超コワい将軍様と結婚することになりました

亜逸

本編

 男爵家令嬢ステラ・ルクスは、目の前の偉丈夫いじょうふに、ただただ恐怖していた。


 熊と見紛うほどの巨躯。

 短く刈り込まれた淡い金髪の下に見える、猛禽の如き鋭い碧い瞳。

 その身には王国軍の将軍服を纏っており、醸し出される雰囲気はまさしく歴戦の猛将と呼ぶにふさわしい。

 これで年齢がステラよりも二つ上――二三歳という話だから、信じられないどころの騒ぎではない。


 そんな偉丈夫の名は、ゴリアデス・メナス・ヴァルガード。

 この名前からしてなんかコワそうな将軍様と、幸か不幸か結婚することになってしまったのがステラだった。


 どうにもこの結婚は、ヴァルガード公爵家から持ちかけてきた話らしく、王国軍史上最年少の将軍の義父になれると知ったステラの父は、二つ返事でその話を受けた。

 当主である父の意向に小心者のステラが逆らえるわけもなく、あれよあれよという間に事は進んでいった。

 そうして、ゴリアデスと新婚初日を迎えることになったわけだが、


(もうかれこれ三〇分くらい黙ったままなんですけどぉ……。誰か助けてぇ……)


 今この部屋には、ステラとゴリアデスの二人だけしかいない。

 使用人がいらぬ気を利かせてくれたおかげで、二人きりにさせられてしまった次第だった。


 不意に、ゴリアデスの口から重々しいため息が漏れる。

 ステラは思わず、ビクリと震えてしまう。


「そんなザマで、王国軍将軍の妻が務まると思っているのか?」


 無理ですぅ――と心の中で思えど、さすがに口に出す勇気はなかったので、蚊の鳴くような声で「そんなことは……」と、曖昧な返事をかえす。


「……もうよい」


 そう言い捨てると、ゴリアデスは踵を返し、部屋から出ていく。

 そのことに心の底から安堵したステラだったが、いくら親が決めた結婚とはいえ、自分の夫に対してそれは失礼だと思ったので、両手でペチペチと自分の頬を張って気合いを入れた。


「がんばらなくちゃ……ですよね」




 ◇ ◇ ◇




 諸々の過程をすっ飛ばして結婚したせいか、新婚初夜であるにもかかわらず、ステラとゴリアデスは別々のベッドで寝ることとなった。


 そのことにまたしても安堵してしまったステラは、自戒しながらもなんやかんやでぐっすりと眠り……翌朝、侍従の服に着替えて館の掃除を開始する。

 将軍の妻にふさわしくない行為かもしれないが、ステラにとって胸を張って得意だと言えるものは家事これしかなかったので、使用人たちの反対を押し切り、実行に移した次第だった。


