ヒナトリ・アンティークの別の話

ましさかはぶ子

ガチャの君




「浅野さん、来たよ、ガチャの君。」


隣の店舗の藤田が店の奥まで来て言った。


「えっ、本当ですか。」


浅野は急いで店頭にさりげなく出た。


ここは大型ショッピングモールの一角だ。

浅野は婦人服の店員で

彼女に教えに来た藤田は隣の時計店の店員だ。


その二店舗の前には少しばかり広い場所があり、

いつの間にか沢山のガチャガチャが置かれるようになった。


一体何面あるのだろうか。

二百、三百、数えた事は無いが休日などはかなりの人が来る。


だが平日はやはり人は少ない。

そしていつの間にかひと月に一度ぐらい、

その「ガチャの君」が平日に現れるようになった。


浅野は時計店の藤田と特に仲が良かったわけではない。

彼女はいくつか接客業を経験していたが、

店員同士で親しくなった事は無かった。


だが、そのガチャの君が現れるようになってから、

たまたま表に出ていた藤田と目が合い、

それから話すようになった。


浅野は店頭に出て服を直す振りをしながらガチャの君を見る。

そして藤田も埃取りを持ちショーウィンドウの掃除をする。

ちらちらとガチャの君を見ながら。


それは彼女達の密かな楽しみだった。


ガチャの君は長身でいつも帽子を目深にかぶっている。

マスクもしているので顔はほとんど見えない。


だが、立ち振る舞いは実にしなやかで、

ガチャのハンドルを回す仕草すら優雅に見えた。


「日本舞踊でもしているのかな。」


仕事終わりに浅野と藤田は時々一緒に食事をする。

その時も話題はガチャの君だ。


「ほんと、じっくり吟味して買っていますよね、ガチャの君。」


藤田は浅野より十歳ぐらい年上だ。

どうしても敬語が出てしまう。

そんな堅苦しい性格なので友達が出来ないのかもと浅野は思う。

だが藤田は全然気にしていなかった。


「長いと半日ぐらいいるから、その分楽しめるけど。」


と藤田は含み笑いをする。


「藤田さんは良いですよ、カウンターだけだから見通しが良いし。

こちらは服だから見通しが悪いもの。

教えてくれないと分からなくて。」

「よしよし、これからも現れたら教えてやるぞえ。」

「お願いします、お姉さま。」


意外と馬が合うのだ。


「でもあの人、絶対にどこかの御曹司だよ。」

「ですよね、パーカーを着ているけどあれもブランド物ですもん。

ガチャを入れる大きなバックもブランド物だから。」

「私はちらっと遠目で腕時計を見たけど超高級品だと思う。

うちの店じゃ取り扱ってないわ。」


二人とも大きなため息をついた。

どうやっても自分の店に彼が来る用事は絶対に無いのだ。


「まあ、鑑賞に耐える男子おのこは滅多にいないから、

それが見られるだけありがたいわね。」

「そうですね。」




そしてある時だ。


その日は平日、店員は浅野しかいない。

彼女がレジそばで作業していた時だ。


「すみません。」


と男性の声で呼びかけられた。


「はい、いらっしゃいま……。」


浅野の声はそこで止まってしまった。

そこにいたのはあのガチャの君だったのだ。


少しばかり帽子を上にあげて、その奥の目が自分を見ている。

涼やかな目だ。

思わず息を飲む。


「あの、申し訳ありませんが両替はお願いできますか。」


優しげな声でガチャの君が言う。


「両替機が動かなくなっていて。もし出来たらですが。」


「は、はい、させていただきます。はい。」


本当はダメなのだ。

だがここで断るなど出来る訳がないだろう。


彼女は彼が差し出した千円札五枚を受け取り、

百円の棒金を差し出した。


「あ、パッケージのままで。」


慌てた彼女はそれを折ろうとしたが

力が入りすぎて飛び散ってしまった。


「あああ、ごめんなさい!」


浅野は急いで落ちたお金を拾い集めた。

ガチャの君もしゃがんで拾う。


「申し訳ない、急なお願いだったので、

慌てさせてしまいましたね。」


ガチャの君の顔が浅野の間近にある。

目が合うと優しい声で彼女に言った。

その瞬間、神様はいるのかもと彼女は思った。


お金は無事全部拾えた。

そしてガチャの君は頭を下げて店を出て行った。


浅野は思わず近くの椅子に座り大きくため息をついた。

それは幸せのため息だ。


その後しばらくして外に出ると、

両替機には修理の人が来ていた。

そしてガチャの君はその向こうでガチャを選んでいた。

彼がこちらに気が付いたのか頭を下げる。

彼女も頭を下げた。


すると彼が近寄って来た。

彼女はドキリとする。


「先ほどはありがとうございました。ご迷惑をかけました。」


彼は頭を下げた。


「いえいえ、全然、当たり前のことです。」


彼女は手を振って遠慮をした。

きっと顔は赤いだろう。

マスクがあって本当に良かったと思った。


「これ良かったらどうぞ。」


彼はガチャを一つ差し出す。


「えっ、だって、買われたんでしょ?」

「同じものが出てしまったので、もらってください。」


彼女は彼の手を見た。

細くて綺麗な手だ。

その上にガチャが乗っている。


彼女は一瞬迷ったが受け取る事にした。

こんなラッキーは二度とないと思ったからだ。


「じゃあ、遠慮なく、ありがとうございます。」


そして彼女はそれを開けた。


小さな可愛らしい子猫のキーホルダーだ。


