離(はなれる)

 ――朝。豪奢なカーテンの隙間から暖かい日差しが射し込み、小鳥の囀りが聞こえる中、俺は目を覚ました。


 異世界に来て早半年。最初こそ色々と慣れない生活に苦労させられたが、しかし適応力というのはなかなかに侮れない。ウォシュレットじゃないトイレも、薄い味付けの食事も、辛うじて石鹸ぽい何かがある程度の風呂事情も慣れてしまえばどうという事は無かった。が、そんな中で一番辛かったのは娯楽に乏しいという点だ。ただ、それも仕事や勉強なんかで忙しくなるにつれ考えを改めた……地球の方が異常だったんじゃないかと。


 消化しきれない程の小説、漫画、テレビに動画に映画その他etc……こんな田舎暮らしみたいなスローライフを送っていれば、どれもこれも毒の様に身体と心を蝕んでいたように思える。より正確には娯楽を消化させようとする枠組みに、だ。もう動かない携帯端末を見ながら俺はそんな事を考えるようになっていた。コレもこの世界に慣れた影響かも知れない。


 さて……今日も仕事だ。俺はベッド起き上がると、毎度毎度どうやって侵入しているのかサッパリ理解出来ないアメジストを手際よく毛布に包んだ。何かむーむーと声が聞こえるが気にしない……もう慣れたけど、正直コレには慣れたくなかったよ。


 ※※※


 ――昼。


『はい、あーん。』


 神樹を中心とした広大な結界の中は極めて安定した穏やかな気候になっているようで、常に作物が育つ環境が整えられている。ローズから回された仕事は最初こそ荷物運びが中心だったが、やがて広大な農地の耕作が加わった。曰く、男手が足らないという事らしいけど……理由はどうでも良い。慣れない生活に単純労働は何かと都合が良い。何せ常識や言語が殆ど必要ないのだから。


『ンもう、聞いてます?はい、あーん。』


 1人きりで仕事をしていれば流石にちょっと寂しい時もあるけど、でも空を見上げれば青い空に白い雲。過ごしやすい穏やかな空気を時折緩やかな風が撹拌すれば、サーと草木が揺れ動く音が聞こえる。今日も静かで良い天気なのだが……


『はい、あーん。』


 今日も今日とて、だ。恒星が真上に昇り丁度昼時を告げる頃合い、広大な畑の中央に位置する休憩用の小屋の前に置かれた木製の椅子に腰かけてボケっと疲れを取っていると、何時の間にか音も気配も無く忍び寄ったアメジストが傍にいた。君、今日も仕事だよね?何でココに居るの?


 しかし、今日は珍しくいつもとは違う部分もあった。肉体労働でクタクタになった俺を気遣ってかサンドイッチを持ってきていた。しきりに食べさせようとしているのはちょっと勘弁してほしいのだけど。しかし……小麦色の細長いパンに入った切れ込みにはたっぷりの野菜を中心に卵や干し肉や魚やエビ等の具材が挟まれているソレはどう見ても地球で見かけるサンドイッチそのもの。鼻先まで寄せられた良い匂いのするソレを見れば、この星にも地球と似たような料理があるのは何とも不思議だと思ったけど、もしかしたら見た目的に地球のサンドイッチに近づけようとした努力したのかもしれない。彼女達、俺の記憶を覗いているらしいし。


 そう考えれば健気で泣きたくなる位に嬉しいのだけど、ソレが入った籠に近づいた小鳥とか小動物が……何故か一目散に逃げだしてるんですが。一体ソレに何を混ぜたんだ?