 館中を箒で掃き清め、拭き掃除を始めたところで、どこからともなく現れたゴリアデスが声をかけてくる。


「何をしている?」


 もともと声に険があるせいか、咎められているような気がしたステラは「はひっ」と裏返った返事をかえしながらも、恐る恐る弁解する。


「そ、その……昔からお掃除とか……お料理とか……お洗濯とか……とにかく家事をするのが好きだから……ここでも、やらせてもらおうかなぁって思いまして……」

「……そうか」


 かえってきたのは、素っ気の欠片もない一言だった。

 顔色を窺おうと恐る恐る顔を上げるも、猛禽の視線とかち合った瞬間、すぐさま顔を下に向けてしまう。

 そんなステラを憐れに思ったのか。ゴリアデスは重々しいため息をつくと、


「勝手にしろ」


 その一言だけを言い残し、ステラの前から立ち去っていった。


 例によって、目の前から夫がいなくなったことにステラは安堵しそうになるも、それでは駄目だと何度もかぶりを振る。

 まだ夫婦と呼べるような間柄にはなっていないけれど、結婚した以上は妻として、自分なりのやり方で夫を支えてあげたい――その一心を胸に、掃除を再開した。




 ◇ ◇ ◇




 家事の中で、ステラが最も得意としているものが料理だった。

 朝は忙しくて食べる暇がないということなので、昼は腕によりをかけた料理をゴリアデスに振る舞おうとステラは意気込むも、


「これは、其方そなたが作ったのか?」


 いざ彼の前に立つとビビり倒してしまうステラは、掃除の時と同じように「はひっ」と裏返った返事をかえしながらも、ゴリアデスの前に手料理を並べた。


「ゴ、ゴリアデス様は……お肉が好きだと聞いたので……肉料理を中心につくってみました……」


 びくびくおどおどした説明のとおり、主菜は牛肉の赤ワイン煮とローストビーフ。

 残りは、パンとサラダとスープという献立だった。


「其方の分はどうした?」


 ゴリアデスからの問いに、ステラは「へ?」と間の抜けた声を漏らし……すぐに気づく。

 自分の分を用意することを、すっかり忘れてしまっていたことに。

 ゴリアデスに手料理を食べてもらうことばかりを考えていたせいで、彼と一緒に食事するという発想が盛大に抜け落ちていた。


「えっと……あっと……わ、私は後からいただきますので!」


 例によって裏返った声で答えると、


「……そうか」


 返ってきたのは、家事をすることを許してくれた時と同じ、素っ気の欠片もない一言だった。


 気まずい沈黙が、ステラの肩にのしかかる。

 そんなものに耐えられる胆力などあるはずもなく、


「りょ、料理が冷めちゃいますので! 私のことは気にせず召し上がっちゃってください!」


 若干涙目になりながらも食べるよう促した。


「……そうだな。いただくとしよう」


 思いのほか素直に従ってくれたゴリアデスが、牛肉の赤ワイン煮を口に運ぶ。

 ステラが固唾を呑んで見守る中、今度はローストビーフを口に運び……ため息をつく。

 そしてポツリと一言、料理の感想を述べた。


「悪くはない」


 受け取り方によっては褒め言葉に聞こえなくもない。

 だが、感想を述べる前にため息をつかれているせいで、ステラは今の言葉を前向きにとらえることができなかった。


 それからゴリアデスは黙々と食事を続け、ステラの手料理を一つ残らず平らげる。

 そのこと自体は素直に嬉しかったけれど。

 使用人たちが言うには、ゴリアデスはどんな料理でも残すような真似は一度もしたことがないという話なので、手放しに喜ぶができないステラだった。




 ◇ ◇ ◇




 自分なりにできることを頑張るステラに対し、ゴリアデスが素っ気ない反応をかえす……二人の新婚生活は万事が万事そんな調子だった。


 そして半月が過ぎた頃。


 とうとうと言うべきか、ついにと言うべきか、将軍ゴリアデスの妻として、社交界に顔を出さなければならない日が訪れてしまった。


「……なんだ、そのドレスは?」


 館を出る前、ゴリアデスの口から出てきた一言に、ステラはビクリと震える。

 これから赴く社交パーティの場で悪目立ちしたくなかったステラは、将軍の妻という体面を保てる範囲でできるかぎり地味めなドレスを選んでいた。

 どうやらそれが、ゴリアデスの癪に障ったらしい。


「あの……その……すみません……」


 小動物さながらにカタカタと震えながら謝るステラを憐れんだのか、ゴリアデスは深々とため息をついてから言い捨てる。


「まあいい。行くぞ」


 言われるがままに馬車に乗り込み、馬車に揺られるがままに王城へ向かい、促されるがままに社交パーティの会場となる大広間に足を踏み入れる。


「国王様に挨拶してくる。其方はここでおとなしく待っていろ」


 それだけ言い残すと、ゴリアデスは足早に大広間から去っていった。

 一人取り残されたステラが、所在なさげにしていると、


「ねぇ、アレ見て。彼女が例の娘じゃない?」


「ああ。ゴリアデス将軍が娶ったっていう」


「どうして将軍は、あんな小娘を?」


「家柄もたいしたことないのに」


