言いだした。
「俺も一緒に行くからに決まってんだろ」
ディエゴの勝手な主張をナターシャは耳を塞いで聞き流した。
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