「お揃いですね。」


と言って目で微笑み彼はまたガチャに戻って行った。


浅野はしばらく彼の後ろ姿を見る。

こんないい日はもう二度とないかも、と彼女は思った。




「先に藤田さんの所に来たんですか、ガチャの君。」

「そう、両替してと来たけど断ったの。

うちは元々そう言うの厳しいし、それで……。」

「それで?」

「お隣ではしてもらえると思いますよと、

敵に塩を送ったわ!お姉さんは!」

「ナイスプレーです!お姉さま!」


思わず浅野は拍手をする。


「でも素敵なお声だったねぇ。」

「ええ、ほんと良い声で……。」


二人は顔を合わせて笑う。


「ねえ、浅野さん。」

「はい?」

「私、もうすぐここを辞めるんだ。」

「えっ……。」


突然の話で浅野は戸惑った。


「私、資格が欲しくて今までここでバイトしてたんだ。

この前試験があって、受かったよ。」

「ええっ、全然知らなかった……。」

「誰にも言ってなかったし。

その職種に移ろうと思って。

また一から始めることになるけど、

実は夢があるんだよね。だから一丁やるかって。」


藤田は悪戯っぽく笑った。

浅野は少しばかり悲しみと羨望を感じた。

だが、


「藤田さん、頑張ってください。

夢が叶うよう応援しています。」


藤田はにっこりと笑う。


「だからガチャの君はお別れの餞別。」

「ありがとう、物凄い餞別でした。」


浅野も笑う。


「なら私からも餞別です。

今日奢ります。私の機嫌も物凄く良いんで。」

「だよね~~。」


藤田は一週間ぐらいして仕事を辞めた。

その次に来たのは若い男性だった。

挨拶には来たがそれだけだ。


「もう教えてもらえないなあ。」


ガチャの君が来ても、と彼女は思った。

この店のレイアウトを変えるよう提案しようかなと思った時だ、

本部の部長がやって来た。


「浅野君、やってるか。」


突然の事で彼女は驚いた。


「お疲れ様です、いきなりですね。」

「いや、すまん、ちょっと話があってな。」


彼は店を見渡す。


「急な事なんだが、この店舗を移転する話があってな。」

「えっ……。」


彼女は驚いた。


「何か不手際がありましたか?」

「いや、そうではないんだが、別の大型モールで空きが出てな、

ここの売り上げは悪くはないが頭打ちなので、

別店舗に入って売り上げを上げたいんだ。

あちらだと同じ家賃でエリアが1.5倍になる。」


部長はその関係の書類を取り出した。


「それで君の家からだと方角は反対だが

距離的にはそれほど変わらないだろう。

だからそちらに移動して欲しいんだ。」


彼女はその書類を受け取り中を見た。

そしてそこに自分の名前があるのを知る。


「部長、これって……。」

「そう、店舗管理者を君がやって欲しい。」


いわゆる栄転だ。


「それに君はバイヤーの勉強もしたいと言っていただろう。

それにも関われると思うぞ。」


彼女には断る理由は何もなかった。

だが、ただ一つ残念な事があった。


「ガチャの君とはお別れかぁ……。」


部長が帰った後、彼女は呟いた。


移転はしばらく後だが、

また彼とタイミング良く会えるがどうか分からない。

それに自分にとっては強烈な経験だったが、

彼にとってはただの両替だろう。


だが、彼女はそれでも良いと思った。

たった一度の優しい瞳と言葉、

そして子猫のキーホルダーはずっと大事に取っておこうと思った。





「今日は宮様はお休みだな。」


築ノ宮の秘書に事務方が聞いた。


「そうです。ひと月ぶりでしょうか。

あの方もお忙しいので。」

「そうだな、我々はちゃんとお休みは頂くが。」


事務方がちらと見る。


「それで宮様はいつもの所か。」


秘書がパソコンから顔もあげずに返事をする。


「そうです。あれが唯一のご趣味です。」

「お一人で外出されて大丈夫なのか。」

「お送りすると言っても断られますから。

ご自分で公共機関を使ってお出かけになるのも楽しいみたいですよ。」


秘書は顔を上げた。


「築ノ宮様ならお一人でも全然大丈夫です。

お強いので。」


秘書はにっこりと笑う。


そしてまた小さくてカワイイものを

沢山持って帰るのだなと思うと少々うんざりした。


買うのは良いが気に入らなかったり被っていると

秘書に押し付けるのだ。

事務方がやって来たのもそのおこぼれ目当てだ。

多分またしばらくすると誰かが探りに来るだろう。

今度も段ボールに入れて廊下に置いておこうと思った。


「でも……、」


秘書は呟いた。


「宮様はこの趣味が誰にも知られていないと

まだ思っているのかしら。

みんな知っているから堂々と買いに行けばいいのに……。」


築ノ宮の変装グッズは知っているが、

ブランドが凄すぎて身分はバレバレですよと

秘書はいつか言いたいと思っていた。


「〇〇〇〇にしなさいよ。」






「新しい店舗のレイアウトですが、

一部にガチャガチャを置きませんか。

客寄せにもなりますし、

小さくてカワイイものなら我が社のイメージと合うと思います。」

「うむ、一考する価値はあるかもな。

浅野君、案を練りたまえ。」

「はい!」


転んでもただでは起きない方である。




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