突き詰められたエゴ
あやたか
記者会見
今日は人生最後の記者会見となるだろう。そう思うと、自然と気が引き締まり、この煩わしいイベントにも少しは愛着が湧く。会場に着くと記者が出迎えてきた。
「お疲れ様です。本日はよろしくお願いします」
記者が愛想笑いを浮かべながらこちらに挨拶してきた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こちらも愛想笑いで返事をする。今日一日が終われば、俺から小説家という肩書が削ぎ落とされる。なんて素晴らしい日なんだ。これほど清々しい気分は初めてだ。今日この日によって、俺の小説家人生は有機的に完結したものとなるのだから。
壇上に立ち、記者たちを前に挨拶を済ますと、まず始めはアイスブレイクと言わんばかりに、他愛のない無意味な質疑応答が交わされる。早く本題に入ってくれ。こんな下らないやり取りのために俺は今日ここに来たわけじゃない。俺の苛立ちに気づいたのか、記者たちが少しざわめくと、会場の雰囲気が先程までとは一変して、記者たちの面持ちに緊張が見られた。そして、一斉に記者たちが挙手をした。
「はい。では私から見て左から三番目の方お願いします。」
司会に指された男はT新聞の青木と言った。
「上葉さん、約六十年間の執筆活動、お疲れ様でした。敢えてこの場でお聞きしたいのですが、上葉さんが小説を書き始めたきっかけは何ですか?」
小説を書き始めたきっかけ、そんなこといちいち覚えちゃいない。俺はいつから小説を書き始めたのだろうか。何がきっかけで始めたのだろうか。こんな質問、人に「どうしてあなたは生まれて来たのですか?」と聞くようなものだ。人間は自分の意思に関係なく産み落とされるのだ。生まれてしまったものはしょうがない。例えどんな境遇だろうと死ぬまで生きていくしかない。それと同じだ。俺はある日、どういうわけか作品を著作してしまったのだ。そこには何の理由もない、ただの偶然だ。
「そうですねぇ、正直自分でも全く覚えていないんですよ。なんせ何十年も前のことですから。書き始めたのは確か二十歳の時ですけど…」
そうだ、あれは確か大学2年の夏休みだったか。ある日突然俺は作品を書き始めた。その時のきっかけは本当に覚えていない。
「そうですか。では、今日に至るまでどういったモチベーションで執筆を行ってきましたか?」
モチベーション、それを語るには俺の半生を振り返る必要がある。
「それはズバリ、反骨精神ですね。自分の作品を読んでくださった皆さん全員に、私の作品を認めさせたい一心で書いてきました」
「反骨精神ですか。とてもエネルギッシュなモチベーションですね」
***
当時、俺は何を思ったか作品を公募に提出した。しかし、結果は惨憺たるものだった。一次選考で落選した。客観的に考えると、人生で初めて書いた物なんてそんなものだ。しかし、そのときの俺にはそんな冷静さは無く、沸々と怒りが沸き上がってきた。
「ふざけるな!!! 俺の作品の何がダメなんだ!!!」
俺はその結果に憤りを感じていた。どうにかして公募の審査員共に俺の作品を認めさせたかった。いくつもの書籍を読み、様々な知識や表現技法をインプットし、俺の内面から沸き上がる情念の解像度をより鮮明に表現するよう努めた。
それからというものアルバイトを辞め、学業に費やす時間は最低限に抑え、俺の日常の主体は執筆活動となった。そのような生活が一年ほど続いたある日、やっと俺は賞を受賞した。そして、それはつまり俺の作品が世に出されるということだった。インターネットやSNSでエゴサーチをしたところ、腹立たしいことに俺の作品は賛否両論だった。作品の様々なコンテクストに対して、俺の意図した通りの解釈もあれば、全く的外れな解釈も見受けられた。そして的外れな解釈から生じる的外れな批判も存在した。この経験から俺の著作の方針は決まった。それは、俺の作品を手に取った全ての人間に文句を言わせない、絶対的で普遍的な作品を執筆しようと決心した。
