第31話 『人生最大の決断』
鳥のさえずる声。
窓から差し込む朝日。
トントントントン
サイコロ状になった豆腐を、ガーッと煮えた鍋に流し込む。
湯気を避けながら鍋の中を覗き込む。
クルクルと鍋を混ぜると、味噌汁の中の味噌が、回るお玉に合わせてふわっと浮いて、綺麗な味噌汁の色として鍋一杯になじんでいく。
私はそのままお玉で味噌汁を掬うと口に付けた。
「あちっ!ふーっふーっ」
ある程度冷やしてからもう一度口に付ける。
おっ!美味しいじゃない。
味噌汁を最後に作ったのなんて高校の調理実習が最後じゃないかしら。
さすが私、やればできるんだから。
「よし、味噌汁完成!」
「あーちゃん?!?!」
私を呼ぶ声に振り返ると、ママがボサボサの寝癖で口を手で押さえて驚いたまま立ち尽くしていた。
「おはようママ」
ママは私に返事するのを忘れたまま、よたよたとキッチンに立つ私の傍に歩いてきた。
鍋から湯気が立っているのに気付くと、鍋の中をおそるおそる覗き込んだ。
「・・・・味噌汁・・・・?」
「そうだよ。飲む?」
私はママにお玉を手渡す。
お母さんは戸惑いながらも頷くと、私からお玉を受け取り鍋にそっと入れた。
掬いあげられた味噌汁は良い匂いを漂わせながら湯気を立ち上らせる。
ママがそれをそっと口にした。
「・・・・美味しい・・・・美味しいわ、あーちゃん!」
私は鼻の下をこする。
「まあ、味噌汁くらい簡単よ」
「・・・・一人でなんでもできるようになっちゃって・・・・・うわああああああん!!!!!!!!!」
ママが泣きながら私のお腹に抱き着く。
「ちょっ!ちょっとママ、やめてよ~」
「あーちゃん!!ママ、とても嬉しいわ!!いつの間にかちゃんと成長してたのね・・・・」
「当たり前じゃない。私を舐めないでよ」
「うぅっ!うわああああああん!!」
私ははにかみながら溜め息を吐いた。
今日初めて自分で朝食を作った。
今までママの作る朝ごはんはいつも私の好きなものばっかりだったし、満足していたからだ。
しかしダイエットを始めた今は違う。
ママの善意なのだろうが、私の好物であるホットケーキやフレンチトースト、エッグサンドなどは脂質も高く高カロリーでダイエットには向かないのだ。
折角頑張って運動しても、サラダばかり食べても、朝イチの朝食で全て台無しになってしまう。
でもママに『他の料理を作って』なんて言ったら悲観的思考のママはすぐに『私の料理が好きじゃないの?』と心配しそうだったから、親孝行という体で朝食を作ってみたのだ。
ヘルシーな和食。
味噌汁に卵かけご飯というとてもシンプルな朝食になってしまったが、まぁ、初日なのだからよしとしよう。
倉岡と別れるまであと9日。
******************
「先生、本当に、本当に予定通り、受け入れてもらえたんですね」
俺は前のめりに聞き返す。
白衣を着た先生は、メガネをくいっと持ち上げ、俺を見据えた。
「えぇ、本当です。約半年後、カルフォルニアの州立病院がお母さまの手術を実施する手筈が整ったと連絡が来ました。ただ、金額はやはり数億ほどかかるかと・・・・」
「それならあります。そのためにこれまで頑張って来たんですから」
俺は食い気味に返答する。
あぁ、自分でも興奮しているのが分かる。
「ただ、この手術も100%の成功率とは言えません。あくまでも臨床実験の段階の手術です。この手術を行うのに巨額の金額が掛かかるから、この実験が進んでいないとも言えます。倉岡さんほどの資産家じゃないと手術が実施されない。それだけ、手術の施術数が少ないのもご理解下さい」
「今までの手術実績はどうなってるんですか?成功した人はいるんですか??」
先生は俺から目を離さなかったが、すぐには返答しなかった。
先生は大きく息を吸うと、静かに口を開いた。
「奇跡は起こります。信じましょう」
その言い方から、全てを察した。
きっと、今まで手術に成功した人は居ないのだろう。
「・・・・・・少し、考えさせてください」
俺はそう言って席を立った。
先生は俺を止めなかった。
ふらりふらりと行きついた先は見慣れた病室。
母さんが眠っている部屋だ。
俺はずっと眠り続ける母さんを涙目で見つめた。
母さんの手に触れる。
いつもの温かい手。でも母さんは、決して握り返してはくれない。
「母さん・・・・・・俺、どうしたらいい??」
深呼吸をして心を落ち着かせる。
手術を受けることで母さんとまた話せるようになるかもしれない。
でも反対に、母さんの顔を二度とこの目で見ることが叶わなくなるかもしれない。
俺は、今こうやって母さんの温かい手を握っているだけで、満足してもいいんじゃないだろうか。
――――手術は、やめ・・・・
ティロリン♪
その時、俺の思考を遮るようにポケットでスマホがバイブした。
スマホを取り出すと、春日野綾乃からだった。
「ったく、何だよこんな時に・・・・」
俺は渋々通知からメッセージへ飛ぶ。
「――――!!!」
そこには、綾乃と、綾乃の母親が2人幸せそうな笑顔で写った写真が添付されていた。
『朝食、和食に変えてみたわよ』
そう言ってさらにブサイクな和食の写真が送られてきた。
「ははっ・・・・なんて幸せな奴だ・・・』
俺はまた、綾乃と母親のツーショットの写真を見つめた。
優しそうな母親。綾乃とは大違いだな。
その時、俺の中で何かが決まった。
俺はスマホを閉じると、床に跪き、母さんの手を両手で包んで顔を見た。
「母さん、俺、決めた」
そう呟いた声は自分でも驚くほど澄んでいた。
心なしか、母さんも微笑んでいるように見えた。
俺は病室を飛び出した。
俺は逃げないよ、母さん!
さっきまで先生と話していた部屋の扉を、勢いよく開けた。
先生は突然の出来事におののき、鼻からメガネがずれ落ちていた。
「く、倉岡さん・・・?」
俺ははっきりと、言葉を紡いだ。
「母さんを、アメリカに連れて行ってください!」
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