『え?そ、そんな事はなななないですよ……』


 目が泳いでいる、言葉も明らかにぎこちない。必死で否定しているが絶対に嘘だ。確実に何か入れているようだ。が、しかしソレを見破られたら意味が無いだろうに……


『よーし、今日も元気にサボってんなァ。』


 またこれも予定調和。アメジストが仕事をサボってストーキングに勤しめば、ソレを察知した姉妹の常識人枠が止めに来る。今日姿を見せたのは次女のルチル。


『え?あ?あの……』


 焦るアメジスト。コレも何時もの光景なのだが、しかしの焦り方はちょっと異常だ。


『お前、ソレ私が作ったヤツじゃないか?道理で無いと思ったらホントお前……』


 何かしでかしたかと思えば、どうやら俺に食べさせようとしているのは手作りじゃなくてルチルの昼食だったようだ。しかも何か入れてはならない隠し味を仕込んでいる。そりゃあ怒るよ、超えちゃあいけないラインを軽々と超えちゃったら駄目だよ。


 流石にルチルの目が怖い。相当にお怒りの様子だ。アメジストは恐怖で震えている……が、自業自得なので何もフォロー出来ないし正直なところ一度ちゃんと叱られた方が君の為だ。


『ホレ帰るぞ。それからいっつも言ってるが、ナギの邪魔してやるなって言ってるだろ。会いたいってのは理解するから、せめて仕事が終わってから堂々と会いに行けよ。なんで逐一嫌われる様な会い方してんだよお前は。』


『そんなぁ……嫌われるなんてッ。私はただ溢れる思いを行動で示しているだけで。』


『そんなドロドロとしたモンを逐一溢れさすなってーの!!相手が気まずい空気出してるだろ。しかもお前、ソレに何入れやがった!!』


 やはり何か入れていたのは間違いなかったようだ。今まではポンコツ振りに救われていたけど、ちょっと今回はシャレにならない様な気がする。その内に死ぬ、そんな予感がすれば相変わらずのほほんとしている彼女が恐ろしく映る。いや多分……さてはコイツ、自分が何をしているか全く理解していないな?


『えーと、疲れが取れるように滋養強壮作用のあるマンドラゴラでしょぉ、それからよく眠れるように……』


『いや、もういい。初手から入れるモン間違ってる。』


 ルチルがアメジストの説明を遮る様にそう指摘すると、さしもの彼女も驚きの表情を浮かべた。どうやら自分のしでかした事を漸く理解したらしい。マンドラゴラが何か分からないが、ルチルの呆れた表情を見れば禄でもない物らしいのは理解できる。


 一方、アメジストはショボンと項垂れている。行動の理由は俺の為というのは分かるし、そうであるから俺としては強く注意しづらいのだが、流石に今日の件で懲りて欲しい。ちゃんとした手段で会いに来るなら邪険にしないと約束するから、だから頼むから勝手に部屋に入ったり性懲りも無く後を付け回したり、まかり間違っても食事に明らかに異常と分かる変な物を入れないでくれ。


『分かりました。じゃあ今度からは分からない様に注意しますね。』


 そう言い切ったアメジストはこぼれんばかりの笑みを俺に向けた。ソレは正に太陽の様な眩しさで、一片の曇りも無ければ後ろ暗い感情も無い、穏やかで屈託ない純粋な笑みだった。


「分かってねぇ!!」

『分かってねぇ!!』


 晴天の空に俺とルチルの怒号が響いた。あぁ、今日も良い天気だ。酷く疲れた心に染みわたる様な晴天に見守られながら俺は仕事を再開し、アメジストはルチルに引き摺られていった。しかしその姿に悲壮感は全くなく、寧ろ首根っこを掴まれながらも俺に手を振っている。


『じゃあまた夕飯時に会いに行きますからねー。』


 余裕どころか寧ろ全く微塵もへこたれていない。彼女、なんであんなにタフなんだろう?どれだけ怒られても一向にめげない諦めない……そして時に遠回しに、時にストレートに迷惑と伝えても一向に理解しない。こんな生活も悪くないと、そう思い始めてきたのだけどなぁ。


