離(はなれる)_4
――明け方。ハイペリオン城内は騒然としていた。城主たる総裁が行方不明となっただけならばまだしも、異世界からの転移者である伊佐凪竜一も一緒に姿をくらましてしまったからだ。
2人の消失は既に城内どころか都市全体にまで噂として波及してたのだが、噂は尾ひれがつき真実を簡単に歪める。誘拐されたなどというレベルならばまだ可愛い方で、既に亡き者にされた、人類側のスパイだった等々、その内容はドンドンとエスカレートを始め、収拾がつかない方向に歪曲しつつあるものだから姉妹達の焦りは尋常ではない。
話がそこまで拗れてしまうのには幾つかの理由があった。エルフ自体が外界から拒絶されたこの島から積極的に出ようとしない消極的な性質である為に異物に対し拒否感を持っている事、そして伊佐凪竜一の髪の色だ。黒い髪は不吉の象徴というのは迷信であると誰もが知りながらも、しかし伊佐凪竜一が転移してきた日に巨人1体と巨大な鳥型の幻獣がこの島の土を踏んだ事実に恐れをなし、やがて彼を忌避する様になった。
それでも彼に何らの悪意も向けられなかったのは4姉妹の中でも一番面倒を見ていたシトリンと、それ以上にアイオライトの働きかけによるところが大きかったのだが……この誘拐騒動でその全てが水泡に帰した。
『クソが。騙して連れ出したのはアメジストの方だってのに!!』
故に長姉シトリンが怒るのも無理はない。彼女は吐き捨てるように真相を暴露すれば……
『落ち着けよ。それバラしちまうと総裁のイメージガタ落ちだ。』
比較的冷静な次女ルチルは珍しく怒りに我を忘れる長姉をなだめ落ち着かせる。
『いずれ都市全域に噂は広まるでしょうから、ソレまでに見つけ出して噂を払拭しないといけませんね。それにしても、一体何を目的に郊外に出たのかしら?あの森に大した物は無いですから、多分また考えなしに行動したんでしょうかね?』
最後に控える4女ローズは何方かと言えば伊佐凪竜一をそそのかして郊外へと消えたアメジストに呆れている。
『多分2人になりたかったんだろうな。ってんなら相応の準備はしていただろう。』
『それに、仮に何かトラブル起きてもナギなら大丈夫だろ?アイツ結構サバイバル関係の知識豊富だし、ソレに結構身体も鍛えてたぜ?なんでも子供の頃かららしいぞ。』
『そうですね。それに、まぁ郊外といっても未整備なだけで危険はほぼありませんからね。』
『但し……』
が、一方で誰もが2人が死んだとは微塵も考えていないようだ。シトリンもルチルも姿をくらました2人を相応に信用しており、またローズが口に出した通り基本的にこの島に危険らしい危険はない。が……
シトリンが何かを口に出そうとした直後、ギィと大会議室の大きな扉が開くと足早に1人の男が入って来た。アイオライト。神都ハイペリオンの総裁を守る最高戦力"四凶"の1人であり、約300年前に起きた人類との戦いに参加した英雄。そんな彼の今の主たる役目は伊佐凪竜一の飲み友達として、また良き親友として彼のここでの生活を補佐するという派手な経歴の割には地味な仕事。そんな男は入室と同時に3人を視界に入れながら"予想以上だ"と、そう一言漏らした。
『そうか。』
その言葉を聞いたシトリンの表情が強張った。
『で、具体的な数は?』
『分からん。ただ相当数が一直線にココを目指している。あり得ない話だ。ローズ、結界は?』
『勿論、完璧に機能しています。強風と結界で島を目視することは不可能です。』
『なら間違いなく"意図的"にだな。問題は誰がって話だ。
『ルチルよォ、ソレは無いぜ。俺がどれだけ苦労して仲を取り持ったと思ってるんだ。皆、過去は忘れている。』
『なら……』
会話はそこでピタリと止まった。何かがこの島を目指していて、ソレは何者かが手引きしている可能性がある。そして、この場の誰もがその答えを知っている。
室内に響くのは外から微かに聞こえる雨音だけとなった。誰も何も語らない無言の間。重苦しい空気が流れ始めれば、シトリンは天井のステンドグラスを眺め、ルチルは床に敷かれた真っ赤な絨毯に目を落とし、アイオライトは窓の外から白み始めた夜空を見つめる。
『1つ気になったんですけど。』
唐突だった。会議室に木霊したその声に3人の視線が1つ処に集まる。ローズだ。彼女は他とは違い、シトリンをジッと見つめ……いやその首に付けられたアクセサリを睨みつけながら一言呟いた、"ソレ、何?"と。
直後、ソレまで重苦しかった空気が一気に緩んだ。今それを話す必要が何処にある?そんな空気がそれまで重苦しかった空気を撹拌した。
『あぁ?お前、なんでそんなモン気にしてるんだよ?別になんだっていいだろ?そもそも、今はそれどころじゃないって。』
『彼からですか?』
シトリンはローズを窘めるが、しかしローズは構わず追及する。彼女は全く引かない、引くつもりがない。ルチルとアイオライトはこんな時にと大いに呆れる中、今度は別の意味で重苦しい空気が大会議室を支配した。ローズはシトリンが首からつける何かに激しく執着し始めた。言葉を発しない代わりにただジッと睨みつけるその態度はそれまでとは違い、明らかに子供っぽく見える。
『あぁ、そうだよ。プレゼントだとさ。気を効かせてくれたのは有難いが、地球ってこんなモン女に渡すのか?まぁ、悪い気はしないから黙って受け取った。』
『ソレはッ!!』
