第1章 田舎から公都へ

第1話 ルードの誕生と成長

ワルプルギスの夜

 ワルプルギスの夜。

 冬から春へと移り変わるこの夜は、闇と光が交錯する時間でもある。


 人々は、その夜は死者と生者との境が弱くなると信じ、生者の間を歩き回る無秩序な魂や妖怪のたぐいを追い払うためにかがり火をいていた。


 夕暮れの薄暗がりの中、真っ黒な衣装を着てほうきに乗った人影が音もなく飛んでいく。

 やがて、その数はどんどん増えていった。


 この夜。

 神聖ルマリア帝国中の魔女たちはブロッケン山に集まってサバトを行い、彼女らの神々とお祭り騒ぎをするならわしとなっていた。

 

 一方で、真っ黒なコートを着たスラリと背の高い男性が、深まりゆく闇の中から湧き出るように、帝都アウクトブルグの門前に唐突に姿をあらわした。


 彼は、門を通り、多くの人出があるにもかかわらず、町の奥へとかなりの速さで歩いていく。

 町の人々は、まるでその存在にまるで気づいていないが、彼にぶつかることもなく素通りしていく。それは何とも言えない不思議な光景だった。


 たして彼は、何者なのだろうか……。


     ◆


 今日は5月1日の前日の夜。ワルプルギスの夜である。


 長い冬が終わり、5月1日から春が始まる。


 アウクトブルグの町の民衆たちは、春の訪れを祝う春祭りを迎え、皆が皆、羽目を外して浮かれ騒いでいる。


 町のあちらこちらでかがり火が焚かれ、さながらイルミネーションのようにキラキラと輝いている。


 広場には露店が立ち並び、既存の飲食店でも祭り用の特別メニューが振舞われていた。


 14歳となったマリア・クリスティーナ・フォン・ローゼンクランツは、祭りの喧騒けんそうの中で気分が高揚していた。


 これまで父母の引率下いんそつかで祭りを見学したことしかなかった彼女だが、今年になって初めて自分の意思で祭りを楽しむことを許されたからだ。


 もっとも、護衛の従者と面倒をみるメイドの付き添いがあってのことではあったが……。


 居酒屋に入り、祭り用の特別メニューを堪能しているマリア・クリスティーナは、気分良く果実酒の杯を重ねていた。


お嬢様ヘル フロイライン。いくら何でも飲みすぎでは?」

 お付きのメイドがいさめる。


 透き通るような肌に美しく輝く銀髪の可憐な少女のほほには赤みが差し、この年頃でしか出せない特有の妖艶ようえんな色気がいや増している。


 食事に満足したマリア・クリスティーナは、居酒屋を出た。

 その途端、祭りのクライマックスを迎えようとしていた町の凄まじい雑踏の中にたちまち飲み込まれてしまう。


 従者とメイドともはぐれてしまった。


 だが、酒も入り気持ちが大きくなっていた彼女は、さほど不安を感じていない。


(まあいいわ。そのうちに見つけてくれるでしょう……それより、折角なんだから祭りを楽しまなくっちゃ……)


 そのまま祭りを探索していた彼女は、広場で男女がペアを組んで楽しげに踊っているのを目にした。


(わあ。楽しそう……でも、私、一人だからな……)


 そこで、ふと一人でたたずむスラリと背の高い男性の姿が目に入った。真っ黒なコートを着ており、フードを深くかぶっているが、チラリと見えた顔はとてもハンサムに思えた。


 マリア・クリスティーナは、一瞬、キュンとした胸の高鳴りを覚える。


「ねえ。あなた一人なんでしょう。一緒に踊りましょうよ。せっかくのお祭りなんだから楽しまなくちゃ損よ」


 マリア・クリスティーナは、強引に男性の手をとると、踊りの輪の中に入っていった……。


 それは、いつもの彼女らしからぬ、軽率な行動に思えた。


     ◆


 翌朝。

 ベッドの中で目覚めたマリア・クリスティーナは、自分が全裸であることに気づき、仰天ぎょうてんした。


 二日酔いで頭痛がする中、昨夜の記憶をたどる……。


 うっすらとではあるが、頭を昨夜の情事の記憶がよぎり、彼女は青くなった。


 この世界では、処女性がとても重んじられている。裏返すと、未婚の非処女はゴミ同然の扱いだったからだ。


(私、なんてことを……)


