第22話 救いの手

 僕のつぶやきを止める声が、空から聞こえてきた。いつの間にか、うつむいていた顔を上げると、そこにはセーラー服のまま、ほうきに乗った恋の魔女が空を飛んでいた。

 その姿を見ながらぼんやり『ああ、本当に魔女だったんだ』と考えていた。

 あまりの非現実な光景は、麻痺した心に素直に受け入れられた。

 ぼんやりとしている僕に向かって、慌てた様子で彼女は降りてきた。その顔は今まで見せた事が無いような焦りと怒りが浮かんでいた。


「死ぬって、何よ。そんな事考えないで! ぼくも誤解を解くのを手伝うから。だから、そんなこと言わないで」


 黒柳はホウキから降りると、転がるように目の前に来ると、抱きついたまま叫んだ。その勢いは今、自殺をすると返事をしたら、そのまま殺されそうだった。


「ねえ、約束して、自殺しようなんて思わないで」

「ああ、ごめん。死んだりしないよ」

「本当?」

「本当だよ。ついつい、愚痴みたいに言っちゃったけど、そんなつもりはないよ」

「良かった~」


 彼女は力が抜けたように、へたり込んだ。それもそうだろう。突然、教室を飛び出した僕を探して、なんとか見つけたかと思うと、『死にたい』とつぶやいていたのだから、驚いただろう。心配をして、探してくれた彼女に悪い事をしたと、罪悪感さえ覚えて謝った。


「ごめん」

「何に謝ってるのよ」

「だって、心配をかけたから」

「本当よ。でも、無事で良かった」


 心底ホッとした表情を見せる彼女を見て、気持ちが軽くなった気がする。

 だが、気持ちが軽くなったとは言え、問題は何も解決していない。明日、学校に行けばみんなからイジメられるに違いない。小学生の時、僕はクラスから変人扱いされていた。みんなと遊ぶ事もせず、雨の日は植物の本を読み、晴れた日は学校内に生えている木や植物を眺めていた。あまり人に関わらなかったため、積極的にイジメられるようなことはなかったが、友人と呼べるような人もいなかった。寂しくなかったかといえば、寂しくもあったが、自分の好きな事を好きなようにすれば良いという言葉を胸に過ごして来た。

 それが高校生になってイジメられるとは思わなかった。そのため、どうすればいいのか、どうすれば良いか見当も付かなかった。


「なあ、魔女ならみんなの記憶を消せないのか? 僕と彼女が出かけたという記憶を消せば、元通りみんな僕なんかに興味を持たないだろう。そんな事できないか?」


 いくら魔女でも、そんな事は出来ないだろうと、心の中では思いながらも口に出してみた。そんな考えに反して、帰ってきた答えは意外なものだった。


「記憶を封印することは出来るけど……」

「出来るのか?」

「出来るけど……今回は出来ないの」


 黒柳にしては奥歯に物が挟まったような、歯切れの悪い答えだった。

 しかし、記憶を封印する事は出来ると言った。しかし、今回は出来ないと言うのはどういうことなのだろうか。


「どういうことだ?」

「魔女の掟で記憶を封印するのは、私達魔女に関する事だけなの。昔から魔女って迫害の対象でしょう。だから、私達が本当の魔女だと知って、悪用する相手の記憶を封印してしまうのよ。それにそれが出来るのは一人前の魔女だけなのよ」


 魔女に関する記憶を封印すると言うことは、僕もその対象になるのだろうか? しかし、どんな内容であれ、気分の記憶をいじられると言うことは気持ちが良いものではないだろう。そう思うと、たとえ可能だとしてもそんな事を頼むべきではないと思い直した。

 しかし、自分の事を忘れさせるために、魔法をかける彼女たちもどんな気持ちなのだろうか。人の記憶に残らないというのは、そこに自分がいなくなると言うことと同じではないだろうか? 自分で自分を殺す、そんな魔法ではないのだろうか? 魔法をかける魔女に同情してしまい、見習い魔女に謝った。


「ごめん。よく考えたら、記憶を消すなんて、誰も幸せにならないよな」

「……そうよね」


 黒柳は少し悲しそうな声で答えた。

 その声を聞いて、記憶を封印するという手は諦めた。しかし、空を飛べるということは、そのほかに何が出来るのだろうか? 僕は純粋に興味が湧いた。


「ところで、今日、初めて魔女らしいところを見たんだけど、空を飛ぶ以外にどんなことが出来るんだ?」

「あと? そんなにたいしたことは出来ないわよ」


 空を飛んだり、記憶を封印したりする事は、たいしたことでは無いのだろうかと思いながらも。彼女の言葉を待った。

 黒柳は人差し指を頬に当てて答えた。


「ちょっと確率をいじったり、姿を認識されないようにしたりするくらいよ。あとは占いしたり、お守り作ったりするくらいよ」


 そう言って申し訳なさそうな顔をした。

 まあ、恋の魔女にイジメの相談をするのは筋違いだろう。

 それにこれまで、クラスメイトと良好な関係を築かなかった自分も悪かったのだろう。もしもそうしていれば、こんな勘違いなど起きなかったのかもしれない。そう考えれば身から出た錆なのだろう。それであれば、まずは自分でどうにかしてみようと考えた。

 そんな考えを見透かしたように、彼女は言った。


「ちなみに、恋の魔女だからって、恋の話以外は受け付けないってわけじゃないからね」

「ありがとう。でもまずは、明日、ちゃんと話をして誤解を解いてみるよ。一人でも味方がいるってわかっただけでも、気が楽になったよ」

「あら、味方は最低でも二人はいるわよ。英里ちゃんも一緒に説明してくれると思うわよ」

「そうだね。僕の言葉を信じなくても、武田さんの言葉なら信じて貰えるだろう。よし、帰ろう」


 彼女と話していると、一人で塞ぎ込んでいたのが嘘のように気が晴れてきた。彼女だからだろうか? 恋の魔女だからだろうか? ただ、誰でもいいから話が出来た事が良かったのかは分からなかった。

 薄暗くなってきた空を見ながら、僕は立ち上がった。


「探しに来てくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

「しかし、よくここがわかったね」


 ここは自分自身も久しぶりに来たくらいで、普通に考えると見つかるはずがなかった。一人になりたかった僕が選んだ場所。空を飛べるとはいえ、4月に転校してきた彼女が簡単に見つけられるとは思わなかった。


「……まあね。ほら、私は魔女だから。さあ、帰りましょう」


 そう言うと彼女は背を向けて、里山を下り始めたのだった。

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