SAVE ME

吉村杏

1

 洋上に展開する空母インヴィンシブルへと飛ぶ間、トラヴィスは狭苦しいC‐2Aグレイハウンド輸送機の座席に縛りつけられるままになっていた。士官の乗客は彼ひとりだったし、どのみちエンジンの騒音がひどい機内では、好き好んで彼に話しかけようというものはいない。

 だから二時間の飛行時間中、彼は誰とも口をきかなかったが、それが今の彼にはかえってありがたかった。他人の操縦する飛行機に乗るのは久しぶりだ。ゆっくり考える時間がもてる。トムキャットからホーネットへの機種転換訓練の間は、新しい機体に慣れるのに精一杯で、余計なことを考えているひまなどなかったからだ。そんなことをしていれば墜落する。

 トラヴィスは目をつぶり、ホーネットのコクピット内での動作をそらで反芻した。もう何百回とやっている動作だ。

 ときおり、操縦桿を握っているつもりの右手がぴくりと動く。トリガーを引いているのだ……。

『フォックス・ツー!』

 頭の中で声が響く。ミサイルの発射を告げるその声は、演習中の自分のものだろうか、それとも――。

 不意に、爆発炎上するトムキャットの映像がまぶたの裏に現れ、トラヴィスは目を見開いた。コバルト・ブルーの空をバックに、無数のジュラルミンのかけらに分解された機体が、黒い煙の尾を引きながら地上へ落ちていく――その光景が。

 しかし目を開けるとそこは薄暗い輸送機の中で、彼の体はシートベルトでがっちりと固定されていた。体を震わせているのは爆発の衝撃ではなく、アリソン・エンジンの振動だ。

 トラヴィスは大きく息を吐くと、短く切った黒髪に片手をつっこみ、くしゃくしゃと掻き回した。地肌にはいやな汗がにじんでいた。

 時間がありすぎるというのも考えものだ……彼は思った。思い出したくないものまで思い出してしまう。

 まさにそれが、彼が二週間の休暇を十日も早く切り上げて、太平洋艦隊の空母飛行隊への転属を希望した理由だった。そのためにわざわざワシントンまで長距離電話をかけ、慣れない、政治的駆け引き、というやつも演じてみせたのだ。

 飛ぶことに対する情熱は衰えていない、と彼は思う。海軍が命じるならどんな場所へでも飛んでいってみせる。だが、あの空を思い出す場所に居続けることはできない。彼のことを気遣う飛行隊長スキッパーの目、慰めの言葉をかけてくれる同僚たち、新しく組むことになる相手――それらすべてから遠く離れて、自分のことを知るもののいない場所で、もう一度己を試してみたい。自分にそれだけの気概があることを証明してみせるのだ……。

 トラヴィスは再び目を閉じた。今度は機体の振動と、騒音から耳を守るヘッドホンによって作られた静けさが、彼をつかのまの眠りに誘う。

 夢の中で、彼の乗るトムキャットは瀕死の魚のように身をよじり、右へ左へと旋回する。ヘッドセットの中に鳴り響くのは、ミサイルに捕捉されたことを告げる不快な電子音。

 突然、キャノピーの外の空が真っ暗になる。雷雲の中に突っ込んでしまったときのようだ。

 彼は後席の相方にむかって叫ぶ。何を叫んでいるのか自分でもわからない。音がすべて闇の中に吸い込まれてしまったかのよう。返答はない。バックシートごと消えてしまったのか?――まさか。

 確認するためにうしろを振り向こうとするが首が動かない。すさまじいGが彼の体をシートに押しつけている。

 警告音は耳元で泣き女バンシー〔*〕のように金切り声をあげ続ける。間隔がどんどん短くなる。だが、最後の瞬間はなかなか訪れない。これが永遠に続くのか?

 トラヴィスは両脚のあいだにある射出座席ハンドルをさぐった。しかし、その手はコクピットの外と同じ虚空を掻いただけだった――ハンドルが、ない!

 やがて機体は力尽き、彼はまっさかさまに闇の中へと落ちていった。


*アイルランドの妖精。死が間近に迫っている人間の前に、泣きながら現れる。

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