 余談となりますが、ルチルにマンドラゴラの効能を教えてもらいました。精力剤とか媚薬だそうです。危なかった、もう少しで真昼間っからナニをするところだった。


 ※※※


 ――夜。


 城内の中央棟の最奥には3種類の風呂場がある。一番大きな風呂場は来賓用、次いで使用人用、そこそこ数が多いので必然的にそうなる。最後、一番小さいのは総裁用だがアメジストの意向により姉妹4人で使っている。俺が使わせて貰っているのは有難いことに来賓用の一番大きな風呂。高級ホテルの様なバカでかいサイズの洗い場、足を延ばしきってまだ余裕がある程度の大きさの湯船は2、3人程度なら余裕で入れる大きく、端には冷えた飲み物を保管するスペースまで完備されていて何とも贅沢な空間になっているのだが、更に簡易サウナまで存在する。


 とは言えコレ、実は俺の記憶を読み取った後にシトリンが作った物だ。元々エルフは清潔志向が高いようで、風呂場も本格的で洗い場と湯舟が分かれていると言っていたが、サウナという存在を知るや誰もが二つ返事で改装許可を出したらしい。それなりに時間が掛かったらしいが、シトリン曰く”迷惑かけている詫び”らしく、だから俺は有難く風呂とサウナを満喫させて貰っている。


 自分の置かれた環境はまるで変ってしまったけど、でも風呂ココだけは何も変わらない唯一落ち着ける場所……だったのだが、不意に聞こえたガタンという音と共にいとも容易く壊された。リラックスしていた俺の耳に大きな音が飛び込んで来た。サウナからだ。ソレはまるで何かが倒れた様な音だった。嫌な予感と共にこじんまりとした木製サウナ部屋の扉を開けば、ソコにはやはり予想通りの光景。もう呆れを通り越していっそ敬意さえ抱く。


『あ、待ってましたぁあぁああ……』


 アメジストはそう言うと俺にしだれ掛かって来た。タオルの中に強引に抑えた豊満な身体、立ち昇る匂い、上気した顔から滴り落ちる汗。どれも煽情的で蠱惑的だが、しかし悲しいかなのぼせてヘロヘロになった顔が全てを台無しにしている。一体何時からココに籠っていたんだ?下手すれば脱水症状で倒れるぞ。


『お願い……1人で……』


 その言葉に俺はドキッとした。彼女……もしかして知っているのか?


『やっぱり新婚旅行は2人で、えへへ……』


 ウン分かってた。考えすぎだって知ってた。俺は隣にある4姉妹専用の風呂に備え付けられている水風呂に彼女を手早く放り込むと会食の間へと向かった。


 ※※※

 

 食事は基本的に1人で取る事が多い。時々4姉妹の誰かと一緒に食事をする時もあるが、彼女達は基本的に忙しい身であり、誰もが夜過ぎまで働いているからこの場所で会う機会は意外とない。仕事サボってストーキングするアメジストを除けば、だが。


『よう。ってなんかあったか?もしかしてまたアイツか?ハァ、毎度毎度済まねぇな。』


 今日はその"時々"の日だったようだ。来賓との食事に利用される長いテーブルの奥側に珍しくシトリンが座っていた。目の前の更には彼女の好きな肉類が山盛りで乗った皿があり、彼女はソレを上機嫌で突ついていたが、風呂上りなのに酷く疲れた顔をしていた俺に何かあった事を悟ると大きなため息と共に謝罪の言葉を漏らした。相変わらず良く気が付く人だと思う。彼女も少しは見習ってほしいものだが、多分無駄だろう。


「気にしなくて良いですよ。」


『もう慣れた、だろ?』


 だから気にしなくて良いと、そう伝えた。多分、姉妹の中で一番苦労していると思ったからなのだが、彼女はお見通しだった。


『気にする事は無い。それよりも……』


「多分、知ってます。」


 対面に座るシトリンから再び大きなため息が漏れた。会話の合間に肉を頬張る頻度がドンドンと落ち、やがてはフォークでつつくばかりでそれ以上をしなくなった。飽きれているか、あるいは怒っているか、それとも落胆しているか。心情は計り知れないが、何時も苦労しているのだろうなと思うと大いに同情してしまう。


