第2話 「チーコ」 自分がここにあることの不思議

  

  1、女性の出勤まで


1人の男が部屋の隅に置かれた文机に向かってマンガを描いています。どうやら男は漫画家で、歳は30になるかならないかくらいでしょうか。

この物語は、そんな男が女性と暮らし、ある生き物を通して、2人の関係と自分が生きてここにあることの不思議を描いた、昭和41年の作品です。

つげ義春さんが、まさに新しい境地を開いた頃の、ガロという漫画雑誌に掲載された傑作の一つで、つげ義春29歳の時の作品です。

ちょうど、この年齢を考えると、主人公につげ義春さんを重ねて見てしまうのは私だけではないでしょう。そしてここに描かれる、まさに“絵を通して伝わってくる主人公の内面”は、つげ義春さんの内面そのものであったと思います。

つげ義春さんの作品は、どこまで実際そうなのかはわかりませんが、どうしても主人公と作者がダブって見えてしまいます。

これもつげ義春さんの作品の特徴のひとつでしょうか。


前置きはこのくらいにして物語に入りましょう。


その男の部屋は狭くて古く、ちょっと貧しそうな佇まいです。しかし今なら考えられないようなことかもしれませんが、どうやら庭もついているようなのです。羨ましいです。


そして彼が「フーッ」と横の壁にもたれて一息ついた時、後ろの縁側の扉を1人の女性が外からガラッと開けて、

「あんた!」

と何かを発見したように呼びかけます。

この女性は誰なのか?

彼女は前髪は短く、後ろの髪を結い上げていて可愛らしく、男の妻なのか同棲相手なのか、とにかく縁側に座るなり、

「私いいもの見つけちゃった」

と言うのです。

「何を?」と尋ねる男に、

「ねえ買ってもいいでしょう」と畳みかけます。

「だから何を?」

と冷静な男に、女性は、

「文鳥」

と言いました。

実は女性は前から欲しいと思っていた文鳥のヒナを、駅前の鳥屋さんで見つけたというのです。

女性が随分ねだり、男のほっぺたを人差し指でつつきながら

「ねえ買って」

などと甘えても,600円という値段を聞いて「たけえよ」と男は言います。しかし女性はパチンコをやめて、そしてやったつもりで600円を貯めていたのです。

と、気がつくと女性はお店へ出勤する時間になっていました。

「あーあまた酔っぱらいの相手するのか」と、女性は気が重そうです。

「あんた、こん中にもやしとソーセージ入ってるからね」「いためるのよ」と、持って帰って来た買い物かごを指差しながらの彼に対する気づかいもそこそこに、女性はコートを羽織り、2人は腕を組んで家を出ました。

そして結局2人は駅前の鳥屋さんで文鳥のヒナを買います。

2人寄り添って店をあとにすると、そのまま駅の改札まで歩き、男は女性を見送ります。

女性とは、随分長い別れになるかのように、男は寂しげに女性の後ろ姿を見送るのでした。


  2、けんか


その夜、男はピピピピ、などと言いながら、ヒナにお湯で柔らかくしたエサをやります。

そして夜遅くなると、彼女を迎えに駅に向かうのでした。

駅では電車が到着するたびに、たくさんの乗客が改札を出てきます。しかし、待っても待っても彼女は出てきません。

とうとう終電にも彼女は乗っていませんでした。

「どうしたんだろう」

駅をあとにした男が自宅に戻ってくると、鍵が開いています。

中に入ると真っ暗な部屋の中に、彼女が横たわっています。そして彼女はすっかり酔っているのです。

こんなことは今までないことでした。彼女は絶対飲まないのです。

彼女は苦しそうです。

話を聞くと、どうやら初めて自分を指名してくれたお客さんがいて、断れなかったのだそうです。

で、なんだかその男の人は彼と同じ歳で車を乗り回し、てんでかっこよく、新宿へ出てそこでまた飲まされ、それからまた少しドライブしたというのです。

彼は彼女に詰め寄ります。どこまでドライブしたのか、どの辺を走ったのか、そして挙句の果てに、

「へん あやしいもんだ」

というのです。これにはさすがに彼女も怒りました。

「そんなに私のことが気になるのなら早くお店をやめさせてよ」

「ほんの一時しのぎと言ったくせに」

そして

「アーッ くやしい」

そう言って彼女は布団に潜り込んでしまうのでした。


  3、ここにあることの不思議


さて、この物語にはまだまだ続きがあります。このあとふたりはどうなっていくのでしょう。

文鳥のヒナはすっかり成長し、自分の羽根で飛べるようになりました。バタバタと、羽ばたいて窓辺にとまり、キョロキョロとしています。

そうです。文鳥はヒナの頃から大事に育てれば、大きくなっても逃げないのだそうです。文鳥はまたバタバタと飛んで、漫画を描く男の机の上に降り、ペンをチチチ、とつつきます。

