第25話 告白の返事
断るつもりだった。
恋愛とは、大なり小なりお互いに愛おしい気持ちがあって成立するし、長く続くのだろう。その恋愛感情という物が分からない僕が彼女の好意に甘えて、付き合い始めたとしてもどこかで軋轢を生むだろう。
だから、どう断るか。僕はずっと考えていた。
しかし、彼女は自分の誤解を解くために、勇気を出してくれた。いくら事実とは言え、あんな空気の中クラスのほとんどの人を相手に説明するには、どのくらいの勇気が必要だったのだろうか。それも自分の為ではない。そのことを考えると、胸を締め付けられる。
そんな事を悶々と考えていた4時限目の数学の授業中に、ふと武田の方を見ると、彼女もこちらに気が付いたようで、はにかんだような笑顔で小さく手を振ってきた。
彼女は凜々しく、美人で、頑張り屋で、優しい。あの日、一緒に居て心地よかった。普通に考えれば、彼女に告白されて断るような人はいないだろう。何が不満だと言われれば、何一つないだろう。そう、彼女に対しては。不満は自分という人間にある。いつからだろう。こんな、感情の欠けた人間になったのは。嫌、元からそういう人間だったのかも知れない。思春期になって、そうだと気が付いただけで。元々、感情の起伏が大きい方ではないと自覚はしていた。だからといって、彼女のこれまでの行動に心が全く動かなかったというのは嘘になる。
そして、放課後はやってきた。
別に約束をしたわけではない。しかし、武田は屋上にいた。もうすっかり暖かな日差しが降り注ぐ屋上で、僕達はあのベンチに座っていた。
「あの時以来初めて来たけど、大分様変わりしたね」
「そうだね。あの時は、先輩達が花を中心に植えてたけど、僕一人になったら、野菜中心に変更したんだ。でも、野菜だってちゃんと花が咲くんだよ。みんな、実に気を取られるけど、野菜のほうこそ、ちゃんと花が咲かないと実が付かない。だから、僕は野菜の方が必死に花を咲かしているようで好きなんだけどね……そうだ、記録会はどうだった?」
野菜の話をしても退屈だろうと考え、話題を変えると、彼女はガーベラのような笑顔を見せて、すらりと長く綺麗な指を二本立てて、僕に見せた。
「バッチリ、記録更新してきたよ。こんなところでつまずく訳には行かないからね」
「すごいな。武田さんは」
「すっきりした気分で、今日を迎えたかったから、頑張ったよ……それで、答えを聞かせてくれるかな」
そう言った彼女の顔は緊張で紅潮していた。僕の胸もドクドクと音を立てている。
言う言葉は決まっている。しかし、その前に言わなければいけないことがあった。
「そうだね。でもその前にお礼を言わせてよ。今朝はありがとう。おかげで、誤解が解けて本当に助かったよ」
「お礼を言われるようなことじゃないわよ。だって、当たり前の事じゃない。あんな勘違いをしたままなんて、誰にも良くない事よ」
「それでも、あんな中で話をするのは大変だっただろう」
「大変っていうか、ボクも結構頭にきてたからね。今だって、キミにあんなことをした連中を許す気にはなってないんだ」
「まあ、僕もまだ気持ちの整理が付いていないけど、一応の謝罪も貰ったし、君と黒柳さんが僕以上に怒ってくれたから、思ったより気持ちは落ち着いてるんだ」
「だったら良かった」
春の優しい風が屋上を舞い、遠くでヒバリの慌ただしく鳴き、グランドでは野球部やサッカー部などの運動部のかけ声が聞こえてくる。
暖かな春の光が葉に反射して煌めいた。
「ありがとう」
「ふふふ、それはさっきも聞いたよ」
武田は僕を見て笑う。その笑顔だけで、彼女を好きになる人が山ほどいるような、爽やかな笑顔だった。
僕は誤解が無いように、説明をする。
「違うよ。これは僕なんかを、好きだと言ってくれたお礼だよ」
「僕なんかって言わないでよ。菊池君は素敵だよ。みんなが、いや、菊池君自身も気が付いていないだけで」
「そうかな?」
「そうだよ。こう見えてもボクは人を見る目はあるんだから。菊池君が自分自身が信じられないなら、ボクを信じてよ。ボクが好きだという菊池君自身を」
僕は変わり者だと言われても、素敵だとなんて言われたことがなかった。だから自己評価が低いとは思っていない。そんなものだと諦めている。けれども、彼女はそんな僕を素敵だと言ってくれた。
「僕は物心ついた時から、友達の話を聞いても、ドラマや映画、小説や漫画を見ても恋愛感情って言うのがよく分からないんだ。食べ物や色が好きだというのと、異性が好きの違いが分からないんだ」
「……」
彼女はじっと話を聞いていた。
僕はひとつ、春風を胸に流し込んだ。
「だから、今、僕は武田さんの事を愛してるとは言えない」
「……うん。はっきり言ってくれて、ありがとう。覚悟は出来てた」
そう言って、立ち上がると僕に背を向けた。白いストライプの襟とパリッと折り目が綺麗なスカートがふわりと揺れ、一歩踏み出した時、そっとその背を引き留めるように僕は言葉を続けた。
「そんな不完全な僕でもよければ、お願いします」
彼女は背を向けたまま、白い肩の部分が小刻みに揺れていた。
「ねえ、ひとつ聞いて良い?」
「うん」
「恋愛的な意味じゃなくても良いんだけど……ボクのこと……好き?」
「うん、日曜日は楽しかったよ」
「女の子らしいところなんて、全然無いよ。月子や愛みたいに可愛くないし、髪だって短くして、胸だって小さいし、背ばっかり高いよ」
「ワンピース、よく似合っていたよ。サンドイッチ、美味しかったよ。他の誰がなんと言おうと、武田さんは綺麗な女の子だよ」
「自分の事をボクって言う女の子って変じゃない?」
「なんでかな? 逆に好ましいよ」
そう、なぜか初めから、武田のボクという一人称に違和など感じず、逆に懐かしさと愛おしさを覚えていた。
芯の部分は可愛らしい女の子なのに、男の子のような振る舞いをする武田は好ましかった。
僕の言葉を聞いて、彼女は背を向けたまま、投げかけられた声は少し震えていた。
「じゃあ、ボクのお願いを一つ聞いて貰って良い?」
「なに?」
武田はスカートを翻して、僕の方を見た。
「ボクの事を好きだって言って欲しいな」
「え!」
その彼女の顔は真剣そのものだった。冗談でもからかってもいなかった。
僕が恋愛感情が分からないということ理解して、それでも彼女のことを恋愛感情でないにしても好ましいと思っているか、言葉にして欲しいと言っているのだった。
あの時、口に出すことが出来なかった言葉を言う覚悟を決める。あの時とはいつだろうか? いや、今は昔のことではない目の前の女性に対して集中するべきだ。
僕は覚悟を決めた。
「……僕は武田さんが好きだ」
「さんは無くていいの」
「武田が好きだ」
「下の名前で」
彼女の声が少し弾んでいるように聞こえるのは、気のせいだろうか。
すでに二回も言った僕でも、下の名前呼びは少し躊躇するが、ひと息ついて言った。
「英里子、好きだよ」
「ボクの方がもっと好きだよ」
彼女は瞳に溜まっていた涙を飛ばして、僕に抱きついた。
『さよなら、ぼくの初恋』
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