『そうか。頑張って隠してたんだけどなァ。』


 気だるげに呟くシトリンは何度目かのため息と共に残った肉を一気に頬張った。彼女と俺が隠していたというのはこの島を離れるというソレだけの話だ。別に金輪際の別れではなく、ただ色々な世界を知っておいた方が良いというシトリンとアイオライトの提案に俺が乗っただけなんだけども、最大の問題はゆるキャラ系ストーカーのアメジストがどう反応するかという点。


 期間にすれば一月もかからない程度。荒れ狂うフォーレ海を渡った先にあるカスター大陸の港町を経由して大陸最大の都市ヴィルゴへと向かうルート。途中色々と寄り道をするとアイオライトが息巻いていたところを見るに、多分大陸のアチコチに美味い酒があるんだろうな。


 まぁ唐突ではあるが、ココを離れると決めたのには意味がある。主だった理由は俺にこの世界の人間を見せたいという事だ。よくよく考えてみれば商業区域で稀に見かける程度で基本的に俺が今まで会ったのは大半がエルフだった。極一部が価値観を無視して突っ込んでくるが、基本的に人間とエルフは価値観が違う。だから比較的近い人間の社会を見せたい……もっと言えば、俺が望むならソコで暮らしても良いと提案するつもりなんだろう。決して厄介払いではないし、ましてやアメジストの暴走に辟易している訳でも……ないと信じたい、多分。


『ま、もう決まった話だ。後はコッチで何とかするから精々楽しんできなよ。そうだ、お土産は忘れるなよ?』


 ついさっきまでのため息の連続は何処へやら、一時は暴走する妹の頭を抱えていたシトリンは冗談交じりに笑いながらそう言った。誰であれ、やはり笑っていた方が良いに決まっているしそっちの方が魅力的だとしみじみと思う。が……直後、部屋の扉が勢いよくバンと開かれた。


『酷い、私に黙ってどっか行っちゃうなんて!!』


 俺は温まっていた部屋の空気がグーンと下がっていくのを感じたね。部屋の扉の前で涙目のアメジストは相も変わらずマイペースに行動をして、その結果がどうなるかまるで考えない。知らないぞ。そう思いながら視線を彼女の対面に位置するシトリンへと移せば、眼鏡の奥の瞳に殺意っぽいドス黒い感情が渦巻いているのがはっきりと分かった。怒ってるなァこりゃあ。


『オイ。ナギが大陸に渡るって話、何処で聞いたんだ?』


 声が震えている。怒りを抑えようと必死に振る舞うシトリンの様子から見れば、流石に我慢の限界に到達してしまったようだ。


『知ってますよ。だって私生活、監視してますから!!』


 笑顔でなんて事を告白するんだい君は。俺は酷く呆れたが、鋭い何かが肌を突き刺すような感覚に気づくとハッと意識を部屋の奥へと向けた。


『よーし。口で言っても分からねェならどうなるか分かってンだろうな。』


 ソコには躊躇いなく暴走を繰り返す妹の言動に限界を超えた長姉の姿。俺がココを離れる理由をニコニコと屈託ない笑みと共に答えたアメジストだが、しかし部屋の奥で怒りに震える姉を見るや目を丸くした。直後、視認できない速度でアメジストの背後を取ったシトリンは妹の首根っこを掴むと何処かへと引きずっていった。


 後に残ったのは酷く疲れた俺、そして遠くから聞こえるアメジストの声。

 

『必ず会いに行きますからねー。』


 どうすればいいんだろうなコレ。執念染みているが全くそう聞こえない呑気なアメジストの言葉を聞いた俺の頭は酷く混乱した。もうすぐ出発なのになぁ……

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