 パーティに出席している貴族たちの口から、ステラとゴリアデスの結婚について否定的な言葉がチラホラと聞こえてくる。

 誰も彼もがこちらに聞こえる声量で言ってくるものだから、小心者のステラからしたらたまってものではなかった。


 今すぐこの場から逃げ出したい。

 けれど、ゴリアデスに「ここでおとなしく待っていろ」と言われた手前、それも叶わない。

 そもそもステラ自身、夫を置き去りにしてまで逃げ出すなどもっての外だと思っている。


 だから、耐えるしかなかった。

 聞こえないフリをして、耐えるしかなかった。


 けれど、


「見てよアレ。これだけ言われてるのに、何も言い返さないわよ」


「やれやれ、どうやらゴリアデス将軍は女を見る目がなかったようだな」


「そもそもの話、あの堅物に女を見る目があると思うか?」


「あの若さで将軍に選ばれるだけあって、いくさしか能が無いらしいな」


「野蛮ねぇ」


 ゴリアデスの悪口が聞こえてきた途端、カチンときてしまった。



「い、いい加減にしてくださいっ!!」



 裏返った声で、叫ぶ。

 今さら反論されるとは思っていなかったのか、好き勝手言っていた貴族たちは揃って目を丸くし、口を噤んだ。


「わ、私のことを悪く言うのは構いませんっ! で、ですがっ! 夫のことを悪く言うのはやめてくださいっ!!」


 言いたいことを言ったステラは、威嚇する小動物のように「ふーふー」と息を荒げるも、少しずつ怒りの熱が下がっていた頭が今の自分がどれだけ悪目立ちしているのかを把握し、羞恥の熱が瞬く間に顔いっぱいに拡がっていく。


 その様子を見てもうこれ以上の反撃はないと思ったのか、貴族たちはこぞってステラに罵声を浴びせた。


「な、何が夫のことを悪く言うなだ!」


「将軍が悪く言われてるのは、そもそもあなたが原因じゃない!」


「男爵家風情が偉そうに!」


「身の程を弁え――」



「弁えるのは其方らの方だろう」



 静かな物言いとは裏腹に、不思議とよく通る男の声が耳朶じだに触れる。

 その声に怒気が混じっていたせいか、声の主が何者なのか誰も彼もがわかってしまったせいか、先程までの喧噪が嘘のように、しんと静まり返る。


 静寂の中、現れる。

 ステラの夫であり、王国軍の将軍であり、一言で貴族たちを黙らせたゴリアデスが。


「いったい何がどうなってこのような状況になっているのかは知らんが、これだけは言っておく。これ以上、妻への侮辱を続けた場合、このおれ……ゴリアデス・メナス・ヴァルガードが其方らの敵になると知れ」


 誰も彼もが息を呑む。が、貴族としての意地が言われっぱなしのまま終わることを良しとしなかったのか、誰かが、周りに同意を求めるようにこんなことを訊ねてくる。


「つ、つまりは、ここにいる貴族の全てを、敵に回すという認識でよろしいですかな? 将軍」


 これだけの騒ぎになっていることもあって、ステラとゴリアデスを遠巻きにしている貴族の数は一〇や二〇では利かない。

 そして、この状況における「敵に回す」という意味は当然政治的な意味であって、ゴリアデスが得手としている武力ではない。

 そのことに気づいた貴族たちが、ここぞとばかりに強気に出始める。


「そ、そうよ! 将軍! 貴方の方こそ、私たち全員を敵に回すことを認識するべきだわ!」


「ヴァルガード家といえども、これだけの数の貴族を相手にできると思っているのか!?」


「ははっ! 考えてみれば、将軍一人が敵に回ったところで何も恐れることはない!」


「発言を撤回するなら今の内だぞ!」



「撤回など、するわけがなかろう」



 またしても、一言で、ゴリアデスは貴族たちを黙らせる。


「一つ忠告しておくが、おれは愛する者を護るためならば手段を選ばん。それを聞いてなお退かぬというのであれば……」


 凄絶な笑みを浮かべ、凄絶な言葉をつぐ。


「いいだろう。このおれが、心ゆくまで其方らの相手になってやろう」


 しん、と静まり返る。

 誰も彼もが若き将軍に気圧され、しわぶきすらも漏らせない有り様になっていた。


「……ステラ」


 突然ゴリアデスに名前を呼ばれ、いつもどおりに裏返った声音で「はひっ」と応える。


「国王様への挨拶を済ませた以上、無理してここに残る理由もない。帰るぞ」


 ステラは返事をかえそうとするも、それよりも早くにゴリアデスがこちらの手を握ってくる

 何でも握りつぶせそうな大きさとは裏腹の、ガラス細工を扱うような優しい手つきで。


 その大きな手に引かれるがまま、パーティ会場を後にする。

 色々ありすぎて理解が全然追いつかないけれど、



おれは愛する者を護るためならば手段を選ばん』




 そんな嬉しい言葉が聞けたせいか。

 つい頬を緩ませてしまうステラだった。




 ◇ ◇ ◇




 城の外に出たところで、ゴリアデスはようやく口を開く。


「まったく……愚かな真似をしてくれたものだな」


 いつもならば、その言葉に恐れおののいていたところだが、


(私のことを愛してくれているのなら、きっとそれは別の意味がこめられているはずだから……)