「ダメよ チーコ お仕事の邪魔をしては」と女性が手のひらに乗せ、自分の唇に近づけたりします。

そうです。文鳥はチーコと名付けられて2人に可愛がられているのです。

どうやら2人の仲もとてもうまく行っているようです。2人はチーコを間にしてじゃれあい、幸せを実感しているようです。

「チーコは幸せの青い鳥よ」と彼女は言います。


しかし、事件はある夜ちょっとしたことから起こります。

女性が夜の仕事に出かけている時、男はチーコのスケッチを描きます。動くとうまく描けないので、男はチーコを煙草の箱に入れて描くのです。

スケッチを描き終えた男は「それッ!」とチーコを宙に放りました。チーコはスルリと箱から逃げ出し、部屋の中を飛び回ります。

「うまい!」と面白くなった男はもう一度箱に入れてチーコを宙に放り投げます。するとチーコは今度はそのままうまく逃げられずに垂直にドサ、と墜落して苦しみながら死んでしまうのです。

「嘴がまっ白になっていく」

と男は呟き、死んでしまったチーコの死体を庭に埋めてしまいます。


男は女性に「チーコは逃げた」と嘘をつきます。

女性は「あんたヤキモチやいて殺したのよ」と男の言葉を信じようとしません。

すると庭にいた女性が突然、

「あんたチーコいたわよ」

と笑顔で告げます。男が驚いて庭に下りると、確かに植え込みにチーコがいて男は「アッ!」と驚くのです。しかし、よく見ると、それは昨夜自分が描いたスケッチなのでした。

「ネ 本物みたいでしょ」

と女性は笑います。

「チーコ チーコ」

と女性はそれが本物のチーコであるかのように呼びかけ、枝先でツンツンと絵をつつきます。このあたりから、読者はスケッチのチーコが、あたかも本物のチーコであるように感じ始めます。と、

「アッ」

風が吹き、絵が空に飛んでいくのです。 

飛んでいく絵を見上げ、女性はもう一度声をかけます。

「チーコ チーコ」

最後はまるまる1ページ使い、漫画家である男が描いたチーコが本物の文鳥のように飛んでゆく絵が描かれ、男と女性がその絵をじっと見上げているところで終わります。そのラストの絵は、つげ義春のペンが不思議な効果を醸し出し、深い感慨を呼び起こすのです。

 

この物語では、このチーコが重要な存在となっています。そしてチーコを通して、主人公は今自分がここにあることの不思議、つまり1人の女性と暮らし、自分はこれからどこへ行くのか、自分とはどういう存在でどうなるのか、そうした不思議を読者に伝えて、読者自身のアイデンティティを揺さぶるのです。


どうしてこんな描写ができるんだろう?

どうしてこんな表現ができるんだろう?

つげ義春って、本当に不思議。

この話を読み終わって、私はつくづくそう感じました。

皆さんだったら果たしてどう感じられるでしょう? ラストの描写を私があまりうまくできなかったことだけは皆さまに申し訳なく、心残りですが。


私がこの漫画を読んだのは高校3年生の時です。

残念なことに、前にも書いた通りこの作品は昭和41年の作なので、絵も現代の漫画からするとあまりにも古く、現代的なマンガしかご覧になっていない読者さまには、まずそこが不満に感じられてしまうかもしれません。

それは仕方のないことだと思います。私が読んだ時でさえ、もう「チーコ」の絵柄を古いと感じたのですから。

それに、漫画は映画などと違って、デジタルリマスターなどのように画像を修正するなどということはできません。

つげ義春さんにも本当に申し訳ないけど、隔世の現実はどうしようもなく作品に迫ってきています。


あの感動を現在に蘇らせることは果たして可能なのでしょうか?


私には、分からないのです。


長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方々には心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

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