第13話 魔法使いの男
「そのまま動くなよ。目も逸らすんじゃねぇぞ」
男の顔が急に険しくなった。言う通りに神坂は体勢を維持しながら翼の獣を見つめ返す。よく見ると獣の顔は犬というよりジャッカルに近い。全身はふわふわした真っ白な毛で覆われている。獣は牙を剥き出しにして、声を発する事もなくただこちらを観察しているようだった。
どれくらいの時間が経っただろう。気が済んだのか翼の獣は獲物を咥えたまま、バサっと音を立てて真上へ飛んだ。それからある程度の高さまでいくと、道の先にある草原の方角へ向かって羽ばたいていった。
「もういいぞ」
男がそう言うと、神坂は全身の緊張が解けて、はぁと大きく息をついた。
段々と小さくなっていく翼の獣を眺めながら男はしみじみとした声で言った。
「あー、あっち行ったか。あいつはもう駄目だな」
そこからは一瞬だった。草原のさらに向こうの空。上空全てを覆うようにして何かがそこに浮かんでいた。信じがたいことに、それはひとつの生物だった。
その生物は翼の獣をひと口で飲み込んだ。生物の体長は約四十メートル。だいたいビル十階分くらいのサイズになる。背中には体以上に大きな翼があり、それはまるでカーテンのように太陽を包み隠していた。体表は鱗状の硬い皮膚を鎧のごとく全身に纏っている。頭部は爬虫類に近いが、それよりもずっと恐ろしい顔をしていた。それはまるで。
「あれは、竜だな」
もしこの人が偶然通りかからなかったら、俺は今頃…………。
神坂は背筋がゾクリとした。一歩間違っていれば自分がこうなっていたのかと思うと、怖くて仕方がなかった。それから神坂は、ただ呆然と竜が小さくなっていくのをしばらく眺めていた。
「そうだ、まだ話の途中だったな。俺はルーカスだ。あんた、名前は?」
まるで神坂の気を紛らわせるかのように男は話し始めた。
「名前……、ですか? 新一です」
「シェンツィー?」
「シンイチ」
「シンツィー?」
「シ、ン、イ、チ」
何度言っても通じない。ルーカスにとって新一という言葉はどうも聞き取りと発音が難しいようだった。
「シン……イチ……。なんだか呼びにくい名前だな。シンでいいか?」
「……はい」
ルーカスは四から五十代の男性で、右眉の上辺りに傷があり、銀色の髪をしている。目鼻立ちはくっきりしていて、瞳は透き通った綺麗な青色。歳に反して肉体は筋骨隆々としている。服装は上がペルシャ絨毯のような柄のシャツで、下はからし色のズボン。足にはサンダルのようなものを履いていて、服の上から焦げ茶色のローブを羽織っている。
「決まりだ。ところでシンは、どうしてあんなところで倒れてたんだ?」
「それが、あんまり覚えてなくて」
本当の事を言ったところでとても信じてもらえないと思ったので、神坂は言葉を濁した。
「そうか。これから行くあてはあるのか?」
「特に、ないです」
ルーカスは神坂の表情を見て、概ねの事情を察した。
「じゃあ、俺と一緒に来るか?」
渡りに船とはこのことだと神坂は思った。たった今、目の当たりにしたばかりの過酷な現実。これから生き残っていける自信が、神坂にはなかった。
「はい、お願いします」
自分では気がつかなかったが、神坂はこの時、この世界に来てから一番穏やかな表情をしていた。
「決まりだな。よろしくな、シン」
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