第29話 第三の魔法

「――三分。今まで〈カース・オブ・ヒュドラ〉を食らってここまで耐えたのはおまえが初めてだ」


 口から血を流し、倒れ伏すテオを見下ろしながら、夜見は煙草の紫煙を吐き出した。


「本来なら一分くらいで自殺するか狂い死にするんだがな。その精神力は見上げたものだが、最後の最後で選択を間違えたな」


 テオの切り札、『無為式・天衣無縫』は極めて強力な威力を誇る魔力砲ではあるが、術者へのバックファイアーもまた大きい。


「呪いに蝕まれた状態で大きな負荷がかかる魔法を使えば、体が壊れるのは自明の理だ。授業でも教えたはずなんだが……あ、しまった。それは中間試験明けの授業で教える内容だったか。それなら知らなくても無理ないな」


 もっとも、テオは教科書を手に入れたらその日のうちにざっと目を通すタイプなので、知っている可能性も否めなかったが。

 そもそも入学したての状態で、いきなりこんな実戦に巻き込まれると言う事態がイレギュラーなのだ。

 既にテオはぴくりとも動かない。

 体に限界を超える負荷をかけたことで、心臓が破裂したのだ。


「これだけ追い詰めれば、あるいはと思ったが……まさかこうなるとはな。思い通りにいかんのは、賭博も人生も一緒か」


 回復魔法を使ってももう無駄だろう。

 ここまで来てしまえば、蘇生魔法の領域だ。


「後始末は、外注で頼むか。連中もそれくらいは経費として認めてくれるだろ」


 踵を返し、しばらく歩いたところで、今回の目的はゼロを捕らえることだったことを思い出す。


「うっかりだな。本来の仕事を忘れるとは。最近はどうも忘れっぽくていかん」


 報酬を全額受け取ったので仕事の成否はどうでもいいのだが、次の仕事が回ってこない可能性もあるので、こなしておくことに越したことはない。

 欠伸混じりに振り向くと――テオが、立っていた。


「――マジか」


 煙草が地面に落ちる。


「まだ解呪していないし、あっちから解かれた感触もないんだが……」


 呪いに蝕まれ、心臓を破壊されても尚、テオ・リーフは立っていた。

 まるでタチの悪い冗談だ。

 〈カース・オブ・ヒュドラ〉の威力は伊達ではないことは、この呪いを作り出す過程で何度も死にかけた夜見が一番理解している。

 さらにテオは今、心臓を破壊されているのだ。


 そんな状態で生きて、立ち上がっているなんていうのはタチの悪い冗談でしかない。

 ある意味、狙い通りの光景ではあった。

 だが、いざそれを現実として叩き付けられると、僅かばかりだが蛇に睨まれた蛙のように硬直せざるを得なくなった。

 テオの顔から表情が抜け落ちていた。


 だが人形のように生気を失っていないのは、その目に宿る、刃物じみた眼光のせいだろう。

 睨まれた場所から、血が噴き出しかねない。

 無論そんなことはあり得ないのだが――もしやと思うくらいその眼光は鋭い。

 静かに息を吐く。

 大気が歪む。


 周囲に漂う魔力が、火花を散らしていく。

 夜見は反射的にコートを盾にして後方へ飛んだ。

 来る。

 第一の魔法〈天衣無縫〉

 第二の魔法〈有象無象〉

 これからテオが口にするのは、それらに連なる第三の魔法――


「『無為式――無我夢中』」


 二つの声が重なる。

 瞬間、空間が爆ぜた。

 周囲のガラスが一瞬で全て砕け散り、校舎そのものがギシギシと悲鳴をあげている。

 テオを中心に放たれる魔力の波動に、夜見はさらに後退する。

 放たれる光に遮られ、何が起きているのかは分からない。

 やがて光は収束して消えた。

 そこに立っていたのはテオ・リーフ――ではない。


「やあ黒魔術師。調子はどうだい? ちなみに僕は、絶好調だ」


 人を全身全霊で小馬鹿にしたような笑みの主は、紛れもなく無の精霊――ゼロだった。

 だが、今までの彼女の姿とはまるで違う。

 成長していた。

 170センチを優に超える長身で、ぼさついた銀髪は腰まで伸びている。

 そして手に握られているのは精霊剣無式・零。

 白銀の宝玉は、鮮血をそのまま固めたように真っ赤に染まっていた。


「これが――第三の魔法か」


「その通り。生と死の境界線にて、我が主が掴み取った奇蹟だよ」


 ひゅうと、夜見は小さく口笛を吹いた。

 魔法師の成長速度は様々だが、共通してその能力が引き出される場面がある。

 それこそが、死だ。

 生と死を隔てる境界線。


 その線に触れることで、魔法師は自らの潜在能力をより引き出すことが可能とされている。

 無論、一歩間違えれば本当に死に至るので、表面上はタブーとされる行為だが、テオ・リーフはそれを乗り越えたのだ。

 そしてそれが偶然、〈無我夢中〉のトリガーとなった訳だが、


「あのバカはどうした。まさかあれだけもったいつけておきながら、術者の体を精霊が乗っ取るだけというオチはないだろう」


 今目の前にいるのはゼロだけで、テオの気配すら感じない。


「我が主は、極限の集中状態にある。だからこうして、人格は僕が担当しているのさ。もっとも、我が主自身も目の前の君をちゃーんと認識しているよ。ぶっとばすべき、敵としてね」

「なるほどな……」


 今もテオは、あの呪いに犯されている。

 それにも関わらず――いや、だからこそか。

 あれだけの苦痛が気付けになって、集中力が極限まで高まっているのだと、夜見は理解した。


「私のとっておきの呪いを、気付け代わりとはな。狙い通りではあるが……複雑だな」


 魔法師のプライドなんて持ち合わせていないと思ったが、どうやら少しはあっていたらしい。

 こんなところで、夜見はわりとどうでもいい発見をした。


「と言うわけで、試合再開といこう。試運転とはいえ、壊れるなよ? 黒魔術師」 


 瞬間、ゼロの姿が掻き消えた。

 そう認識した時には、夜見の体は壁を突き破り、空中に投げ出されていた。

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