 これは確信に近い推測だが、どうもゴリアデスは言葉選びが絶望的なレベルで下手くそなのかもしれない。

 でないと、愛する者と断言した相手に、ああも威圧的な言葉や素っ気の欠片もない言葉をかけるわけがない。


 ゆえにステラはゴリアデスの心中を推し量り……かなり妄想と希望的観測が混じっていることを自覚しながらも訊ねた。


「それってつまり……私のことが心配だから、あまり無茶はするなっていう意味ですか?」


 馬車を目指して歩いていたゴリアデスの足が、はたと止まる。

 外はもうすっかり暗くなっているせいで断言はできないが、心なしか彼の耳が赤くなっているように見えた。


「……そのとおりだ」


 いつもどおりの重々しい物言いで認める。が、なぜかゴリアデスは、こちらに振り返ろうとする素振りすら見せなかった。


(もしかして……照れてる?)


 そんな疑念を抱いているステラをよそに、ゴリアデスはこちらに背を向けたまま話を続ける。


「聞こえていたぞ。おれのために怒ってくれた、其方の声が」


 あれほどの大勢の前で啖呵を切ったことを今さらながら実感したステラは、「そ、それは……」と言いながらも頬を赤くするも、


。其方は」


 続く言葉に、頬の熱さも忘れて目を見開いてしまう。


「あの……今の言葉は、どういう意味ですか?」

「やはり憶えておらぬか。まあ、当時のおれは、今と違って其方とそう変わらぬ体格をしていたから、そうであろうとは思っていたが」


 いまだ顔をこちらに向けてはくれないが、ゴリアデスが自嘲めいた笑みを浮かべていることだけは察することができた。


おれがまだ一〇歳にもならぬ時の話だ。その頃のおれは、先にも言ったとおりに体が小さくてな。武門の出のくせに弱すぎたせいで、よく周りから馬鹿にされていたのだよ。その現場に偶然居合わせた其方が、馬鹿にする者たちからおれを護ってくれたのだ」


 ステラは思わず「あっ」と声を上げる。

 確か自分がまだ七歳か八歳かだった頃、二歳くらい年上の少年が寄ってたかっていじめられているのを見て、思わず助けに入ってしまったことを思い出す。


 その頃のステラも当然小動物然としており、助けに入ったところで何の役にも立たず、結局たまたま居合わせた大人が場を収めたため、ステラとしては少々恥ずかしい思い出だが、


「当時のおれにとって、其方の行動は実に衝撃的だった。おれよりも年下の少女が、おれよりも強い者たちに立ち向かっていったのだからな」


 どうやらゴリアデスはそうは思っておらず、ステラのことを褒め称える。


「子供心に其方に憧れたよ。其方の勇気と高潔な在り方に。おれくありたいと思えるほどにな」

「そ、そんなことは……」


 褒められ慣れてなかったステラは、顔を赤くしながら照れるも……はたと気づく。


「も、もしかして……それが理由……なのですか?」


 それこそが、ヴァルガード家から、ひいてはゴリアデスからステラとの結婚を持ちかけた理由なのかと訊ねたかったけれど、気恥ずかしさが勝ってしまって曖昧な問いになってしまう。


 もっとも、ゴリアデスはしっかりとこちらの言いたいことを察してくれていたようで。

 わずかな間を挟んでから、こちらに顔を向けないまま首肯を返してくれた。

 今やはっきりとわかるほどに、耳を真っ赤にしながら。


 ちゃんと愛されている――その実感が湧いてきたステラは、たまらず後ろからゴリアデスに抱きつく。


「よ、よさないか……!」


 と、窘めはするものの、声音は珍しく動揺で揺れているわ、こちらのことを引き剥がそうとする気配が全くないわで、今まで散々彼に対して抱いていたコワさは、もう欠片ほども感じなかった。


(それどころか……この人、ちょっとかわいいかも)


 さすがにそこまでは口に出さなかったけれど。


 ステラはゴリアデスの愛に応えるように、ぎゅ~っと彼のことを抱き締めた。

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