大学卒業後はフリーターとなり、できるだけ執筆と読書に時間を割けるようにした。印税もそれなりに入り、生活には困らなかった。公募に出すだけでなく、SNSなどにも作品をアップロードし、作品の閲覧数も俺自身の認知度も上がっていった。しかし、読者全員を満足させることはできなかった。小説もいくつも執筆したが自分が納得できるだけの評判を得られなかった。エゴサーチをしていると、俺の作品には厚みが無いという感想がバズっていた。なるほど、俺の作品群には厚みや奥行きといったものが足りないらしい。その原因は何であろうか。俺は今まで、この六畳間の空間と書籍から取り出した知識から作品を生み出していた。俺は小説を書き始めてから最低限の外出しかしなくなったことにふと気付いた。人との新しい出会いも殆ど無い。そうか、俺はずっと部屋と本に引き籠もっていた。だから俺と俺の作品には、二次元的な広がりはあっても三次元的な奥行きが無かったのだ。解決策が分かればあとは行動するのみ。アルバイトを辞め、一週間のうち、五日間を外出と読書に充て、残りの二日間を執筆に充てた。外出の日にはSNSでその時々の居場所を発信し、初対面の人間と夕食をとった。
***
このようなノマドに似た生活を約五十年前に始めて今に至る。この体験によって作品に明らかな変化が起きた。地に足の付いていない机上の空論から、自分の目で見て、耳で聞いて、足で歩いた生身の体験から抽出されたセンテンスとなった。そして、これらの諸経験の集大成として創造されたものが今回の作品なのである。
「ありがとうございます。私からは以上です」
質疑応答を終えた記者が席に着く。
「では次に質問のある方、挙手をお願いします。はい、では一番後ろの右から二番目の方どうぞ」
黒縁眼鏡をかけた中年の小太りの男が立ち上がる。
「K新聞の木村と申します。この度はおめでとうございます。今回が上葉さんの最後の作品となるわけですが、改めてこの質問を申し上げたいと思います。上葉さんにとって小説とは何ですか?」
今まで何度もされた質問、手垢にまみれた質問。しかし、このタイミングであるからこそ、この質問には大きな意味があるのだろう。俺にとってこの質問はおそらく小説家として最後の質問となる。仕方ない応えてやるか。
「私にとって小説とは、私のなかにある、言葉では決して語りえぬ情念を表現するための手段です。そして、執筆を含めた創作とは、個人の情念の方向、すなわち彼または彼女の魂の鏡の中で生じる情念の色彩の屈折が、彼らの創造行為に方向を指示したものです。」
辺りが静まり返る。しまった、記者相手につい熱く語ってしまった。俺らしくもない。
「ありがとうございます。やはり上葉さんは創作活動全般に対して並々ならぬ気持ちを抱いているのですね。」
俺に質問した記者は興奮していた。心なしか部屋の室温が2℃程上昇したような気がした。
「では上葉さん、最後にひとことお願いします」
司会は口角が吊り上がり、興奮が冷めやらぬ様子で最後の質疑を投げてきた。いつもなら俺は早く終わってくれという一心で、特にコメントすることはありませんと早々に会見を切り上げるのだが、今日だけはコメントしてやろうと思った。執筆以外で気持ちが高揚することなど滅多にないにもかかわらず、俺は会場の空気と司会の感情に伝染してしまい、柄にもなくこの生涯最後の著作へのコメントを述べてしまった。
「苦楽に満ちた諸経験から全てを曝け出した所産であるこの著作を、私は、六十年以上も仕えてきた創作の祭壇に供えます。私は、この私の供物を、誰が自分の物とするのかを予知することはできません。一冊の本の運命はその著者の自由にはならないし、同様にその本に結びついている著者の個人的な運命もその著者の自由にはならないのです」
突き詰められたエゴ あやたか @ayataka98
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