 彼女は言葉を失った。


 一夜を共にした男の姿はもうなかったが、怖くなった彼女は、もはやこの場から逃げ出すことしか頭になかった。


 脱ぎ捨てられていた服をあわてて身に付けると、急いで家路についた。


 ふと振り返ると、自分が出てきた邸宅はかなり大きく、豪華なもので、上級貴族のものと思われた。


 息せき切って、ようやく自宅にたどり着くと、昨夜にはぐれてしまった従者が門前でソワソワとした様子で待ち構えていた。


お嬢様ヘル フロイライン!こんな時間までいったい何を?」


 マリア・クリスティーナは、これを無視して通り過ぎると、一目散に自室に向かう。

 扉の鍵を閉めると、ベッドで布団をかぶり、引きこもった。


 間もなく、ドンドンと扉を叩く音がすると、父であるグンターの声が聞こえた。


「クリス。開けなさい。こんな時間まで何をしていたんだ?」


 彼女は、声が聞こえないように耳を押さえると、必死に現実から逃避した。


 しばらくするとあきらめたようで、父の声もしなくなった。


 そのまま現実逃避を続けたマリア・クリスティーナだったが、夕刻になってようやく冷静になってきた。


(このまま続けても、何の解決にもならないわ……)


 彼女はベッドから起き出すと、両親の部屋へ向かう。

 覚悟を決めたとはいえ、その足取りは重かった。


 トン、トン。


 両親の部屋の扉を静かにノックした。


「クリスか? 入りなさい」

 穏やかな口調の父の声が聞こえた。


 そのまま恐る恐る扉を開けて部屋へ入る。

 父のグンターと母のマリア・テレーゼは穏やかな表情だった。


 少しだけ安堵あんどした。


「あんな時間まで昨夜は何をしていたんだ?」

 グンターが穏やかに尋ねた。


「それが……」


 が、そこでマリア・クリスティーナは、そこで口ごもってしまう。


(とにかく話さなければ……勇気を出すのよ……)


 しばらくの間、居心地の悪い沈黙が部屋の空気を支配する。


 そして、漸くマリア・クリスティーナは昨夜の出来事を話し始めた……。


     ◆


「そうか……」


 グンターは、そう言うなり黙りこくってしまった。


「まずはその男と話をつけるのが先決だな。屋敷まで案内しなさい」

「承知しました」


 マリア・クリスティーナに否やはなかった。


 しかし、彼女が両親を男の屋敷があったはずの場所に案内したとき、彼女は愕然がくぜんとした。


「そんなバカな……」


 目の前にはかなりの大きさの邸宅があったが、それは見るからに廃墟となっていた。


「場所を間違えたんじゃないのか?」


 父の言葉を受け、辺りを探索してみるが、結局見つからなかった。


「どういうことだ。悪魔か妖怪にでもかされたとでもいうのか?」

「それは……」


 思い当たる節がないではない。

 酒が入っていたとはいえ記憶が曖昧あいまいなことも怪しいし、そもそも自分があんな行動をとるなんて魅了魔法で精神支配されていたとしか思えない。


 マリア・クリスティーナは、魔導士ウィザードの称号こそ持ってはいないが、光と風の2属性が使えるで魔術師マジシャンで、その実力は帝都でも折り紙付きだ。

 魅了魔法は闇属性なので、その対極である光属性を持つ彼女を精神支配したとなると、相手は相当高位な何者かということになる。


 だが、ここで手詰まりだ。

 相手がどのような存在かは想像ができても、これ以上探す手立てがない。


 親子は意気消沈して、家路に着いた。


「相手は名乗らなかったのか?」

「それが……アルトゥル・フォン・ペンドラゴンと……」


「何だと!……明らかに偽名だな……」

「そうですね……」


 "アルトゥル"はエングランド語読みでは"アーサー"、すなわち伝説のアーサー王と同じ名前だ。おまけにペンドラゴンはアーサー王の父の姓である。これが実名であるはずがない。


「それにしても……なめられたものだな……」

「申し訳ございません。お父様」


 グンターはあきらめの表情で答えた。

「お前ほどの実力者がしてやられたのだ。仕方あるまい」

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