首に付けたソレを指でなぞりながら、シトリンは諦めた様な口調でローズに説明した。が、ローズはその説明以上に伊佐凪竜一からの贈り物をまるでとても大切な物の様に扱うシトリンの仕草が気に入らず、故に激しく食って掛かった。
『オイオイ。今はそんな場合じゃァないだろ?』
『そうだぞ。ちょっと落ち着け、今俺達が争ってどうする?ソレに……ソレ、アレ?ソレ……もしかして首輪?』
荒れるローズにソレを制止するルチルとアイオライト。だが彼はシトリンが首に付けている物が首輪だと知ると酷く動揺し始めた。
『いや、お前……え?そういう関係?嘘だろ?』
焦るアイオライトは少し前に自分が言った台詞を完全に忘却する程度に落ち着きを無くしている。だがソレは無理もない話で、エルフ含む独立種界隈や人類間において、特に異性に対し首輪を贈るというのは既に廃れた風習だった。が、問題はソコではなく"何故廃れたか"という点。ソレは既に廃絶された忌まわしい奴隷文化を想起させる為、人が人を支配するという文化の放棄という意味があった。
そんな状況において相手に首輪を渡すというのは2つの意味がある。"お前は私/俺の所有物だ"という直球ストレートな意味と、単純に侮蔑する相手への贈り物……つまり"お前が嫌いだ"、あるいは"お前と関わりたくない"と、遠回しに伝える意味。
当然、伊佐凪竜一が回りくどい後者の意味を知る筈も無く、となれば前者の意味で贈り物をしたという事になり、更に更にシトリンがそんな意味を持つ首輪を臆面も無く付けたという事は"彼に支配されることを良しとする=私は伊佐凪竜一のモノ"であることを承認した事になってしまうのだからさぁ大変。
『意味、分かってるの?』
ローズは異性から贈られた首輪を望んでつける長姉に対し、その意味の重大性を尋ねた。伊佐凪竜一はともかくシトリンがソレを知らないという事はあり得ず、如何に妹の恩人だからといっても限度がある。首輪を贈る意味を知らないとはいえ、そこまでするのはやり過ぎであり、ソレはつまりシトリンの伊佐凪竜一への好意は相当なものであるという証拠でもある……彼は何処で好感度を稼いだんでしょうね。
『オイオイ、せめて私みたいに腕輪代わりにしとけよォ。』
ルチルは長姉のぶっ飛んだ行動に驚きつつ左腕をヒラヒラと動かすと、ソコには長姉と同じ首輪があった。ソレは、一見すればブレスレットの様にも見えるので、確かに長姉よりは幾分かマシに見えるのだが……
『アナタまでッ!?しかも左手って!!』
ローズは猛犬の如くルチルに食らいついた。エルフにおいて贈り物のアクセサリを身体の左右どちらに付けるか、というのには大きな意味を持つ。その文化もまた廃れており、大半は何方に付けようが気にも留めないのだが、ローズはルチルの行為に目ざとく気づいた。指輪、イヤリング、ブレスレットなど左右のどちらかに付ける事が出来る贈り物を贈られた場合、ソレを着用者が右側に付けていた場合は友好の証、左側に付けていた場合は愛情の証となる。
因みにネックレスの場合は地球の文化における婚約指輪に相当し、ソレを贈るというのは婚姻関係を結ぶ相手か、さもなくば親子などの血縁や絶対的な信頼関係を築いた上司部下といった余程に親しい仲でしかありえない。奴隷文化という悪しき風習に汚されてしまったが、本来相手の首に付ける物を贈るというのは、ネックレスを自分の首に見立てる事で相手に自分の首と命を捧げる=人生を捧げるという重大な意味があるのだ。
『別に、ただ利き腕じゃない方ってだけで、深い意味はねぇよ。』
ルチル実にぶっきらぼうに、怒るローズに臆することなく返答した。
『オレもただ無下に出来ないって、ソレだけだよ。世界に1人だけ、孤独になっちまったアイツが勘違いとはいえ好意で贈ってくれたんだ。否定できんだろ?時が来れば本人にそれとなく教えるつもりだったさ。』
一方のシトリンもやはり臆することなく、淀みなく答えた。それは本心だろうし、姉妹ならば余計に理解できただろう。但し、理解できるのと納得できるのは似て非なる。
『で、その後良い雰囲気になったら"私をあなたのモノにして下さい"って言うつもりだったのか?』
アイオライトはシトリンを茶化し……
『酷い!!そんな愚劣なッ。彼には罵って、蔑んで、力づくで付けるのが似合っているのにッ!!』
ローズは心中に隠していた本心をぶちまけた。
『『『うわぁ……』』』
そりゃあそうなるでしょうね。シトリン、ルチル、アイオライトの3人は仲良くローズの本音にドン引きしつつも、同時に"やっぱ伊佐凪竜一に変な入れ知恵したのコイツか"と、妙に納得した。事実、ローズは伊佐凪竜一の周辺にいる人物に躊躇いなく支配の魔導を使い、自分に首輪をプレゼントするよう誘導した。理由は勿論、伊佐凪竜一に支配されたいから。それはシトリンがほんのりと思っている感情とは段違いに強く、それ以上に歪んでいる。
そうこうしている内に窓の外に広がる黒い闇はドンドンと白み、やがて夜が明けた。4人がどうでも良い会話に花を咲かせる間にも、"何か"は着々とこの島を目指しているのだが……君達はそれでいいのか?という位に4人は4人共に恋愛談義に夢中になり、行方不明になった伊佐凪竜一とアメジストに至れば完全に忘れ去られている。
ああ無常。
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