離(はなれる)_2

 ――朝。豪奢なカーテンの隙間から聞こえるのは何時もの小鳥の囀りではなくザァザァと降りしきる雨の音。ここ最近はずっとこの調子だ。神樹が展開する超広大な結界に守られるこの都市は基本的に穏やかな気候だと思っていたのだが、例外的にこの時期だけは天候が不安定になるらしい。降りしきる雨と雨音、灰色に染まった空は日本の梅雨の如くであり、生まれ故郷の中でもとびっきり不快な季節を思い出す。


 とはいえここは異世界。日本とは違い不快すぎる程に高温多湿でもないし、なんなら部屋を冷却する道具まである。最初に見た時は驚いた。何せ一見すれば何も変わったところのないごく普通の花瓶にしか見えないのだから。だけど、機能を知れば見た目こそ違えども家電量販店でよくお目にかかった除湿機そのものだと納得する機能を持っていた。


 細長い花瓶の中にはよく分からないが内部を冷やす魔導の紋様が刻まれているらしく、魔力を流し込んで発動させれば冷気を発生する魔法が自動で展開し、魔力が尽きるまで内部を冷やし続ける。その冷やされた空気が口から洩れる事で部屋を冷やし、また花瓶自体も相当冷やされるので必然的に結露が発生、湿度を下げる事で快適に過ごせるようにする。


 当初は科学の代わりに魔法が発達しているという明確な違いからくる文化文明の違いに驚きっぱなしだった。例えば部屋を冷やす花瓶の様な地球にもあった便利な道具の機能をこの世界の根幹である魔術とか魔導といった技術で再現したアイテムが存在するどころか一般にまで流通しているのだから驚きだ。


 しかしそれは最初だけ、シトリンを通してこの世界を知れば知るほどに地球との類似点の多さの方に驚くようになった。物理法則は同じだし、食べ物にも大きな大差はないし、何より人間の見た目がほとんど同じだ。ココに居るエルフ達と俺の相違点と言えば、容姿を除けば長い耳位しかないが、本当にソレだけで生理機能から何までが俺と同じの上、神様曰く"子供も作れる"らしい。そりゃあ驚くさ。だって別の世界から来たのに遺伝子が変わらないってどういう事?って疑問が出るのは当然だけど、神様は豪快に笑うばかりで何も教えやしない。


 しかし幾ら同じとは言え流石に出来ない事も多いようで、例えば"お前が好きだと言っていた車を作れってのは流石に無理だぞ"と、シトリンに釘を刺されたのはつい最近の話だ。まぁ、俺もそこまで求めるのは我儘だと思っていたので素直に引き下がったけど。と、ソコまで考えたところで急いでベッドから起き上がった。そう言えば今日はそのシトリンのところに出かける予定だった。


 雨季に入ってから肉体労働の機会は減ってしまった。荷物運びは相変わらずだが、ここ最近のメインだった畑仕事は雨季が終わるまで一時中断、基礎体力を付ける為の走り込みも"風邪をひく"という当たり前の理由でルチルから止められた。


『外、見てみたくないか?』


 完全に手持無沙汰となった俺を見兼ねたのか、図書室で黙々と本を読んでいる俺の背後からシトリンがそう声を掛けてきたのは今から10日ほど前の話だった。期間は雨季が終わるまでの間。外との交流を目的に運航される帆船の1つに乗ってフォーレ海を渡り隣のカスター大陸へと上陸、更に陸路を通って最大都市ヴィルゴへと向かう。何でもその都市に所要が出来たアイオライトが暇そうにしている俺を連れていきたいと提案したそうだ。


 その都市は大陸から各小都市への中継地点となっている関係から、いさかいや争いに対する罰則が特に厳しいそうだ。そう言った事情もあり人類とエルフ達が交流する数少ない場となっていると彼女は説明してくれた。その話に俄然興味が出た俺が行ってみたいと返事をすれば、ならばと通行許可を出してくれるのが今日だ。


 今の生活に不満は無い……いや、1つあったな。だけど彼女も決して悪意から俺にストーキングしている訳ではない。アレは多分色恋沙汰を知らないのに加え、興奮すると暴走して自分の感情をストレートに吐き出してしまう厄介な性格が重なった結果なんだろう。だから、少々辟易してはいるがどうしても嫌いになれない。だからアメジストが原因ではないし、それ以外にも不満は無い。ただ、外の世界を見たいという気持ちが強くなっただけだ。


 この先、どういった心境の変化があるか分からないし、今の生活に不満は無いが不安はある。だけど、分からないなり、不安なりに置かれた状況を楽しみたいと、そう思った。だからアイオライトの提案に乗った。


 ――コンコン。


 誰が部屋の扉をノックする音が聞こえた。シトリンが迎えに来たのだろう、そう楽観的に扉を開けた俺の視界に入ったのはアメジストだった。


『今、お時間宜しいでしょうか?』


 誰?無断で侵入が当たり前、ルール無視上等、人の話を聞かないあのアメジストが扉をノックして部屋に入ってくるなど前代未聞、初めての事だ。と、そんな事よりも時間か。今日は予定があるのだけど、シトリンとの約束は正午の鐘が鳴る頃合いで、その時に使いを出すからと言っていた。今はまだ朝だし、少し位なら大丈夫だろう。


『ありがとうございます。お時間は取らせませんから。』


 俺の言葉に彼女は満面の笑みで答えた。が、恐らく禄でもない事を考えているだろうなぁという一抹の不安が過る。


 ※※※


 ――夜。微睡の中で見たのはつい半日前のやり取り。どうやら疲れから眠っていたらしい。寝覚めは最悪だ。ゴツゴツと硬い岩と石でできた寝床は、その上に柔らかい深緑の葉が付いた枝を何層も積み重ねた程度ではほとんど軽減されず、小さな焚火程度では猛烈な雨により冷えた空気を温めるには全く足りない。


 身体が痛い。が、それ以上に寒い。俺は近くで燃える焚火に幾つかの薪をくべた。パチパチと小気味いい音が洞窟の中に浸透するが、その程度では暖は取れない筈も無く、だから続けて薪をくべた。その度に炎は大きく燃え上がり身体を温め、同時に頭の奥で眠っていた思い出を照らし出す。


 ――あったかいね

 ――あぁ

 ――上手いね。どこで覚えたの?

 ――自己流

 ――何時も1人で?

 ――その方が落ち着く

 ――面倒じゃない?マッチとかライターの方が早く火が点くよ?

 ――不便や面倒を楽しめない様なら一人旅なんてしないよ

 ――いい言葉だね


 パチパチと燃える枯れ木を燃料に燃える火を見て居た時、ふと過去を思い出した。どうして今頃思い出したのか、なんで唐突に……いや違うか。忘れたかったんだ。嫌な思い出が多かった地球ばしょだけど、それでも良い事もあった。思い出、後ろ髪惹かれる、地球に残した数少ない未練。帰りたい理由……


『うぅぅぅん……』


 何とも蠱惑的で気の抜けるような甘ったるい声が聞こえてきた。パチパチと音を出して燃える焚火の向こうには何とも気持ちよく眠るアメジストの姿。その顔を見ればそれまで色々考えていたのが全部馬鹿らしくなる位に気持ちの良い寝顔だった。俺がこんな状況になっているのは誰のせいだ?と、夢の後……もう少し先の出来事を思い出す。


 彼女が珍しく真面な手段で俺に会いに来た理由は、まぁ端的に言えば温泉に案内してくれると言うだけだった。今までも散々に地球との類似点を見てきた訳だから当然温泉もあるだろうなと考えてはいたのだが、しかしソレが目の前に提示されるとなれば話は別……と、ノコノコついていったのが間違いだった。そもそも今の今まで俺の言葉も姉妹の忠告も暖簾に腕押し、全く聞かなかったアメジストが突然大人しくなる訳がない。迂闊だった。


 ※※※


 この島には姉妹を含む極一部だけが知っている秘湯があると、そう教えてもらったのは都市の中心部から郊外へと出て程なくした頃だった。整然と並んだ石造りの家屋が並ぶ光景は、郊外へと一歩踏み出すとその様相を一気に変える。


 結界を超えた先に広がる景色は、ちょうど反対側にある商業区域とも、その近くにある農地とも違っていた。良く言えば自然、悪く言えば人の手が全く入っていない雑然、鬱蒼とした森林だった。


『私達は元々自然と共に暮らしていました。だから寧ろ今の生活の方が異常なんですよ。でも人類を含む色々な種族と交流する内に自然とこうなっていました。』


 俺の疑問にアメジストはそう答えながら頬を伝う雨を拭った。雨が降りしきる中、動物の皮で出来たレインコートのフードから僅かに顔が覗けば、そこに見えたのは今までのちゃらんぽらんで適当で雑でいい加減で人の話を全く聞かない超ド級天然スト-カーとは違い、とても穏やかで見た目通りに魅力的なお姉さんだった。頼むから普段からそうしていてくれ。もし頭を打って記憶喪失になったのならそのままでいいから、と思ったのは内緒だ。


 が、そんなこんなでアメジストに案内されるままに鬱蒼とした森の中を進み続けてもそれらしい物は見えてこない。行けども行けど見えるのは雨に濡れた木々と雑草、そして申し訳程度に舗装された道路。鐘の音が聞こえてこないから時間はまだ大丈夫そうだが、こんなに時間が掛かるのならば来るべきでは無かったと後悔し始めた矢先……


『もう直ぐですよ。』


 不意に彼女の声が聞こえた。容姿もそうだが澄んだ良い声をしている、が性格が台無しにしているけど。ともかく、そんな彼女の言葉に促される様に前を向けば、重苦しい木々の向こうに大きな橋が見えた。石造りの頑丈そうなソレは、ソレまで歩いてきた道路よりも明らかに道幅が大きい。橋の下を覗けば雨で増水した濁流が轟音を上げている。落ちれば命は無いと思える程度には流れが激しいが、流石に頑丈にできているのか橋はビクともしない。


 と思っていたのだが、橋の中腹辺りまで来た辺りで異変が起きた。何か揺れている様な気がするいや、気のせいじゃないと身を乗り出し橋を支える柱を見れば……何という事でしょう、数本の倒木や瓦礫により亀裂が入っており、今にも崩落しそうだった。不味い。そう直感した俺はアメジストを抱きかかえると急いで橋を渡ろうとしたが、その直後に酷い振動が起き、そしてフワリと空中に浮く感覚に襲われた。間に合わなかった。ならばせめて彼女だけでも、実力的にはそうするべきではないと理解しながらも俺は彼女を放り投げようとしたが……


『そんなッ。これじゃあ計画がぁ!!』


 お前、今なんつった?計画?計画とな?やけに大人しいと思ったらやっぱり禄でもないこと考えてやがった、と後悔するがもう遅い。俺達は無数の破片と共に落下、濁流にのまれた……

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